第36話 病んだ感覚





 戦いが終わり、俺は変異者だった高校生の少年を抱えて浅瀬から河川敷へと移した。幸い、息はちゃんとある。

 しかし砂利の上に横にした少年の体は、制服の上からでも分かるほどボロボロになっていた。擦り傷や切り傷、軽度の出血、青痣、腫れなど、あまり見ていて気分の良いものではない。意識がないにも関わらず、体を動かすたびに少年の表情が苦痛にゆがむ。

 何の罪もない一般人がこんな目に合っているのかと考えると、胸の奥にずっしりとした何かが引っ掛かる。

 しかも、この傷を作った一因は、他でもない自分だ。なおタチが悪い。


「本部、こちらファング。変異者を沈静化させた。至急、救護班を頼む」


 ファングが通信機で本部に応援を要請した。対応が手慣れているあたり、いつもやってるんだろう。


「大丈夫か、ソイツ?」

「あぁ、外傷はひどいが、とりあえず息はしてる」


 俺の返答を聞いて、ファングは安堵した。マスクで表情は読めないが、さっきより張り詰めた雰囲気が穏やかになった気がする。

 しかし、そう思ったのも束の間、倒れている少年の様子を見ると、なぜか再び彼女の雰囲気が変わった。


「あ、あのぉ、はやく助けてくれませんか?」


 ふと聞きなれない声が聞こえた。声のした方を見ると、変異者の糸によって拘束された男子高校生が助けを求めていた。その少年の服装は、変異者だった少年や、周りで気絶している被害者たちと同じ制服だ。

 友達かクラスメイトか、あるいは同じ部活の仲間か……。

 

「……あぁ、今はがすよ」


 俺は少年の元まで行き、張り付いていた糸を力づくで引きはがした。糸はねじ止めでもしてあるのかと錯覚するほど、強固に地面へ張り付いていたので、はがすのには結構な力を要した。


「ふぅぅ、助かったッス。ありがとうございます!」


 拘束から解放された少年は立ち上がると制服についた砂利や土を手で払う。口では礼を言っているけど、顔が自分の体に向いている。周りの学生たちに比べて、そんなに怪我をしていないことから推測するに、この少年が襲われる直前にオータムが現場に来たのだろう。


「あれ、何だったんですか?」


 服装を整え、少年は俺の顔を覗き込むようにしながら訊いてきた。その眼差しからは変異者のことよりもヒーローが目の前にいることの方に興味が向いているのが分かる。

 変異者だった少年のこととか、周りで倒れてる仲間のこととか、他に気にすることがあるだろうに……。


「後でガーディアンズの係の者が来る。詳細はその人達から聞いてくれ」


 多分、機密事項ってことで何一つ答えてはくれないだろうけどな。


「そうッスか……」


 少年は望んだ回答が返ってこなかったことに不満そうな顔をした。そして俺が相手にしてくれないことを察すると、近くで倒れていた仲間のところへ向かう。

 その反応を見て、俺はその少年と変異者だった少年が大して親しくないことを確信した。


 まぁ、襲い掛かってきたヤツを心配するお人好しの方が、いまどき珍しいか……。


「大丈夫か?」

「……は、はい」


 俺は座り込んでいたオータムに手を貸して立ち上がらせた。

 いくら変異者とはいえ、あんなバイオレンスな光景を見て平気な人間はあまりいない。魔法少女として戦っているオータムも、相手を出血させたり甚振いたぶったりしているところを見たのは初めてだろう。


「あ、あの」

「……おい!」


 オータムが何か話そうとした途端、ファングの声がその場に響く。

 その場にいた者は、俺や少年を含め全員、変異者だった少年のもとで膝をついているファングに目を向けた。


「お前、コイツが姿を変えるまで一体何してた?」

「えっ! あっ、えーと、その……」


 ファングが問うと、少年が分かりやすく動揺する。その反応で、何か後ろめたいことをしていたのが丸わかりだ。


「オレも素人じゃない。傷を見れば、その傷の原因や威力くらい分かる」


 なんだか、監察医かなにかが言いそうなセリフだな。

 そういえばガーディアンズに入るときに、医療関係の研修があった。ファングもそれは受講済みだろう。

 けどそんな研修の知識などなくても、ファングなら彼女自信の経験からソレを判断できるだろうな……。


「コイツの身体中の傷にはオレ達が付けたもの以外に、素人がつけた痣がいくつもある。それも、まだ新しいヤツがな」


 自供などなくとも、その痣をつけたのが少年であることをファングは見切っていた。

 ファングはゆっくりと立ち上がって冷や汗を浮かべている少年を見る。今の彼女が殺気立っているのは素人でも分かるだろう。加えて、一般人の少年や戦闘経験の浅いオータムにとっては、表情の読めないマスクが、ひときわ恐怖を引き立たせていた。


 ゆっくりと歩みながら近づいてくるファングに、少年は思わず後ずさりした。


「ちょっと!」

「待て待て」


 俺は止めに入ろうとしたオータムの腕を取って制止させた。


「ここはアイツに任せるんだ」

「でも!」

「大丈夫、ファングもプロだ。悪いようにはしないさ」


 ……多分な。


 俺たちがそんなやり取りをしている間にも、ファングはゆっくりと距離を詰め、少年の前で足を止めた。


「……うぅ!」


 ファングの気迫に圧倒され、怯えた少年はその場で転んで尻を地面に打ちつけた。


「もう一度訊く。お前、アイツが姿を変えるまで一体何をしていた?」


 少年を見下ろしながら、ファングは問う。


「うっ。そ、それは…………そんなの、アンタには関係なっ!」


 少年が言い切る前に、ファングは息を深く吐きながらギュッと拳を握る。


「ひっ!」


 保身からか少年は虚勢を張ろうとしたが、ファングの威圧に委縮した。

 ただ黙って佇んでいるファングがマスクの下でどんな表情をしているのか、この場にいる誰にも知ることはできない。付き合いのある俺でさえ、悠希が今どんな思いでそこにいるのか、そのすべてを推し量ることはできなかった。


「ひとつ忠告しておくが……人を殴って平気でいられるような人間は、もう健常じゃねぇ」


 そのファングの声は河川の音が響く中でも、とてもよく聞き取れた。


「カウンセリングでも受けるんだな」


 そんな言葉を言い残し、ファングは身をひるがえして足早に歩を進める。自分に向けられた殺気とその場の緊張感から一気に解放された少年は、大きく脱力してその場に倒れ込んだ。


「おい、どこ行く?」

「帰る」


 俺の問いに端的に答え、ファングはそのままその場を後にする。

 河川敷を歩き、徐々に小さくなっていくファングの背を、変身を解いた秋月は、ただ黙って見ていた。






「もしかして私……」


 その後、ここまでの一連のことを振り返ってか、秋月がポツリと呟いた。


「……どうした?」

「あぁ、いえ……!」


 独り言で留めておきそうな様子だったが、片腕を撫でている彼女が何かに怯えているように感じて、俺は訊ねた。


「どうしてあの人が敵をあそこまで傷つけるのか……最初はそういう少し危ない人なのかと思いましたけど、さっきの感じだと多分そうじゃないと思ってて……」


 まぁ、アイツは口が荒いし、そんな風に誤解してしまうのも無理はない。


「もし、傷つけることがあの怪人だった少年を助けるためだったのだとしたら、それをする前に彼を倒そうとした私は、何か大変なことをしてしまうところだったんじゃないのかって……」


 さすが秋月、聡いな。

 おそらく、自分が“人を殺しかけたこと”を察しているのだろう。俺もファングも口にはしなかったが、

実際、少年の身体にある切り傷はオータムのブレードによって付けられたものだった。


「……まぁ、君たちはハデスの戦いに慣れているし、それも仕方ないさ」


 何事にも今までの経験をもとに事へ当たるのは人間のさがだし、そもそも変異者についても知らなかったわけだ。

 それが転じて、今回のような顛末となるのも無理はない。


「結果的には無事に済んだことだし、あまり気にすることないさ」

「…………はい」


 そんな話をしているうちに遠くの方から聴き慣れた車のエンジン音が聴こえてきた。

 ガーディアンズの救護班が乗っているバンが到着し、中から各エージェントが様々な医療道具を携え出てきた。皆、ガーディアンズ独自の救急服を着ている。そのうちの隊長と思われる一人が俺のところへ来て一礼した。


「ガーディアンズ救護班、現着しました」

「お疲れ様です。変異者だった少年はあそこです。他にも変異者に襲われたと思われる被害者が数名います」

「了解。これから周辺に規制線を張ります。あとは我々にお任せください」

「はい、お願いします」


 俺はいつものように後始末を専門のエージェントたちに任せる。

 ここで通常ならスーツを解除してその場を後にするところだが、秋月がいる手前、そうはいかない。


「あとでエージェント・ゼロから何かしらの話があるかもしれないが、とりあえず、今回の件は君たちとは関係のないことだ。今日は早く帰って、ゆっくり休むといい」

「……はい」


 俺が帰路につくように促すと、秋月は小さく頷いた。

 そして少年たちが救護されている現場の後処理の光景を目に焼け付けるように一瞥した後、彼女はゆっくりと歩みを進める。

 俺は帰っていく秋月の姿が見えなくなるまで、その場で彼女を見送った。

 その時の秋月の後ろ姿からは、ハデスやノーライフが好むような負のオーラが出ているように見えた。




 ***




 その後、帰り道で一人、秋月は戦っている時の手の感触を思い出すように自身の手を見つめていた。


《どうしたの、麻里奈?》

「ううん、何でもない」


 暗い顔で手を見つめている秋月に、ミーは首を傾げるが、当の本人は何事も無いように振る舞った。

 しかし、その振る舞いも一時的なもので、しばらくすると彼女の表情は再度曇る。


 魔法少女になる前には感じることのなかった“剣を握る感覚”は、今の彼女にとっては、すでに日常的なものとなっている。

 その感覚を持ってノーライフを斬ることに、彼女はまったく違和感を覚えなくなっていた。


「……私も、普通じゃなくなってるのかな」


 いじめの少年に吐いたファングの言葉は、秋月の心にも突き刺さっていた。










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