108.神の一撃(ハナ視点)
辺りの誰もが、その場に這いつくばる。
中には、机に叩きつけられて身動き取れなくなった人もいる。
その人が、一言を発した瞬間、それは起こった。
絶対的強者の、圧倒的威圧感。
まさにそれが正しい言葉だったんだろうと、それは後になって、思う。
なぜなら。
この日、ここに。
愚かな女の心無い一言で、起きたそれは。
神の怒り
と、のちの歴史書にも描かれることになるのだから。
「……おめぇさ、今、なんつった?」
威圧が、威圧で終わらず、人に、土地に、空に。すべての事象に。
すべてにまとわりついて、すべてが首を垂れる。
誰に。
それは一人の人に。
人であるかも怪しいその人に。
神の使徒。
そう言っていた、いつも優しい女性が。
始天ソラさんこと、キツネさんが。
短いその言葉で、怒りをむき出しにした。
それは、逆鱗に触れた、が、もっとも似合う言葉だった。
「き——きっ……キッネ……——さ、ん……っ!」
必死に抗う。
潰れてしまいそうな体を、覚えたての身体強化で抗う。潰されないよう、壊されないよう。
辺りも圧し潰されて息も絶え絶えの人が多数いる。私はまだましなほう。少し離れたところにいて、身体強化のスキルだってあるから。
私よりキツネさんに近い数人が心配。誰もが直前のアズさん達の言い争いで離れていたのが功を奏した。
辛い。きつい。人の心配なんてしていられない。
でも――
「し、シレ――さ、んっ!」
――護らなければ。
ここにいる、罪のない人を、護らなければ。
「補助魔法【物理防御壁】」
「補助魔法【魔法防御壁】」
魔法。
シレさんと共に、辺り一帯に、壁を張った。
張った瞬間にふっと抜けていく魔力に、目の前がくらくらする。
シレさんほどに魔力総量のない私が、喫茶【スカイ】を覆うほどの魔力量をずっと放出はしていられないことを理解した。
だけども、幾分かは楽になった。
息もできない濃密な圧迫から、なんとか息はできる程度の圧程度だけど、これで死者が出る可能性は低くなったと思う。それでも、お店のお客さんたちみんなが必死に耐えているのがわかる。
アズさんもキッカさん――キツネさんのそばにいる二人は、まだ辛そうにしていた。
あの二人は、事の元凶の近くにいたから私達より威圧の影響下にいることがわかる。
いい迷惑だ。楽しむために来たのに、文字通り酷い目にあわされてるんだから。
「ぐっ、くぅぅっ!」
その威圧感をもっとも受け、店内の真ん中あたりで蹲るのは、キツネさんの怒りを買った、聖女。
護衛は、白目向いて倒れ込んでいる。それを見て、聖女だから、勇者だから剣聖だからキツネさんの怒りの威圧に耐えられたんじゃないかと思った。
ヤンスさんはまだ耐えられてるけど、いつもみたいにヤンスれないみたい。
今の状況はおいておいて、巻き込まれてるアズさんやキッカさんには悪いけども、聖女がそのような状況に陥っていることにはどこか清々しさを感じた。
何がキツネさんの怒りを買ったのかまではわからないけど、聖女の言葉は、とにかくひどい暴言だった。
これが、聖女なのかと。
神を奉じる聖女ならば、もっと誠実に潔白で清廉であるべきなんじゃないかとも思うけど、それは私達が理想を押し付けたり、ラノベを見すぎていただけなのかもしれない。
「さ……詐欺師が。我が、神を蔑む、愚者め……」
でも、実力はあるのかもしれない。
あんなことを、未だに言って、耐えているのだから。
アズさんもキッカさんも、身体強化で必死に耐えてる。何より、二人とも威圧から逃れようとずるずると体をゆっくりと動かしてキツネさんの背後に向かおうとしていることが凄い。
多分キツネさんもそこは意識的に緩くしてくれているのかも、なんて希望を感じた。
……あ、違う。
キツネさんの背後、キッチンそばにいるミィさん達がアズさん達を助けようと手招きしていた。
どうやらミィさん達は無事みたい。
「だからさ。おめぇがさっきから言ってる、その勘違いは、なんだってんだって言ってんだよ」
普段のキツネさんとは違う、ガラの悪そうな言葉遣い。元々男の姿が本来の姿だったってキツネさんは言ってた。男性部分が出ちゃったのかもしれない。
いつも楽しそうなキツネのお面さえも、今は怒りに満ちて怒っているかのようも見えてくる。
「でもよ。そんなことよりも――」
キツネさんが、一歩、歩く。
みしりと、その一歩に、床が大きく軋み、店内の壁や天井が揺れる。
また一歩。
びきりと、壁に亀裂が走るような音が聞こえる。あれは家鳴。きっとそうだと、言い聞かせる。
私達が張った障壁にも圧がかかる。
ぱきりと、魔法で作った障壁って、あんな音がして壊れていくんだ、なんて不謹慎なことさえ思ってしまう。
「――お前さ。人の大事なもんに、なに暴言吐いてんだぁ?」
倒れ込んでいる聖女の襟首を掴んで、猫のように持ち上げられた聖女は、下から覗き込むよう、キツネさんに至近距離で睨まれる。
びくりと、聖女がそのキツネさんに恐怖したのを感じた。
「あ、あなたが、我らの神を、陥れるような、ことを――」
「だから、なにもやってねぇって言ってんだよ。それによ、そこに怒ってるわけじゃねぇよ」
ぐいっと、その姿勢のまま聖女が向けられた先には、ラーナさんがいた。
ラーナさんは、少し哀しそうに、「だんなしゃま、きにしないからいいのよ〜」と、その可愛い顔に、キツネさんの怒りを抑えてもらおうと苦笑いと笑顔の中途半端な表情を浮かべている。
どうやらこの威圧は、ミィさんやマイさん、ラーナさんといった、古参の人には効果を及ぼしてないらしい。店内の中でもキッチン側——キツネさんより奥にいるからなのかもしれないと思いたい。だからアズさんやキッカさんを誘導していたんだ。
でも、もしキツネさんが身内だけを威圧していないのだとしたら、私達は身内ではないと思われているのかと思って、少しだけ悲しかった。とはいえ、身内ではないことは確か。私達はただ保護してもらってるだけだから。とも思う。
私もシレさんと一緒に、ずるずると、キッチンのほうへと向かう。
ヤンスさん? あれは今のところ自業自得なのでそのまま威圧を食らったままでいてもらおう。
「なれてるから、いいの。ひつじは、そういわれてるから。いわれなれてるの」
そう言うラーナさんはやはり哀しげで。
そうですよね、と私は思った。
聖女は、さっき、ラーナさんを見て、人として扱わなかった。羊族全体を侮蔑する差別的扱いをした。
愛玩動物、と。
「な、なにを……」
「だんなしゃまとかまわりのみんなはちがうけど、みんなそういうから」
ラーナさんはケチをつけられた自分が作った料理を持つと、「わたしがつくったりょうりだから。ごめんなさいなの」と言ってキッチンの奥へと消えていった。その背中が寂しそうで、いつも美味しい料理を作ってくれているラーナさんが差別されていることに、キツネさんじゃなくても腹が立った。
「フォールセティを崇拝してるなら、その神が創った種族を蔑むなんてこと、普通するわけねぇだろ。神教のトップに近い聖女が言っていい言葉かそれは」
位が高ければ高いだけ、言葉遣いには注意が必要。
ただ、当たり前のことをキツネさんは言った。
それを理解している上で、聖女は、貶めるだけの言葉をわざと発したのだと分かるから、キツネさんは怒っているんだ。
それが、キツネさんが大事にしているラーナさんに向けた侮蔑だったから、尚更。
「わ、私が、悪いと? あの愛玩動物と私達を同列に扱えと……」
それでも改めない聖女に、キツネさんは、トドメを刺した。
「……フォールセティ。ことと次第によっては、お前そのものと世界も見限るけど。そこんとこどう考えてる?」
店内に響くような。
誰か。遥か遠くにいる誰かに声をかけているかのような。
誰の耳にも聞こえているだろうその声。すぐそばで語り掛けられたかのようなはっきりと聞こえるキツネさんの声。
「人間族が、同列同属である羊族を蔑ろにしてるこの状況を、お前はこれからも見捨てるつもりか。よりにもよって、私の大事なラーナを悲しませて。何考えてんだ? それがお前が作った世界の理か? そういうならてめぇにもしかるべく罰を与えるぞ」
私は、気づく。
キツネさんは、人じゃない。
人の姿をした、別次元の存在だって。
言葉としては聞いていた。
だけど、それを、理解していなかった。
キツネさんは、いつだって、私達を助けてくれる。
だから、勘違いしていた。
キツネさんは——
「神に罰……っ!? あ、あなた……やはり、我が神を愚弄——」
<おやめなさいっ>
頭に直接響くような、大きな声。
後日確認すると、その声は、王都全体に響き渡っていたと言われるその大きな声に、誰もが言葉を失った。
人ではない声。キツネさんの声に応えるかのように響いた声。
その声に、
「あ。あ……まさか……そんな、フォールセティ様……?」
聖女が、わななく。
聖女が声の主を呟いたことで、誰もがぎょっとした。
神の名。
こと信仰する神に対して、聖女が嘘を吐く等はない。だから聖女がその声を自身が崇めるフォールセティ神だというのなら、それは間違っていないのだと。
神が。
依り代や媒体、受胎——降神具に降ろさず、それらを無視して降誕、降臨するなんてこと、あり得ない。
しかも、キツネさんには失礼だけど、王都の王宮そばの町中で、冒険者が屯してお酒を飲んで騒いでいる上品からは遠いこじんまりとした喫茶店で、そんなこと、起こるわけがない。
ましてや、それが王都全体に響く声だったのだから。
神託とは違う神の声。
それは神を信じるこの世界の人達からしてみれば、どれだけ衝撃的だっただろうか。
<始天様。どうか。どうかそのお怒りを、お鎮めください。下界に、近辺に影響が出ております>
なのに、またもや。
声が直接耳に入って脳が認識する。
そのフォールセティ神と言われた声は、どこか冷静で、でも焦っているようにも聞こえる。今の状況に、焦りのあまり声がかすれているようにも、抑揚が失われているようにも聞こえた。
「あんたさ、こんなのを、あんたの声を聞く代弁者として扱っていいの?」
「こ、こんなの……し、し、失礼なっ!」
「創造主が作った等しく慈しまれるべき存在を、貶める輩が、失礼もなにもねぇだろ。今フォールセティと話してんだ。お前ごときはおよびじゃねぇんだよ。ちょっと——」
<始天様っ! お待ちを——っ>
キツネさんが、腕をあげて——
「だまってろ」
——振り下ろした。
その日。
喫茶【スカイ】周辺——王城へと向かう八橋の一橋と、王城を護る第一壁も含めて。
王都から、一区画が、消えた。
吹き飛んだ。
それが正しい表現だと思う。
腕を振るうという、その動きに、周辺の音は消え、辺りに光が満ち。
そして、溶けるように、その区画は、静かに吹き飛んだ。
唯一の救いは、王城までの橋のそばは、水辺のようになっていたから、人的被害はなかったこと。
喫茶店にいた私達は、まさに目撃者。
その一撃を起こした当人のもっとも近くで、その事象を見ることしかできなかった、被害者でもある。
これが、キツネさん——神たる存在の、威圧だけの一振りが起こした事象だってことは、後世の人は、誰も信じられないだろう。
それは、当事者と、当時を知る人以外だけが知る、正真正銘の——
神の一撃
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