第9話 敗走するジン

ジンは走馬灯を見たとはいえずっと息はあった。それだけではない。意識さえもしっかりとあった。

 アブカスも大佐であり、今のジンのように上半身と下半身に分かれている相手であっても呼吸をしていればそれに気づくことはできただろう。


 しかしジンは地面に落ちた時、薄く気配遮断をかけていた。そう。薄くだ。いつもジンが使っている気配遮断であれば、気配が完全に近いレベルで消えてしまうために、アブカスは気付いたであろう。まだジンが生きているということに。

 だが、今ジンがかけた気配遮断は、存在感を薄くする程度のもの。つまり、呼吸の音や、多少の体の動きといったちょっとした気配を遮断していたのだ。

 ジン自身はまだ気づいていないが、格上から身を守るために、今まで「消す」だけだった気配を「隠す」ことにも成功したのである。


 そうしてアブカスと部下が話しているのを遠目に見ながら俺は思う。

 不死身って本当に死ねないんだね。胴の辺りは物凄く熱いし、今にも叫び出しそうなくらい痛いのに、全く持って死ぬ気はしない。

 しっかしこの離れた体はどうなるんだ?新たに生えてくるのか、それとも一生このままなのか、くっつければ治るのか...

 一生このままは嫌だな...帰ってきたアブカスの部下に捕らえられてしまうしね。


 そう思っていると上半身の傷口から、糸が出始めたのだ。それは薄くかなり近い位置まで近寄らねば見えない程には透明で優しい光を帯びていた。


 その糸は下半身のある位置まで伸びると、次々と下半身に向かって新しい糸がで始める。そうして下半身を少しだけ持ち上げると俺の身体に切り離された下半身が近づいてきてぴったりとくっつく。


 その瞬間俺の体に下半身の感覚が戻って来たのである。ほんの10分ほどの別れではあったものの、酷く久しぶりな気がした。走馬灯のせいなのか、それとも生まれた時から当然のものとしてあった感覚を初めて失ったせいなのか。それは定かではないがとても嬉しかった。ああ、喜んでいる場合ではなかった。

 アブカスの部下が戻ってくる前にここを離れないと。


 こういう時に自動回復は便利だね。

 先ほどまで体を二つに割られ、死にかけてたのが嘘みたいだ。


 そうして今度は全力で気配遮断を発動し、全力で真っ直ぐに街から街道に沿って離れてゆく。

 俺は後ろを振り返ることもなくがむしゃらにサルベキアから離れてゆくのだった。


 それから10分ほど後....

 ジンを収容する為の大きめの箱と、ジンの血を抜く為のロープやナイフそれに布などを持ったアブカスの部下10名ほどと先程アブカスの指示を仰いだ部下が案内をしながらジンの死体があるはずの場所へとやってくる。


「流石はアブカス大佐だな。俺たちをいとも簡単に出し抜いてくれたやつを仕留めるなんてよ!」


「ああ、やはりあのお方は実に素晴らしい。今回の件は大佐にとっては不運だったかもしれませんが、彼ならばひょっとして元帥クラスまで上り詰めるやもしれませんね。」


 部下達は口々にアブカスを褒める。実はアブカス、下の者達からの指示がかなり厚かった。気前が良く、部下に対して変に威張ったりすることもなく、訓練にも自らが参加し自分から汗を流して部下達に指導も行なっているからである。


 そんなわけで部下達の信頼は厚くそれに伴ってかなりの支持も得ていた。


 しかしそんな談笑も長くは続かない。アブカスに指示を仰いだ現在案内役の男は青ざめることとなる。

 ここにあったはずのジンの死体が無いのだ。それもそのはず。ジンは既に逃げ出しているのだから。


 そうして、案内役の男は辺りを見回す。どこにも死体は無い。ならば血痕は?足跡は?何か無いか?と思い探すも見当たらない。


 それもそのはず。実はジンの気配遮断は、自身の痕跡さえも消してしまうレベルにまで発展していたのである。勿論のことながら、ジンはそれを知らないが。


「おいおい、本当にここで合ってんのか?死体どころか、血の一滴も落ちてねぇじゃねぇか。」


 別の部下は言う。


 そんな言葉は耳にさえ入っていないかのように案内役の男は叫ぶ。


「何故いないんだ!奴は確かにアブカス大佐の手によって真っ二つになってここで倒れていたはずだ!!」


「部隊を半分に割るぞ!持ってきた荷物は置いて行ってかまわん!申し訳ないがアブカス大佐には起きて貰わねばならん。半分は私と共に周辺の捜索、半分はアブカス様への報告と増援を呼んでくれ!」


 そうして、残った部下達と共に周辺を探すもジンが見つかるはずもなく。


 そして5分ほど捜索していると、アブカス大佐がやってくる。


「あの少年は生きていたというのか!!???クソっ!あの時もっと入念に確認しておくべきだったか。」


 アブカスは心の底から悔しそうに言う。

 そうして彼は焦りに焦っていたがその場の部下から指揮を引き継ぐと疲れた体に鞭打って指示を出してゆく。

 だがどこの世界にいるだろうか。上半身と下半身が分断されて生きてしかも逃げることの出来る人間が。若しくは協力者の可能性もあるにはあったが、アブカスはそれは無いと思っている。


(そう、何人もあの絶望を生き延びられる人間がいてたまるか!それにあの絶望的な環境を生き延びられるだけの人材は皆こちら側に引き込んであるからな。しかし、あの山脈を越えたことについてもっと配慮すべきであった。しかしあの状態から回復する若しくはあの状態で生きられる技能など見たことも聞いたこともないぞ!)


 アブカスは内心悪態をつく。


「とにかく捜索範囲を拡げろ!まだ彼はそう遠くへは行っていないだろう!俺は一旦報告へ戻る。」


 そう言うや否やまた部下に指揮を引き継ぎ、転移技能の持ち主のいる宿舎へと急ぐ。


 こうして見事にジンはサルベキアの街から逃げることに成功したのであった。

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