第63話 個人の特権
「よぉ」
膝を抱えて座りながら海を眺める秋月に、いつの間にか背後に立っていたファングが声をかけた。周りが静かなこともあり、その声はすんなり秋月の耳に入る。
「ファングさん?」
秋月は首だけを動かして、ファングに目を向ける。彼女は片手を腰に当て、片足に重心を置くようにして立っていた。罅の入った白虎のマスクに、傷ついた装甲、汚れたコスチュームと、普段着になった秋月とは対称的に今のファングの姿は戦いの跡がくっきりと残っている。そんな佇まいと見た目が相まって、素人でも分かるほどの凄みが今の彼女から伝わってくる。
「何やってんだ、こんなところで?」
「別に。何でもないです」
「……そうか」
秋月は体勢を戻して、ファングから顔を背ける。だが直前に、彼女が無意識に何かを拭うよう両手を擦っていたのを、ファングは見逃していなかった。
「ならオレからひとつ訊くが……」
そう言って、ファングは秋月の隣に立つ。
「最後、
「どうって?」
「本部で言ってただろ。『あの“感触”を別に嫌とも思わなくなってる』って。今はどうなんだ? 平気なのか?」
半ば確信しているような口調でファングに訊かれ、秋月は隠すように交差させていた両手を前に出す。
「最悪です。気持ちの悪い何かが両手にべったりと張り付いてるみたいで……」
秋月の見る自身の手のひらには皺や手荒れもなく、すらりとしていて綺麗なままだ。だが彼女の手には進化態に突き刺した時の剣から伝わってきた“感触”が残っていた。その“感触”を拒絶するように、今の彼女の手は微かに震えている。
秋月は両の手のひらを撫で合わせることで、その震えを抑え込んだ。
「でも、私は人を守るために魔法少女になりました。こんなことで今更戦うのを止めたりしません」
ファングが「……こんなこと、ね」と乾いた声でボソリと呟く。
「その気持ちは立派だが……良いのか?」
「何がですか?」
「このままだと、やがてその“感触”にも慣れていくかもれないぞ?」
秋月は口を噤んだ。顔を俯かせて、震えのなくなった自分の手を見る眼には憂いを帯びている。
「正直、やっぱり怖いです……けど」
止めるわけにはいかない。自分の弱さを理由に戦いから逃げて、綾辻さんと沙織の二人だけに戦いを背負わせることは、秋月にはできなかった。
やがて秋月は覚悟した眼で顔を上げて、グッと手を握りしめる。
「ファングさん、言いましたよね。この“感触”は治せるって」
「あぁ、言ったな」
「それなら大丈夫です。私には大切な友達もいますけど、頼れる大人もいますから」
「……そうか」
言うまでもなく、その大人とは玲さんだけでなく自分も含まれているのだろうと察し、ファングは「同い年だよ」と思いながらため息をつく。それと同時に、内心では秋月が思ったよりもへこんでいなかったことに安堵していた。彼女から頼られていること自体にも悪い気はしていない。
そんな気持ちを隠すようにマスクの罅を指先でなでるファングに、秋月は顔をほころばせた。
しかし、その表情もすぐ元に戻り、また秋月は膝を抱えて海を眺める。さっきまで心にあったモヤモヤは晴れて半ばすっきりしているが、それでもまだひとつ、彼女の心には疑念が残っていた。
「……ファングさん」
「なんだ?」
「このイヤな“感触”を抱えながら戦うのか、それとも何も感じずに戦うのか……あなたはどっちが良いと思いますか?」
「どっちでもいいだろ」
最後に残っていた秋月の疑問を、ファングは一蹴する。自分の抱えた疑念をあまりにも簡単に片付けられ、秋月は思わず大きくした。
「学校のお勉強と違って、世の中の大抵の問題に正解なんてねぇんだ。あやふやで良いんだよ。組織なら兎も角、それが個人の特権だ」
秋月は隣に立つファングを見上げる。
「戦うってことは、そのあやふやな問題をずっと抱えることだ」
「ファングさんも?」
「当たり前だ」
そう言って、夕暮れの空を背景にしてまっすぐ海を見つめるファングの姿は、とても様になっている。白虎のマスクで隠れた顔からは表情は分からないはずだが、その佇まいからファングの力強い真摯な表情が連想された。
そんなファングに見惚れている自分に気づき、秋月はふと我に返る。
「……そうなんですね」
このとき秋月は、ファングの言葉が腑に落ちると同時に、ヒーローのカッコ良さに憧れる沙織の気持ちをほんの少し理解できた気がした。
「何だか私、初めてカッコいい大人の男性に会った気がします」
「はぁ、なんだソレ…………てか同性だっつーの」
「えっ?」
「なんでもねぇーよ」
ファングの呟きに、秋月は首を傾げたが、そこでファングの通信機に起動のノイズが入る。
『ハイドロード、ファング、変化人間を連れてきなさい。本部へ帰還するわ』
「了解……エージェント・ゼロがお呼びだ。帰るぞ」
「はい!」
《…………ふふっ》
元気よく返事して秋月はファングの後を追う。肩に乗ったミーにはファングの後ろ姿を見る秋月の瞳が輝いているのが分かった。
***
そんな感じで、爽やかとしたまま終われたら良かったのだが、そうは問屋が卸さなかった。
なにせ今回の事件の元凶である雪井彰人のアジトは掴めず、その張本人とヒューニには逃げられ、彼の言っていた実験とやらの目的や全容も分からないままだ。結局はすべて徒労に終わった。
今回の成果で唯一良かったことといえば、一般市民に被害が出なかったことくらいだ。
作戦が終了して、そのことを実感した俺や悠希、玲さんを含むガーディアンズの面々は人知れず気落ちした。
その後、俺達は輸送ヘリに乗ってガーディアンズ本部へと帰還した。そして魔法少女の三人は本部に着くと、そのまま玲さんの運転する黒いセダン車に乗せられ、それぞれの家に帰っていった。
戦いで疲れたのか、三人とも輸送ヘリの中で半ばウトウトしていたが、後で玲さんから聞いた話だと、車の中ではすっかり寝落ちしていたらしい。
週末に新手の敵と慣れない作戦に参加していたら無理もないだろう。翌日が日曜日なのはわずかな救いだ。できるなら俺も同じように帰って寝たかったけど、事後処理と身体検査や精神鑑定があって、悠希と一緒に本部に残る羽目になった。
まぁ幸いにも、二人とも怪我の後遺症や精神汚染などは見られなかった。悠希は頭の傷を針で縫うことになったが、本人は特に気にした様子もなく手術中ずっと煩わしそうに口を尖らせていた。
そんなこんなあって、俺が高宮町に着く頃にはすっかり真夜中になっていた。飲み会や残業で遅くなったサラリーマン達と一緒に電車で揺られながら、俺は帰路につく。
「はぁぁ」
街灯に照らされる夜道を歩きながら、俺はため息をつく。時間が時間とあって周辺に通行人の姿は無く、周りの住宅からの生活音や車の音より虫の声の方がよく聴こえた。
事前に連絡を入れてもらったとはいえ、突然家に帰らず、おまけに翌日のこんな夜中に帰ったとなれば、父さんと母さんの小言は避けられないだろう。今回の作戦に比べれば両親の説教など特に何ともないのだが、それでも疲れた体で叱られるのはなかなか堪えるものがある。
「…………はぁぁ」
再度俺は大きなため息をつく。しかし今度は親の説教を面倒に感じたからではない。
「またおかしくなったのか、俺の身体ぁ」
作戦中は気にしないようにしていたが、今朝から俺の身体に“ある変化”があった。
その変化に気づいたのは、ガーディアンズ本部の屋上で、沙織達と合流した時。
初めは俺の気が違ったのかと思った。その姿はこの世の生物のものではなく、明らかに日本語を喋っていたからな。
しかし、その生物が何かはすぐに理解できた。その生物達は沙織達三人のそばにそれぞれ一匹ずついて、彼女達とコミュニケーションを取っており。かつ報告書にあった『ネコと子熊を足して2で割って、ピクシー要素を足した感じ』という見た目と一致していた。
そう。玲さんや雨宮さん達の常人の目に見えない、魔法少女の使い魔的な存在“ニャピー”を、俺も見て、声を聞けるようになっていたのだ。
作戦終了後、このことを玲さんや空峰さんに報告したのだが、二人とも半信半疑だった。
『あのぉ、なんか俺、ニャピーが見えるようになったんですけどぉ』
『……は?』
気持ちは分かるが、報告した時の玲さん達の怪訝な顔は、地味に心が痛んだ。かと言って、俺の言っていることが本当かどうか証明するすべもない。
とりあえず、検査結果にも異常は見られなかったので、詳しくは明日に話すことになった。せっかくの日曜日なのに、出勤確定だ。
だが、事はそれだけで終わらなかった。
「…………参ったねホント」
《それはこっちのセリフだ》
突然、背後から声が聞こえたが、俺は聞いていないフリをしながら歩き続ける。この声の主がガーディアンズ本部を出た直後くらいから俺の後を付いてきていたのには気が付いていたが、声を聞いたのはこれが初めてだ。
《まったく、なんでオイラがこんな奴の尾行しなきゃいけないんだ。ヒューニもニャピー使いが悪いよなぁ》
声の主が続けて大きな愚痴をこぼす。俺には聞こえていないと思っているようだが、おかげでコイツが何なのか大方察しがついた。これ以上泳がせる必要もないので、俺は小道の曲がり角を曲がったところで、すぐそばにあった電柱の陰に身を隠す。
《あれ……ニャっ!》
俺の姿を見失った声の主は一瞬焦りを見せる。その隙を突いて俺は暗闇の中から手を伸ばして片手で握り締めて拘束した。空中に浮かんでいたソイツは、急に体の自由がきかなくなったことに驚き、短い叫び声を上げるとともに目を見開いた。
二頭身の身体に、丸い頭と熊のような耳、くりくりとした目、背中の小さな羽と、カラーリングは違うがそのマスコットのような姿は今朝見た三匹のニャピーと特徴が一緒だ。マーはピンク、ミーは水色、ムーは黄色で、コイツは紫。部分的な配色も彼女達のコスチュームの色と一致している。十中八九、コイツも同類だろう。
《バ、バレた! えっ! ていうかお前、なんでオイラの姿が?》
そのニャピーと思われる生物は俺が目を合わせているのを見て、さらに分かりやすく動揺する。そして急いで逃亡を図ろうとしたが、コイツのジタバタ暴れる力は俺の握力の足元にも及ばなかった。
《はーなーせーっ! このッ!》
手の内に微かな抵抗力を感じながら、俺はもう片方の手で頭を抱える。
「はぁぁ、どうしたもんかなぁぁ」
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