8:行く先は闇の中で

「先生も栄も、昇降口には現れていない。たむろしていた私ら全員が保証するぞ」

 という、外履きに履き替えていた真上と同行者の証言によって、疑惑はさらに深みを増してきた。


 当然、俺と一緒に南階段に消える二人を見ている伊草は困惑を露わに。

「え、いや、今さっきっすよ? 私たちが降りてきた階段を……」

「でも、伊草さんと虹珠くんが来るまで、誰もここを通っていませんし……」

 全員が、どういうことだ、と疑問に口を閉ざす。


 追及のためにディスカッションを広げることもしないのは、ひとえに、状況の不可解さと不気味さゆえだろう。

 俺の背筋を撫で続ける、違和感と不和を、皆も共有し始めている。

 栄の、不審な動向。

 栄の、喉に栓をしてしまったかのような物言い。

 栄の、手ぶらであった帰り姿。


 違和感に更なる違和感が上塗りされ、不可解に続けて不可解が重ねられ、怖れに膨らむよう怖れが追随して。

 そしていま、先交屋先生と共に、霞のように消え失せてしまった。


 何も解決しておらず、糸口も見えないまま、新たな状況を叩きつけられている。

 神経を打つ情報の数々に、怖気の背をはい回る速度が増していて、


「これって……」

「そうじゃの。きっと、パパの考えている通りじゃ」


 けれども、その情報で光明が差した。

 天目さんがラッパ状の機械を背負い直して見せるから、思い付きが、少なくとも知恵者と同じ地点にあることを知れる。

 信頼できる同意者というのは本当に心強く、


「……なあ、どういうことだ? お前ロボットだし、わかるだろ……?」

「いやあ……私、数学の証明とか苦手でして……」

 あのポンコツ二人は、本当に心細い。


「つまり、先生と巻先輩は、天目さんが見つけた迷彩を使っている、ってことっすか?」

 意外なことに、胡散臭げにラッパをつつく伊草が、こちらの意図を汲み取ってくれて、


「ああ! 確かに、辻褄はあいますね! ですって、虹珠くん!」

「ほんとだよ。虹珠、なあ? こうだぞ? わかるか?」

 尻馬に乗り込んだライダーたちが、全力でドヤってくる。

 ロボットとオオカミに人権はあるのだろうか、と私刑の法的根拠を求め始めた俺だが、


「うむ、やはり反応ありじゃ」

 神様のから実地調査による神託を受けて、それどころではないと我に返る。

 手に構えたラッパは、間隔の短い電子音を喚きたてて反応が強いことを示している。


「じゃあ、迷彩をかけたまま、ここを通ったってことっすか?」

「そうなるのう……で、だ」

 広い廊下の中央で、ぐるりと一回転。その間、反応は強弱を繰り返しており、最も強く電子音が瞬いたのが、

「体育館方面か」

 おそらくは、その先の屋内プール場。


 先ほど、グラウンドから反応を追いかけて辿り着いた先である。


 全て、辻褄があう。

 真上が嗅ぎ取った、栄に付随する透明な臭いも。

 天目さんが気づいた、学内に迷彩の施された個体がある、もしくは居ることも。

 伊草が不審がった、プールで起こるおかしなポルターガイスト現象も。

 情報がひとところに合流していく。何かしらの結論に行き着く、一歩手前の気配。

 未知の技術によって迷彩を展開している者がいて、それはおそらく、


「マッキーでなければ、その保険医の仕業じゃろうな」


 先交屋先生の行く先を追いかけることで明らかになるはずだ。

 あと、一手。

 不穏と怪訝と疑惑に、解答をつけるためには。

 けれど、だからこそ。


 いかな真実を突きつけられるものか、背を這いまわる悪寒は強まる一方で。


      ※


 照明を落とし、一日の仕事を終えようとしていた体育館は、暗闇であり静寂であった。

 けれど、二階窓からこぼれる月明かりは思いのほか夜を見通させてくれるから、


「誰かいるぞ」

 真上が、オオカミらしく光を瞳にためこみ、プール入口を指さす。

 確かに、小柄なシルエットが扉に消えていき、閉められドア下の滑車が回る音も聞こえる。


「私、鍵閉めたっすよね」

 伊草が首を傾げ、

「鍵は正直……真上さんが合鍵持っている時点で、セキュリティなんか無いも同然ですし……」

「そう、っすね……」

 咎められたと思ったのか、顔を赤くして憮然となるオオカミは、

「追わんでいいのか? 更衣室なんかに隠れられたら面倒じゃぞ」

「そうだ! 急いだほうがいいって!」

 冷静な大人の指摘を逃げ道に、プールへと一目散に駆け出して行ってしまう。


 残る全員が呆れたように目を細め、それからその穂先が俺に向けられるが、無罪だ。俺は犠牲者なんだ。そんな目で見ないでくれ。


「待てよ、真上! 一人でなんか危険だぜ⁉」

 いたたまれないので、俺もオオカミの足跡を追って、退路に逃げ込んでいく。


 照明の落ちたプールはつい先ほどまでの暮れの明かりもないため、非常灯の緑色だけが毒々しく浮かび上がる、夜の風景だ。

 しんと静かで、足音がよく響く。

 プールサイドに立つ真上に並んで、


「二人は?」

「あそこだ」

 指さす先に目を凝らす。

 確かに、大人と子供のシルエットがプールサイドを行き、


「待て!」 

 こちらに気付いたのか、小走りに駆け出す。

 表情は闇に溶けて見えず、息遣いも反響に呑まれ聞こえない。二人がどんな顔をしているのかわかりようもなく、だからこそ、追いつかなければならない。


 何をしているのか。

 何をしたのか。

 どうするつもりなのか。

 どうであれ、巻・栄の意思がどこにあるのか。

 この胸の混乱を治めるために、問いたださなければならないのだ。


 追いかける。けれど、二人は目的地に達したようで足を止め、

「……! おい!」


 ためらうことなく、水の張られたプールに身を投じたのだ。水音も、波紋も、痕跡を一つもたてずに。


 なにを、と更なる混乱に襲われるが、

「逃げる気だぞ!」

 真上の本能が、状況を嗅ぎ取り、

「逃げるって、プールの中に何かあるのかよ!」

「わかんねぇけど、プールに入る前は逃げる素振りだったろ! 逃げの続きに決まっている!」

 シンプルで、明快な答えを投げてよこす。


 水面は夜を映し、何も見えはしない。どうなっているのか、二人の行方だって見当もつかない。

 けれども、完全に同意だ。

 このままでは、という焦燥が胸を焼き、

「先輩!」


 背後から追いついてきたアスリートが、声固く俺を呼ぶと、

「最短でいくっすよ!」

「え、あ、おい!」


 腰に抱きつき、そのまま軽くリフトアップして、勢いのまま、波音を高く響かせてプールに飛び込ませてきたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る