第65話 戻ってきた日常と新たなトラブル②
時間は進み、放課後。期末試験直前とあって、校内は比較的静かな空気が流れ、廊下を歩く生徒も少なく、何処となく空虚とさえ感じられる。
そんな校舎の屋上で一人、俺はケータイを耳に当てながら壁に背をつけて立っていた。
「やったねファングさん。ファンが増えたよ」
『ンなこと、どうでも良いっつーの』
通話の相手は悠希だ。さっき沙織から聞いた秋月がファング推しになった話を伝えると、照れ隠しなのか、悠希は強めの口調で返してきた。
彼女も今日は学校があるはずだが、下校途中なのか、あるいはサボっているのか、外を出歩いているらしい。時折、電車の走行音が聴こえてくる。
コイツ、どっかの跨線橋にでもいるのか?
『それで、そっちはあの女(ヒューニ)から接触はあったか?』
「いや、まだ無い。一応、いつ現れても良いように気をつけてはいるんだが、まったく反応なし」
『ホントかよ。一昨日お前が捕まえたってナマモノは、あの女の手下なんだろ?』
「あぁ。本人曰く、そうみたいだぞ」
『なのに、一日経っても向こうから反応が無いってのは……ひょっとして見捨てられたか?』
「可能性はゼロじゃねぇけど、どうだろうな……」
まだあのニャピーから大した情報は聞き出せていない。俺がガーディアンズ本部に連れて行ってからは、基本ずっとケージの中でだんまりだ。
おかげで、俺は軽く精神異常を疑われたが、研究室の様々な機器の計測によってニャピーの存在自体は確認できたし、後に念のため精神診断も受けて、完全に疑いは晴れた。
『それにしても、何でお前にそのナマモノが見えるようになったんだ? あの毒針のせいか?』
「どうやらそうらしい。空峰さんの診断では、あの毒針の神経毒に身体が対抗する過程で、神経が変異したのが原因だろうって」
『ふーん……他に異常は?』
「今のところは何も。ここ三日でできた疲労以外はな」
『そうか。あんまり無理すんなよ』
「おっ、心配してくれるのか?」
『そんなんじゃねぇ……ただ、友達を殺すのはもう御免だ』
また、電話の向こうから電車の走行音が聴こえてきた。ここでまた会話が止まる。
最後の消え入りそうな悠希の声に含まれていた感情は、怒りか悲しみか、あるいは罪悪感か、いずれにしても彼女が今、過去の出来事を思い起こしているのは、すぐに分かった。
「……大丈夫だ。俺も殺されたくねぇーしな」
『なら良い……おっと、仕事だ。じゃあまたな』
「あぁ、お疲れ様」
俺は通話を切って、ケータイをしまう。
仕事ということは、また変異者が現れたのだろうか……。
「作戦明けだってのに、働き者だな……」
屋上から降りようと扉へ手を伸ばしながら、そう呟いた途端、ふと背後に気配を感じた。それが誰かなのか、おおよそ察しはついた。
「……お前もな」
「あら、案外元気そうね」
聞き覚えのある声が聴こえて振り返ると、そこには案の定、ヒューニが立っていた。いつもの黒ドレスに、風で揺れる黒い長髪。見下したような眼に、にやけた口元。なんとなく作為的な態度にも見えなくはないが、武器の大鎌は持っておらず、敵意は感じられない。
「なにしに来た?」
「別に。雪井のマージセルの実験体にハイドロードがやられたって聞いたから、様子を見に来ただけよ」
嘘だな。
注意深く見ると分かるが、ヒューニの目線が僅かにチラチラ動いている。まるでその辺にいる“何か”を探しているみたいだ。彼女の目的は、その“何か”……十中八九、パートナーのニャピーだろう。
「ご生憎さま。この通りピンピンしてるよ」
「そう。それは……残念ね」
「分かったら、とっとと帰れ。こちとら明後日から期末試験があって忙しいんだよ」
手をひらひらと振って、去れ去れと仕草でも示す。俺的には半ば本音であることもあって、うまく演技できたと思う。
だが、ヒューニは俺の仕草を見て、じーっと疑うような目を俺に向けてきた。
「……なんだよ?」
「あなた、まさか……」
意味深な顔をしたヒューニはこっちを見ながら、しばし黙考する。
「……いや、まさかね」
えっ。マジでなに?
そんな「気のせいか」みたいな顔されても、こっちは気になるんですけど……。
だが俺の心情など露知らず、ヒューニは身をひるがえす。
「それじゃあね、ハイドロードさん」
「お、おい!」
俺の呼び止める声を聞くこともせず、ヒューニはバイバイと手を振って影の中へと消えていった。
昨日の会議で決めた通り、ひとまず俺がニャピーを認識できるようになったことは明かさなかったが……。
あのヒューニの反応、ひょっとして悟られたか?
「……はぁ。まっ良いか」
いずれにしろ、これであのニャピーがヒューニの使い魔であることと彼女の指示で俺を尾行していたことへの確信が強まった。あとは尋問なりなんなりして、あのニャピーからヒューニの目的を聞き出すか……。
俺はため息をつき、屋上の扉を開けて階段を下りていく。
つい先ほどまで、そこに“彼女”がいたことなど、気が付くこともなく……。
***
翌日。時間は昼休み。俺は“彼女”に声を掛けられ、一緒にひとけのない校舎裏に連れてこられた。
人が周りにいないことを確認して、彼女は俺と向かい合う。
「ごめんね、急にこんなところに連れてきて」
「あぁ、別に構わないけど……」
彼女とは日頃からそれなりに話もしているので、声を掛けられたこと自体は特に気にすることもなかったが、「人のいないところで話がしたい」と言われた時には、思わず身構えてしまった。
これが、皆川や舞鶴先輩のような、ただの友達の一般生徒だったらロマンティックな展開を期待しないでもないが、彼女とは沙織と一緒にいる時に話すことが多かったし、そんな展開は期待できない……というより、正直そうなったら気まずい。
「それで話ってなんだ?」
「うん。あのね……こんな事、いきなり言うのは迷惑かなって思ったんだけど、でもどうしても我慢できなくて」
制服のすそを握りしめ、もじもじする彼女のピンク髪がゆらゆら揺れる。
やがて何かを決心した顔つきになって、俯いていた彼女……綾辻千春は、まっすぐ俺へ目を向けた。
「水樹君って、ハイドロードさんなの?」
その問いを聞いた俺は、やるせない顔を上へ向ける。そして、気持ちの良いほどの快晴の空に向かってため息を吐いた。
第2章、完。
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