106.聖女・セフィリア 1(アズ視点)
からんころん。
その音は、前の世界で聞いたことのあるような独特の音だった。
どこで聞いたのだろうと、瞬時に脳内を駆け巡る記憶の確認。
ああ、そうだ。
お祭りだ。
浴衣を着た人がよくセットで履いている下駄の音だ。
懐かしいなぁって、頭の中に思い浮かんだ情景は、女性の声の内容にかくも無残に消えていく。
今、ヤンスさんがどこにいるかって、聞いたのかな?
ちょうどヤンスさんに今会ったらどうしようかとか頭の片隅に常にあるところだったので、ヤンスって言葉に妙に敏感な自分に気づいて少し恥ずかしくなった。
どう言い訳しようか、むしろ言い訳する必要もないし。ふと思えば、私がどうしてヤンスさんに弁解しなきゃいけないのかとか。
うん。そうだよ。
ヤンスさんが勝手に私に婚約者がいると勘違いしたのが悪いんだ。
だから今度あったら逆にヤンスさんに謝ってもらおう。うん、そうしよう。
「おい!」
はっと、その音と、喫茶店の入口にいる女性の問いかけに現実逃避のような思考に陥っていた私は、その女性のそばから聞こえた苛立ちを隠していない声にびくっと体を震わしてしまう。
先程までうるさかった店内が、嘘のように静かに。
誰もが喫茶店の入口を見ている。私もよく見てみると、護衛を数人連れた女性がそこにいた。
綺麗、という言葉が似合う、透明感のある金髪の女性だ。その金髪は、耳を隠すような薄い布と帽子で隠されてるけど、その隠され方がより神聖さを醸し出している。なんだっけあのどこかのシルクロードを歩いた徳の高い法師様がつけていそうな帽子。
その服装は、キツネさんのような巫女装束のようないで立ちだけど、きちっとしているというか、清潔感のあるというか……いやいや、別にキツネさんが汚いとかそういうことを言ってるんじゃなくて。
清浄。
まさにそんな言葉が似合う女性。
「聖女様が聞いている。答えよっ!」
ぽかんと、その女性に驚いて誰もが言葉を失った。
その聖女という女性の背後の護衛が、騒いでいる。
聖女。
それは、学園で聞いたことのある名称。
もちろん、そこ以外でも聞いたことがあるけど、今はそっちより、学園で聞いたその名称に当たる人の話だ。
北の国。
フォールセティ神を信仰する、シンボリック神教が治める国。
そこでは神の声を聞くことのできる女性が生まれることが多い。それは信仰心厚い夫婦から生まれることが多くて、生まれた聖女は、シンボリック神教に信仰の対象として預けられて聖女として扱われるって聞いた。
複数人いる聖女の中で、もっとも家格が高く、本人と親族に至るまでに信仰に厚く、且つ鮮明に神の声を聞くことのできる聖女を、その国の教皇としてトップに据えるとも聞いた。
「お前たちのような愚民に、我らの世界を守る聖女・セフィリア・ウル・シンボリック様がわざわざ声をかけてくださっているのに、なぜ誰も答えないのかと聞いている!」
再度の怒声。
聖女様と呼ばれた女性の背後の護衛が一人怒って叫んだことで、辺りは一気に険悪なムードに早変わりした。
そこで私は、止まっていた思考を動かした。
そう。思い出した。
ナッティさんから言われていた要注意人物。
聖女が一人、学園にいる、と。
その聖女の護衛が常に周りを威嚇しているので学生たちが困っていると。その聖女が、次代の教皇にもっとも近い存在だから、誰も手を出すことができないと。
でも、聖女を崇拝し、聖女至上主義の口の悪い護衛たちよりも。
「もう一度、お聞きしたいのですが……私の婚約者のヤンス様がこちらによく来られると聞いているのですが、本日は来られる予定はございますか?」
何より警戒が必要なのは、その守られるべき聖女だって。
なんでだっけ。
なんで警戒するようにナッティさんから言われたんだっけ……。うあああぁぁって言ってて覚えてない自分が恨めしい。
「婚約者……?」
「ええ、私の婚約者。ヤンス・トゥエル・ウル・シンボリック。私の義理の兄で、シンボリック神教の次期教皇である私と、国を共に盛り立てる方ですわ」
思わずついて出た私の小さな呟きを、すっと拾って私をじっと見つめてくる聖女様。
「ああ……そうそう。ヤンス様の行方もそうですが。どなたか。ここに、私のヤンス様に手を出そうとしている輩がいると聞いております。どなたかわかりますか? これだけの人がいるのです。わかる人はいるでしょう? 隠してもいいこと、ありませんよ?」
この喫茶店の中にいる全員に向けて発したように見えるその声は、透き通った、よく響いて心に入り込んでくるような声だった。
だけど、その声を出す聖女様の目は。じっと、私を見つめていた。
向ける笑顔とその見つめる瞳は、睨むように私を射抜く。
なんで?
なんで私を見るの?
聖女の称号を持ってる同属嫌悪みたいなのなら、シレさんのほうを見るべきだし、私が聖女様に睨まれる覚えがない。
ヤンスさんが私とそういう関係だから、とかならわかるけど、私はそんな関係でもない。
……婚約者がいるのに、私と付き合ったりしてたら、それ、私、遊ばれてない……?
ヤンスさんのフルネームを聞いて、「ながっ」って異世界勢の私たち全員を見るんじゃなくて。ただ、私だけを、睨む。目を背けもせず。私もその目から背けない。
それは、明らかに、敵意だったから。
「聖女だか何だか知りませんけど。今日はヤンスさんは来てませんよ。しばらくいやぁなことでもあったのか、来てませんね。もう来ないかもしれませんね」
ずいっと。
イライラ感が募ってきた私は、一歩前へ。
「きさま、聖女様に――っ、聖女様!?」
「あなた……確か、アズ、さんだったかしら? ヴィラン王爵令嬢の従者で転入生の……」
一歩前に出た私を威嚇するように聖女様の前に出てきた護衛を、その守られるべき聖女様が手で制して、私に一歩近づいてくる。
「学園では会ったことはありませんけど、私が何かあなたにしましたか?」
また一歩。聖女様が歩くたびに、持っている杖からしゃらんっと音がなる。頂点の複数の輪っかが鳴る音だ。
その笑顔の奥に隠れた聖女様の瞳には、なぜかわからないけど、怒りが籠っている気さえしてくる。そんな謂れもない怒りを向けられて、黙っていられるわけもない。
睨まれる。背けない。互いに。なんだからわからないけど、背けたら何かに負ける気がした。
それに、こんなに睨んでくるなら。
私のことを知らないってことだって、きっと嘘だ。
「アズ……落ち着く」
「キッカ。私は落ち着いてるよ? 私はジンジャーさんと仲良くなってるシレさんと違って、ヤンスさんに何かされたわけでもないし」
「あ、あれ~? なんで私が引き合いにだされるのかなぁ……?」
「いきなり、私の知ってるヤンスさんかもわからない人の婚約者だって言ってるその人に何も感じないよ。だから、その婚約者を探されている聖女様が、なぜ私を睨んでくるのかがさっぱりです。睨まれたらこんな態度だってとりますよ。初対面ですし」
「あら。睨んでなんていませんよ。だって、睨むこともないでしょう? 私からしてみたらあなたはただの一般人。あなたごときは、私が国に圧力かければ牢獄行きですから相手にもなりません。そうされたいのですか? 入ってみたいのですか?」
「では。どうして私のことをじっと見て、さっきからヤンスさんのことを聞いてくるのでしょうか」
「自意識過剰ですね。私はここにいる皆さんに聞いているのですよ。それとも……あなたが、私の婚約者に手を出そうとしている人なのですか?」
「先ほど言いましたけど、何もされているわけじゃないので、手を出すもなにもありませんし——」
「ん? どしたでヤンスか? なんかあったでヤンスか?」
「——婚約者がいる人と私が、何か起きると思うほうが、その婚約者に失礼だと思いませんか、ヤンスさん」
「ヤンス!? アズはん!? なんでいきなり怒ってるでヤンスか!?」
いきなり喫茶店の入口からさらっと現れたヤンスさんが聖女様の背後に見えて、思わずヤンスさんに怒りの矛先を向ける。
キッカ達が「うわぁ……」って声をあげてヤンスさんを見てる。
イライラする。
ヤンスさんの婚約者っていうこの人にも、ヤンスさんにもイライラする。
「ああっ! ヤンス様!」
聖女様が、私に向けるその怒りを吹き飛ばして、すごいスピードで振り返っては、入り口から現れたヤンスさんに突撃していった。
「げっンス!? セフィ、どうしてヤンス!?」
飛びつかれたヤンスさんは、その胸に聖女様を転ばないよう包んで抱きしめた。その胸の中に閉じ込められた聖女様はとても嬉しそう。その瞳が私をちらりと見て、自分とヤンスさんの仲を見せつけているようだった。
……ああ。
聖女様が探してるのは、私の知り合いのそのヤンスさんなんですね、やっぱり。
そう、言おうとしたけど、声がでなかった。
……なんなの。
自分に婚約者がいるのに勝手に私に婚約者がいるとか言って勘違いしてしばらく来なかったり。
婚約者同士で仲良くしてるのを関係ない私に見せて。
関係ないのに、聖女様は私に敵意を向けてくるし。
婚約してる二人揃って、私に勘違いしないでほしい。
何がしたいのかさっぱりなんだけどもっ!
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