第46話 毒の抗体





「…………ンッ!」


 真っ暗な視界が色づき始め、白い天井がはっきり見えるよりも早く、まず全身に感じた激痛のせいで自然と力が入り背筋が伸びた。

 そしてそのズキズキする痛みは、俺の意識を覚醒させると共に、意識を失う前に俺が何をしていたかを思い出させる。

 清潔なベットに寝かされていた俺は、痛みに耐えながらゆっくりと上体を起こす。周りには高そうな医療装置が置かれているが、いずれも電源は入っていない。室内は綺麗に整頓されている。しかし時計や窓がないため今がいつなのかは分からない。

 見覚えのある部屋の特徴に、俺は自分の置かれた状況をなんとなく察した。


「グゥゥッ、痛ェ……!」


 身体の激痛は、蜂怪人の毒針によるものだろう。傷口らしき跡はもうないが、全身の筋肉が感電したみたいに痛むと共に、腫れてもいないのに熱を帯びたようにじんわりとしている。


 どうやら駐車場で倒れた俺は、あの後、ガーディアンズ本部へと搬送されたらしい。

 今がいつで、あれから何があって、現状がどうなっているのか、気になるところだが、とりあえず今はここから出なければ……。


「おーい」


 俺は天井の四隅についているカメラのひとつに向かって、手を振った。

 この部屋の壁は、一見どこにでもある病室のように装飾されているが、実は核シェルター並みの強度のある特別な材質でできている。

 普通の病室ではなく、ここへ搬送されたってことは、つまり“そういうこと”なのだろう。





 それからしばらく、俺が大人しく待っていると治療室の頑丈な自動扉が開いた。

 入ってきたのは、蒼色の手術着の上に白衣を羽織った医師が一人。白衣のポケットに手を突っ込んで、無表情で俺の様子を伺ったその男は、俺の様子がいつも通りであることが分かると、にっこりと笑みをこぼす。


「よっ、大丈夫そうだな」

「えぇ、全身が痛みますが、とりあえず生きてますよ」


 その男……空峰そらみねさんに、俺は言葉を返す。

 さっぱりとした頭髪と面長な顔、二重でキリッとした目元。その整った顔立ちは医療ドラマの主人公みたいだ。

 そんな空峰さんは、ガーディアンズの医療チームのメンバーで、本部に搬送されたエージェント達の怪我の治療や診断を行っている。専門の診療科はよく知らないが、外科の治療をしているのを目にすることが多い。腕は確かで、ここに所属するまでは、どこぞの国の野戦病院にいたというのを本部内の噂で聞いたことがある。真偽は定かでないが。


「起きて早々悪いが、まだしばらく寝てろ。血圧や心拍、脳波が正常になったとはいえ、油断はできない」

「えっ。俺、そんなに危ない状態だったんですか?」

「まぁーな」


 空峰さんはポケットからスマホのような携帯端末を取り出して、立体映像を投影した。

 端末の上に浮かび上がったのは、何かの化学構造図だ。化学の教科書でベンゼンとか安息香酸とかの構造式は見たことあるけど、目の前にある映像はそんなのが比較にならないほど複雑な形をしていて、高校化学の知識しかない俺には、もはや何がどうなっているのかわからない。


「お前の受けた怪人の針には有害な神経毒が付着していた。解析によると、この毒が血中に注入された場合、人間の筋肉と神経を麻痺させ、細胞を破壊する。考えられる症状としては痺れ、発疹、目眩、発熱、痙攣、吐き気、失神、呼吸停止、心停止、脳死、発癌、壊死。普通の人間なら、まず助からない」


 どうやら目の前の構造式は蜂怪人の毒の成分らしい。

 空峰さんが説明に合わせて立体映像を操作すると、その成分が人間の体内に入った時の検証映像が再生され、イメージの人間はあっという間に絶命する。イメージとは言え、その人間が置かれている状況が自分の体だと思うとゾッとする。


「怖ぁ」


 じゃあなんで俺は……って、俺、普通じゃなかったわ。


「お前の場合、多少、神経の動きに変化があったが、改造された肉体のおかげで死に至ることはなかったようだな。お前に埋め込まれた“特殊な細胞”が毒に対抗できるよう変異して体内に抗体を作ったようだ」


 つまり、改造された身体のおかげで、俺は命拾いしたというわけか。

 ……なんか複雑な気分。


「でも今、全身スゴい痛いんですけど?」

「神経毒には違いないからな、身体の神経に作用してるのが、痛みとして伝わっているんだろうな」


 また空峰さんがホログラムを操作すると、今度は俺の容態を表したと思われる電子カルテと人体図が現れた。

 空峰さんが人体図のホログラムに触れると、その人体に描かれている神経が強調され、その横に白血球やら赤血球やらALT(GPT)やら、心電図やら節電図やら……とにかく俺の身体検査の結果と思われる何かの数値やグラフが次々と出現した。


「けどまぁ、検査結果は前回と変わらないし、症状も落ち着いてきてる。しばらくすれば痛みも治るだろう」


 そう言って、空峰さんは端末の電源を切って、ポケットにしまった。


 身体の痛みは気になるが、治るというなら、とりあえずはそれで良い。


「良かったです……俺が気絶した後、どうなったか聞いてますか?」

「報告は後で担当のヤツに聞け。俺の仕事は患者の治療だ」


 むぅぅ。やっぱりすぐにはここを出られそうにないな。

 仕方ない、質問を変えよう。


「じゃあ、俺の他に怪我人は?」

「いや、本部に運ばれたのはお前だけだ」


 ということは、悠希や沙織達はとりあえず無事なのだろう。


「さぁ、分かったら横になれ。お前の意識が戻ったのは、俺が上に報告しておくから、お前はしばらくは安静にしてろ」

「分かりましたよ」


 けど、起きたばっかりだし、横になったところでなぁ。身体も痛いし……。


「あの、麻酔とかって打ってもらえたりは?」

「できるわけねぇだろ。ただえさえ未知の神経毒で神経が普通じゃなくなってるってのに、下手に麻酔なんて打てるか」

「ですよねぇ」


 アナフィラキシーショックとか起こっても困るしなぁ。


 ため息をつきつつも、俺は言われた通り、また横になった。

 俺が大人しくベットに寝たことを確認した空峰さんは、身を翻して部屋の出入口へと向かう。


「そういえば、今って、いつですか?」

「今は、土曜の夜2時半だ」


 てことは、あれから俺は六時間以上も寝てたのか。


「夜勤、お疲れ様です」

「気にするな。その分、金はもらってる」


 空峰さんは振り替えることなく、そのまま手を小さく振って出ていった。


 そして再度、ここの病室の扉が厳重に閉まる。あの扉はちょっとやそっとの衝撃では、傷ひとつつかないようにできている。


 ここに入れられる患者がどんな症状を持っているのか、前回入れられた時に聞いた。


 この病室は、反抗的な人間や錯乱した超人を治療するための場所だ。だから患者が暴れても逃げられないようにできている。

 凶暴な怪我人や精神の異常が疑われる患者がガーディアンズ本部に搬送された時には、この特別病室に入れるのが、ガーディアンズの規程だ。ここに入れられた患者は正気が確認できるまで外に出ることはできない。

 前回、肉体改造された時も、俺はここに入れられた。どうやら今回は、神経毒が脳にも異常をきたしている可能性があったために一時的にぶち込まれたようだ。


 正常な患者の身としては、まるで牢屋に監禁されているようで何とも言えない気分だが、ガーディアンズ側としての考えも分からなくないので、まぁ仕方ない。

 実際、俺の思考はハッキリしているし、朝には出られるだろう。


 空峰さんが出て行って、病室の中は常夜灯だけを残して消灯し、静寂に包まれた。

 眠気も特に感じない俺は、ぼぉーっと天井を見つめ、俺が駐車場で気絶して、それからどうなったのか考える。


 俺の他に運ばれた人がいないってことは、他にあの場で怪我人や死傷者は出なかったってことだろう。

 とすると、蜂怪人は無事に沙織達の手によって倒されたのかもしれない。

 まぁ、あの怪人も俺達三人があの場に駆けつけた時には、すでに結構ダメージを負ってた感じだったし、キューティズがトドメをさしていても別におかしくない。

 仮に何かトラブルがあったとしても、周辺には玲さん達も待機していたわけだし。何かあれば、すぐに対応できただろう。


 結果、怪我人は俺ひとりだけ。

 駐車場が半壊しただけで、一般人の被害もなし。

 うんうん、上々、上々。


「はぁぁ……」


 なんて考えてみたものの、要は、怪人は沙織達に倒してもらい、俺は何もできなかったってことなんだよなぁ……。


「…………だっさ」


 身体の痛みとは別に、自分の中にあるモヤモヤしたものを感じながら、俺はひとりボソリと言葉を吐いた。




 ***




 深夜。日本のとある街。

 高宮町からずっとずっと北へ向かってところにある、そこそこ賑わった街がある。海に面して鉄鉱石が取れたおかげで過去に鉄鋼業が盛んだったの街には、港と隣接している大きな製鉄工場がひとつある。

 その製鉄所は、一時は日本の産業を支えるまでに至ったが、エネルギー革命により需要がなくなると同時に衰退の一途をたどり、今はただの廃工場と成り果てた。

 それでも少し前までは細々と稼働していて作業員が汗水垂らして活気のあったのだが、工場を管理していた会社が経営難で倒産した。手入れのされていないプラントは潮風であっという間に錆び付き、中の設備も廃材と化して、すっかり寂れている。

 土地は広いが、かといって多額の土地代や設備の撤去費用を出そうとする者はおらず、今では街のお荷物となっている。


 そんな廃工場を見下ろすように、敷居の外から眺める人影2つ。


「アイツがあそこに?」

「あぁ、過去のノーライフにはない生体を見せている。なかなかに興味深い」


 人影の正体は、雪井彰人とヒューニである。

 前日に高宮町にいたこの二人は、どういうわけか町から程遠いところにあるこの場所にやって来ていた。

 お互いの服の裾が夜風になびく。片や着崩れたスーツにトレンチコート、片やファンタジーなドレス。街中では目立つであろう格好をした二人だが、深夜とあって周囲に他の人間はおらず、彼らに気づくものはいない。


「まぁ、すぐにあの娘達とガーディアンズに駆除されるだろうがね」

「いいの?」

「構わないですよ。私が実験で知りたかったことは確かめられたし、今は“こっち”の実験の方が大事です」


 そう言って、雪井は試験管を三本取り出した。その中には米粒ほどの大きさのノーライフが一匹ずつ入っている。


「さて、帰って実験その2に移ろうか」


 二人は身をひるがえして、その場を後にする。

 しかし一度ヒューニは立ち止まり、廃工場の中にいる“何ものか”を意識して目を向けた。無表情ではあるが、その眼は憂いを帯びているように見える。


「…………倒せたら良いわね」


 そう呟いて、ヒューニは雪井の後に続く。雪井が彼女の呟きに気づくことはなかった。

 やがて二人の姿は深夜の闇に消えた。







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