7:帰路

 もう今日は終わりで、帰ったら隣家に訪ねるのだと、油断をしていたのだろう。


「栄」


 呼び止めては見たものの。

 突然の遭遇に、掛けようと思っていた言葉はカバンの底にしまい込まれ、この手に持ち合わせておらず、

「ああ、虹珠か。君が出て行ってすぐに、やっぱり調子が悪いと戻ってきてね。今まで休ませていたんだが」

 先交屋先生の言葉を、受け止めることしかできない。


 どうしてここに、なんで先生と、今までどこに。

 疑問が溢れる。


 好きであると伝えようと、用意していた言葉を呑み込むように。

 様々な言葉が脳裏で飛び交い、混乱に喉がつかえて、形に出来ない。

 振り返る二人の表情は、明かりを消して夜が溢れる校舎の闇に紛れてしまって不明瞭だ。


 けれど、栄はうなだれていて、具合は悪そうで、

「……俺が送っていきますよ。もとより、そのつもりで栄を探していたんだ」

「幸ちゃん、あのね……」

「いや、無理はさせられないから、私が車で送るよ。ご両親も仕事で遅くなりそう、ということだったからね」


 濃く甘ったるい香りを漂わせ、先生は栄の揺れる声と、俺の申し出を遮った。

 夜に隠れた口元が、うっすらと笑みに見える。いつものように、薄く冷たく笑っているのだろう。

 いつものように。

 誤解されるような、冷笑のような、印象点の低い微笑みを、浮かべている。

 けれど、


「家、隣だったな。虹珠も送ってやろうか?」

 誤解かどうかなんて線引き、実のところ当人にしかわからないところだ。


 背筋が、ざわめく。秋の日暮れ、その冷気に舐められたせいなら、どれほど安心できただろう。

「幸ちゃん、みんな待っているんじゃない? 私は大丈夫だから」

 幼馴染の、常にない不安げで呟くような声音も、悪寒の根源の一つ。


 本音を言えば、ついていきたい。心配で仕方がないのだ。

 だけど、彼女は同行を拒否するように、断る理由を示してくる。

 理由を逡巡するに黙り込んでしまって、


「そうっすね。先輩、私と他何人かで帰る約束してるっすから」

 庇ってくれるように、伊草が栄に同意する。


「なんだ、スミに置けんな。帰った後の世話も頼もうと思っていたんだけど」

「あ、そういうことなら、私たち皆でお邪魔するっすよ。どっちにしろ全員は車に乗れないから、歩いて追いかけることになるっすけど」

「それは助かる。じゃあ行こうか、巻」

 と先生は同意をして、栄の背に手を添える。


 二人は、狭いが昇降口に直行できる南階段へ歩き始めた。ちょうど、俺と伊草が辿ってきた道程である。

「幸ちゃん、ごめんね?」

 すれ違ったところで、振り返った栄が微笑みを見せる。


 心配はないと訴える、しかし眉根から不安を拭い切れていない笑みで、

「約束守れなかったよ」

 放課後に話をしよう、という約束を果たせないことを謝る。

「なに、君たちには明日がある。なんなら、今から看病で押し掛けるつもりだろう?」


「うん……そうだね。じゃあ、おうちで待ってるから」

 新たな約束を別れの言葉として、二人が階段に消えていくのを見送っていく。


      ※


 残された俺と伊草は、

「……なんか、変じゃなかったっすか?」

 違和感と、正体のわからない怖気に苛まれていた。


 変、な要素はいくつもある。

 一度保健室を出た栄が、校内をうろうろした後で、俺とすれ違うように保健室に戻っていること。

 その際に幾度も連絡を入れたのに、返事がなかったこと。

 こんな、学内に残る人間が僅かになる時間まで、状態の軽い生徒を保健室に置いていた理由。

 どうしてか、俺の同行を拒む幼馴染の言動。

 有無を言わせない、いつになく強引な先生の態度。


「咄嗟に適当なこと言って先輩のこと引き留めたっすけど、もしかしてファインプレーっすかね?」

 それらの違和感が、二人とさほど親交の薄い伊草にも感じられていること。

 神妙な顔で口を尖らせる後輩は、


「どうだろうな。よくわからないけど……気を遣ってくれたことは嬉しいよ」

「なんすか? 感謝は言葉だけっすか? なんて冗談言ってる感じじゃないっすね」

 人柱からカッパに転じた祖先からの性質を受け継いでいるせいか、危険や死に近しく、鋭敏なようだ。

 だから、二人で違和感の正体に思案を巡らせるが、


「みんなに相談しません? 頭ピンクな先輩方はともかく、天目さんなら何か思いつくかもしれないっす。発明家なんだし」

「確かに、そうしようか。回る頭は多い方がいいし、あの人は間違いなく知恵者だ」

 それなら、自分も帰り支度を整えようと教室方向に足を向けて、

「……なあ」


 怖気の姿が、闇の中で明白に浮かび上がった。


 正体をとらえ、背筋を震わす俺に、

「え? どうしたっすか?」

 心配そうに、後輩が体を支えてくれる。


 いま、目の前で繋ぎ合わさった情報の、そのピースに誤りがないか一つ一つ精査し、


「先輩? なんすか? 震えてるっすよ?」

「いま、あの二人、南階段を降りていったよな?」

 不合のないことから、確信の絵図が広がる。


「そうっすね。昇降口にまっすぐいけるから、先生たちはあっち使うっすよね」

 特別室棟との間にあるため教室移動で生徒たちもよく使うが、登下校時は反対になる教室棟近くの幅広い北階段の利用が主だ。

 詰まるところ、一般教室とは逆方向であり、


「栄のやつ、カバン持っていなかったぞ」

 帰り支度の整っていない生徒が、下校に使うことなどありえない経路なのだ。

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