第64話 戻ってきた日常と新たなトラブル①






 その後の話を少しだけしよう。

 作戦の翌日、つまり日曜日。俺は疲労の残った身体を動かしてガーディアンズ本部へと向かった。休日とあって本部内はいつもより人が少なかったが、身体検査や精神検査、たくさんの計測に、捕獲した生物の処遇を決める会議など、諸々の仕事に費やして、俺は貴重な高校生の休日を潰すことになった。

 捕獲したニャピーも様々な検査や計測が行われ、今はガーディアンズ本部の研究室のケージに保護という目的で幽閉されている。詳細は次回にでも話そうと思う。



 そして現在、月曜の朝、俺は眠気を顔に張り付けたまま登校していた。目の下に隈ができているまではないが、いつもより瞬きが多い。睡眠はいつも通り取れているのだが、この2、3日の出来事が濃すぎて、その疲労が抜けていないのだ。おまけに時間感覚も少し狂っている。

 俺と同じように道を歩く生徒やサラリーマン、道路を行く自動車やバス、のどかな住宅街に、初夏の青空。目の前の風景は3日前にも見ているいつもの通学路の景色だが、この当たり前の日常風景がまるで一月ぶりにでも見たように感じられる。なんというか、時差ボケみたいな感覚だ。


「優人ぉ!」


 そんな眠気と時差ボケを抱えながら登校していると、後方から沙織が走ってきて、俺の背中を押す。一瞬こけそうになったが、なんとか踏ん張れた。


「おっはようー!」

「あぁ、おはよう」


 沙織のいつもの明るい声に癒されながら、俺は挨拶を返す。昨日はすっかり休めたのか、その表情や動作には疲れや取り繕った様子は全く見られない。

 ふと沙織は俺の顔を見ると、覗き込むように観察して首を傾げる。


「どうしたの? 顔色悪いよ?」

「ん、少し寝不足で」

「へぇー珍しいね。大丈夫?」

「うん。一応、意識はハッキリしてる」


 俺は片目を擦るようにしながら、横目で沙織を見る。その肩にはパートナーであるミーの姿もあった。俺がいるのもあって、ミーはただ黙って俺達の様子を眺めている。


「ふーん。なら良いけど…………あっそうそう。そういえば、宿題やった?」

「やってない」

「だよねぇ! じゃあ悪いんだけど午後の授業までに写させ……えっ?」

「だから、やってない」

「えぇーー! 何で!」

「いや、何でって……」


 言わずもがな、やる時間が無かったからだよ。宿題が出された金曜日からずっと働いてたんだよ俺は。


「英語のヤツ、提出今日じゃん!」

「そーだねぇ」

「そーだねぇって、優人がやってないなら私は誰に宿題を見せて貰えばいいのぉ!」


 知るかいな。


「綾辻さんや秋月に見せてもらえよ。英語は共通だろ」

「千春はともかく、麻里奈は見せてくれないよぉ!」


 確かに。言われてみると、泣きつく沙織を冷めた顔で突き放す秋月の様子が容易に想像できた。おまけに、そばには苦笑いする綾辻さんもいる。


「まぁ、今週から期末テストだし、テスト勉強がてら片付ければいいだろ?」

「……え?」


 ふと、沙織の足が止まる。振り返って見ると、沙織はぽかーんとして目を丸くしていた。


「……期末?」

「なに鳩豆な顔してんだよ。夏休み前に期末あるだろ?」


 その俺の言葉を最後に、しばらくの間この場を静寂が支配する。今日は蒸し暑い青空の日のはずだが、気のせいか、木枯らしが吹いた気がした。

 そして沙織の顔がだんだん青ざめていく。

 コイツ、忘れてやがったな……。


「はぁぁぁーーーー!」


 ムンクの叫びのような顔になって悲鳴を上げる沙織に、俺とミーは揃って、やれやれと顔をふった。




 ***




 時間は進み、昼休み。俺は葉山と共に食堂で昼飯を食べていた。


「お前、今日は珍しくカレーなんだな」

「まぁ、たまにはな」

「たまにはって……なにもこんなクソ暑い日に食べなくても良くね? それに食堂ここのカレーってそこそこ辛いのに、お前よくそんな涼しい顔して食えるな」


 そう言って、葉山は自身の唐揚げ定食に箸をのばす。

 お前だって、つい先日カツカレー食べてたろうに……。


「そういえば、夏目ちゃんはどうしたんだ?」

「沙織なら秋月達に監視されながら宿題してる」

「……あぁ、英語のヤツな」


 葉山はすべてを察した目をして、唐揚げを口にした。


「今からやって間に合うか?」

「無理だろうな」


 ちなみに、葉山と同じで、俺はもう諦めたよ。





 所変わって、文系クラスの教室。そこでは綾辻さんの机にノートを広げて宿題を片付ける沙織の姿があった。


「んぐぅぅぅぅ」

「ほら、早くしないと昼休み終わっちゃうわよ」

「分かってるよぉ!」


 シャーペンを握る手が止めてじーっとノートを睨む沙織に、秋月は呆れの含んだ細い目で見た。


「むぅぅ、そもそもなんで二人は終わってるのぉ!」

「まぁ、日頃からコツコツやってるから」

「そういうこと……これじゃあ夏休みも思いやられるわねぇ」


 購買で惣菜パンを買ってきて、さっさと昼食を食べ終えた沙織は、隣の席で昼食の弁当を食べている綾辻さんと秋月を見ながら口を尖らせる。二人とも沙織の宿題を助けることはしないらしい。

 沙織が泣きついた時には、綾辻さんも協力しようとしたが、そこを秋月が自業自得だと言って自分でするように叱った。


《この問題の答えは1番かな?》

《いや、多分3だよ》

《えー、私は2番だと思うなぁ》


 ニャピー3匹は沙織の机の上に集まり、ノートの中身を眺めている。沙織にとっては少し邪魔だが、退けたところで手が進むわけでもないので、そのままにさせている。


「あれ? 麻里奈ちゃん、壁紙変えた?」

「っ!」


 やがて昼食を食べ終えた秋月がスマホを取り出す。その一瞬見えたスマホの壁紙について、綾辻さんが訊ねた。


「ま、まぁ。ちょっとね」

「へぇー。でもそれってファングさんだよね?」

「えっ!」


 ファングという単語に反応して沙織は顔を上げて立ち上がった。そして秋月のスマホを覗き込む。

 そこには、ついこの間まで猫の画像だった壁紙が、偶にガーディアンズが宣材に使っているファングの画像になっていた。


「えっなに? 麻里奈ってばファングさん推しになったの?」

「べ、別にそういうわけじゃ……ただまぁ、この前の一件で、私も街の平和を守る身として色々見習わないとなぁって思っただけで」

「ふーん」


 沙織から顔を背けながら秋月はスマホの画面を隠す。本人は大した理由じゃないとでも言いたげだが、その頬はほんのり赤くなっていた。

 そんな彼女の様子を見て何かを思いついた沙織は、ニヤリと悪い顔を浮かべる。


「それなら、私が厳選したファングさんの画像あげようか?」

「えっ、ホント?」

「その代わりぃ……」


 『分かるよね?』と沙織はニヤニヤと笑う。意図を察した秋月は苦々しげに奥歯を噛んだ。

 というのも、ガーディアンズでは正体を隠しているハイドロードとファングをあまり広報として使うことがなく、写真や画像はほとんど世に出回らない。よって、この二人の画像を手に入れるとなると、かなり苦労する。手に入れようとしても、ガーディアンズが初期に出した宣材写真か、事件現場の野次馬が撮ったものくらいだ。後者の画像にいたっては手振れがひどく、まともに写っているものは無いに等しい。

 しかし沙織ほどのヒーローファンともなると、長年のファン活動の中でネットに出回っている画像を集めるのはもちろんのこと、その中から質の良いものを厳選したりしている。

 秋月も、いつも沙織が「ネットにハイドロードの画像がない」とか「昨日、高画質のファングさんの画像を手に入れた」とか話しているのを知っているので、それらのことはよく理解していた。


「むぅぅ……わ、分かったわよ!」

「イエスっ!」


 秋月は渋々頷き、沙織は白い歯を見せながらニカッと笑いガッツポーズした。


《あらら、麻里奈ちゃんったら買収されたわぁ》

《沙織も悪知恵をつけたね》

《良いの、千春ちゃん?》

「なははぁ……ホントはダメだけど、沙織ちゃんも一昨日は頑張ったし、少しくらいは良いんじゃないかな」


 沙織が秋月から嬉々として英語のノートを受け取る様子に、綾辻さんとニャピー達は揃って苦笑いする。

 こうして、沙織は昼休み中に宿題を終わらせることに成功したのだった。





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