第76話 ずるいずるい!ヒーローの正体を知った千春
翌日。いかにも高校生といった制服や鞄、教科書等が置かれた部屋。そのベッドの枕元でスマートフォンのアラームが鳴っている。
目を開けるとカーテンの間から朝日が差しているのが見えた。
俺はゆっくりと上体を起こす。今日は眠りが浅かったせいで、いつもより眠気が晴れていない。
原因は分かっている。俺はベッドの淵に座って、眠気の原因となっているものがいる机の上に目を向けた。そこにはタオルで作った簡易ベッドで眠るモーメがぐうぐう寝ている。そして、その隣にはキャップのないペットボトルがひとつ。
昨夜、モーメは逃走を試みて何度も部屋から出ていこうとしたが、その度に俺はペットボトルに入った水を操り、モーメを拘束してタオルの上に放り投げて逃走を阻止していた。水操作は横になっていてもできるが、モーメが動いたのに気づくには、ある程度の意識を保ってなければならない。つまり、モーメが眠らない限り、俺も眠りこけるわけにはいかなかったのだ。
結果、モーメが逃げるのを諦めたのは、朝四時を過ぎてからだった。
おかげで完璧に寝不足だ。
「早く慣れないとな……」
モーメが目を覚ます前に朝の支度を終えようと、俺は背伸びしながら部屋を出た。
***
結局、俺が再度部屋に戻るまでモーメはぐうすか寝たままだった。
「無駄に神経使ったな……おい、起きろ」
「ん、んぅぅぅ!」
俺は昨日買っておいたあんパンをモーメのそばに置いて、自分は制服に着替え始める。
モーメは寝惚け眼をこすり、大きなあくびをした。
《ふわぁぁぁぁ、ねみぃぃ》
「素直に寝てたら良かったのに」
《ふん。今はダメでも、いつか隙を見つけて逃げてやる》
モーメは寝起き声で言いながら、ペットボトルの水をじーっと見つめる。
顔を洗いたいのか、あるいは喉が渇いているのかと考えた俺は、水操作でペットボトルの水を操り、モーメの前に水の塊を浮遊させた。昨晩さんざん拘束された水がまた動き出したことに、モーメはビクッと驚き、無言で俺を睨んだが、俺が親切でやっていると察すると素直に水を手で掬ってゴクゴク飲んだ。そしてまた水を掬い、顔を洗って寝具にしていたタオルで拭う。
その一連の所作から、モーメの育ちの良さが伺えた。
「飯食ったら、変身してくれ。学校行くぞ」
《何でお前は平気なんだよ? 寝てたのか?》
「俺は寝なくても平気なの。良いから早く食え」
モーメはあんパンに手を伸ばし、むしゃむしゃと食べはじめた。
そして制服に着替え終わった俺は、ふとスマートフォンに通知が来ているのに気が付いた。
画面を見るとMINEの通知が一件。送ってきたのは沙織だ。どうやら俺が支度している時に送ってきたみたいだ。
【先に学校行くね】
チャット欄を開くと、そんな短い文が書かれていた。
沙織が朝一番でこの類のメッセージを送ってくるのは、風邪で欠席する時や朝練や日直で早く登校する時にもあるので、そう珍しいことじゃない。けど、こんな風に理由もなく連絡してくるのは、ざっと記憶を探っても覚えがなかった。
今日はテスト返却とあって午前授業だが、それ以外に特に変わったイベントはないはずだ。
沙織がなぜ早く学校に行くのか理由が思い当たらず、俺は首を傾げながら『OK』とスタンプを返した。
やがて時は進み、俺は学校に着いた。右腕には黒い蛇の姿になったモーメが巻き付いている。登校中、睡眠不足のせいか、モーメは蛇の姿のまま眠ってしまった。
袖の下でぐうぐう寝ている蛇に、若干の羨みを覚えながら俺は教室へ向かう。
「水樹君、おはよー」
「ん? あぁ、おはよう綾辻さん」
昇降口で上履きに履き替えていると、登校してきた綾辻さんに声をかけられた。
綾辻さんはいつもと変わらない清楚な雰囲気で優しい笑みを浮かべながら、軽く手を振った。俺は綾辻さんに手を振り返しながら、そのまま肩に乗ったマーにも手を振った。マーもニコニコと笑って無邪気に手を振り返す。
「水樹君一人? 沙織ちゃんは?」
「今日は先に行くってさ」
「へぇ……もしかしてケンカでもしたの?」
「いやいや。別にいつも一緒ってわけじゃないからな」
「ふふっ、そうなんだ」
俺と綾辻さんは肩を並べて教室へ向かう。校舎内は生徒の声がこだまして朝から活気に満ちていた。
「そういえば、モーメ君は?」
「ああ、ちゃんといるよ。昨晩に何度も逃げ出そうとしたせいで、今は寝てる」
俺が袖を上げると、綾辻さんとマーが覗き込んだ。二人の視線に気づくことなく、モーメは相変わらずぐうぐう寝ている。
「家を出る時には起きてたんだけどな」
「夜の間ずっと起きてたんだ。水樹君は大丈夫なの?」
「まぁね」
綾辻さんが様子を窺うように俺の顔を覗き込む。そんな彼女に顔を向けると、身長差と体勢から綾辻さんを見下ろすような形になった。
「意外と気にしてないんだな」
「えっ?」
「いや、昨日話を聞いたせいで、変にギクシャクしないかとか思ったんだけど、心配なかったなって」
「う、うん。そりゃあ吃驚はしたけど、例え過去にどんなことがあっても、水樹君がこれまでに私達を助けてくれたことには変わりないし、私にとって水樹君は水樹君だよ」
「……そうかい」
反応に困り、俺は顔を逸らすように前を向いた。そんな俺の態度が可笑しかったのか、綾辻さんはクスリと笑った。
そして少しの間、俺達の間に静寂が流れた。
「……ねぇ、水樹君。実は昨日マーちゃんと話したんだけど」
「うん……ん?」
そこでふと、俺と綾辻さんは足を止めた。同時に、何か言おうとしていた綾辻さんの会話も止まる。
俺達の目の前には、廊下のド真ん中で仁王立ちしながら腕組みしている生徒が一人。眉をしかめて口をへの字に曲げ、見るからに不機嫌なのが分かる。
その女子生徒……沙織は、俺達をじーっと睨みつけていたかと思うと、急にずんずんと距離を詰める。
「千春、コレどぉーいうことォ!」
「さ、沙織ちゃん?」
《沙織、少し落ち着いて》
肩にミーを乗せた沙織がスマホを片手に綾辻さんに詰め寄ってきた。急なことに綾辻さんは狼狽し、胸の前に両手を上げて後退りする。ぶつかりそうになる直前に、沙織は足を止めたが、勢い余ってか上体が綾辻さんの目前まで寄った。
「どうしたんだよ沙織?」
「むっ、優人には関係ないから! 千春、ちょっと来て!」
「お、おい!」
俺が呼び止める間もなく、沙織は綾辻さんの手をとってすれ違いながら走り出した。そのあまりの瞬発力に、肩に乗っていたマーが宙を飛び、俺の頭にコツンと当たってこの場に取り残される。
「ちょっと、待って沙織ちゃーん?」
綾辻さんの呼びかけにも止まることなく沙織はどこかへ去っていく。マーを頭に乗せた俺は小さくなっていく二人の背中を一緒に見送った。
沙織が向かった先は屋上だった。沙織が走っていった方向と生徒があまりいない場所を考えて、追いかけてみたら案の定だった。俺はマーと一緒に扉の陰に隠れ、二人の様子を窺う。
二人は膝に手を突き、乱れた息を整えていた。
「どうしたの沙織ちゃん? 何かあったの?」
息を切らしながら綾辻さんは言った。
「どうもこうもないよ! なにコレ?」
「コレって……?」
綾辻さんは沙織が前に出したスマホの画面を覗く。残念ながら俺には沙織が一体何を見せているのか分からない。
「これは……私とみっ、ハイドロードさん?」
「昨日の夜、スマホ眺めてたら出てきたの」
沙織はよくネットでガーディアンズの事を調べ、SNSやサイトから気に入った画像を見つけては、保存して俺や綾辻さん達に見せびらかしにくる。どうやら今回も、それがきっかけのようだ。
この時、沙織が綾辻さんに見せたのは、昨日俺と綾辻さんがノーライフと戦っているときに野次馬が撮った画像だ。ガーディアンズの情報部も、俺や綾辻さんの正体が分かるような画像なら対策するだろうが変身している時の姿であれば、情報統制する必要もなく基本野放しだ。
「千春、昨日ハイドロードさんと一緒に戦ったの?」
「えっ……う、うん」
「エェーっ、ずるい! ずるいずるーい! 私もハイドロードさんと一緒に戦いたかった!」
沙織の言葉を聞いて、俺は頭を抱えた。
ずるいって、共闘だったら沙織も先日やっただろうに……。
「それに、なんで千春が! まさかハイドロードさんに呼ばれて?」
「う、ううん。そ、その、昨日ノーライフが現れて、それで……偶々近くにハイドロードさんがいて、一緒に戦ってくれて」
「むぐぐぅぅぅぅ」
何がそんなに不服なのか、沙織は悔しげな顔で唇を噛みながら子犬のような唸り声をあげる。
「もしかして、ハイドロードさんの正体見た?」
「えっ!」
「見たの?」
沙織が顔を近づけて強い目力で綾辻さんに訊ねる。
何故かは知らんが、どうやら沙織的に大事なところはそこらしい。
「……う、ううん」
「ホントに?」
「うん」
綾辻さんは沙織と目を合わせたままゆっくり頷いた。その態度は立派だが、さっきから額に汗が滲み、瞬きが多くなっている。良くも悪くも素直な子だ。
「……そう、それなら良いんだけどさ」
本当に信じたのか知れないが、日頃の綾辻さんの信頼の賜物か、沙織は問い詰めるのを止めた。
《沙織ちゃんは、なんであんなに怒ってるの?》
「怒ってはないさ。ただの同担拒否じゃないか?」
《あ、それ聞いたことある。同じ“推し”って人を応援してる人をやっかむことでしょ》
「推しとして泣きそうだぁ」
俺とマーが話していると、近くにあったスピーカーから予鈴のウェストミンスターの鐘が鳴った。マーは兎も角、このまま俺が扉の陰にいると二人と鉢合わせる。
ひとまず俺はマーと共にその場を後にした。
「とりあえず、千春は知らないみたいだけど、仮にハイドロードさんの正体を知っても絶対に周りに知られちゃダメだからね?」
「えっ! う、うん」
「よし、じゃあ早く教室いこ」
「そうだね……でも意外。沙織ちゃんなら自分にも教えてって言うのかと思った」
「いやいや、確かに気になるけど、本人が秘密にしてるんだから、そこはファンとしてちゃんと協力しないと」
「へぇー、そういうものなんだ」
「まぁでも、いつかは隣に立って同時変身したい気持ちもあるかなぁ。ヒーローと魔法少女の同時変身ってレアだし、憧れるよね?」
「そ、そっか。あ、あははは」
俺が去った後で、二人のそんな会話があったとか……。
(でも沙織ちゃん。その正体が大切な幼馴染でも、ホントに知らせない方が良いのかな?)
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