2:もしもに伴う罪科

「虹珠。君は、可能性について考えたことはあるかい」

 幼馴染の行方を求めて訪れた保健室での、部屋の主からの問いかけである。


 通学用のカバンはあり、学内に居るのは確かだった。

 ならばどこへ、と、俺と真上は捜索を開始。

 まず、昼休みに栄を放送で呼び出した担任を尋ね、そこで保険医の先交屋先生から頼まれて、呼び出しの代行をしたのだということがわかった。


 そこで、頬に怪訝を露わにして赴いた先でかけられたのは、先の言葉である。

 ちなみに、消毒液の臭いが苦手という真上は廊下で待機なので、問答の相手取るのは自分一人だけ。


「可能性、ですか?」

「そう。もしかしたら、ああであったなら、という思考実験の一つだね」

「考えたことだけなら山ほどありますよ」

 直近でも、例の交通事故前に告白をしていたなら、と思う次第だ。

 けれど、可能性という言葉そのものを深く考えたことなどなく、


「一秒後、三日後、十年後。将来における辿りうる分岐の数、ですよね」

「そうだ。いろいろと条件を付けて、こうであったらどうなるだろう、と想像力を羽ばたかせる、生産性の乏しい一人遊びだ」

「生産性って」

「そうだろう? 辿り着きたい場所があるなら、思い描いている時間で、前進をしたほうがよっぽど建設的だ」


 確かに、一理ある。

 今時点より先に広がる選択肢は、可能性という単語より、分岐路と言ったほうがしっくりくる。


「つまりだ。可能性とは、未来に拡散しているものじゃあなく」

 先生は、ひどく濃く甘い香りを振りまきながら薄く笑い、

「未来からしか観測ができない、振り返ればぼんやりとそこにある蜃気楼のような物なんじゃないかな」

「囚われたなら道を誤る、ってことです?」

 はは、と愉快そうに声をあげて、


「虹珠と話すのは楽しいな。最近の子供たちは、こういった益体のない思考実験を倦厭するのか、ひどく即物的でね」

「地に足が付いていない、って言われています?」

「まあ近いが、少なくとも褒めているし、感心しているよ」

 とはいえ、嬉しいとも思えないのは、口振りのせいでもあり、


「それで、栄はどうしたんです? 昼休みにここに来たはずで、その後授業にも出ていないって」

 当初の目的に対し、一切の返答を貰っていないせいだ。

 先生は、おや、と意外そうな顔をして、

「今の話の通りじゃないか」

「え?」

「可能性を網羅したのかい?」


 指を立てる。

「巻・栄は昼にここに来た」

 親指を折り、

「巻・栄は午後の授業に出ていない」

 人差し指を折り、

「巻・栄は学内にまだいる」

 中指を折り、

「巻・栄はここにいない」

 薬指を折る。

 残る小指がゆっくりと曲がっていき、

「いろいろと考えられるだろうが、最後の条件は」

 全ての指が折られ、拳となり、

「巻・栄は今しがた、ここを出て行った、だよ」

 つまり、


「すれ違った、ってことですか?」

 俺の結論に、笑みが少し柔らかく、力が抜けたような色となって、

「なんだい、そういうところが即物的と言っているんだ。もう少し思考を楽しんだらどうだい」

「いや、まだるっこしすぎるでしょ。最後の一言で全部分かったってのに」

「少しくらい遊んでもいいだろう。放課後の保健室なんか、暇の巣窟なんだから」

 悪びれない先生に、肩を落として息をついてしまう。


 いずれ、栄の動向は教えてもらえた。

「なんだかんだ言っても、つい最近事故に会ったばかりだからね。呼び出したのは病院からの診断書が届いたからで、授業に出ていなかったのは顔色が悪かったから休ませていたんだよ」

 いやまあ、普段のハツラツとした様子を見るに、事故のことなんか忘れ去ってしまっていた。

 けれども、考えてみればまだ一月も経っていないのだ。

 病院のことも、体調を崩したのもありうるか、と納得し、心配が沸いてくる。

「ありがとうございました、先交屋先生。栄、調子悪いなら送っていきますから」


 礼を言って保健室を出ようと踵を返すと、ふと疑問が泡のようにわきたち、

「先生。可能性ってのは、蜃気楼みたいだって言いましたよね?」

「ああ。過去を振り返ればぼんやりとそこに見えて、だけど決して触れることはできない。そんな夢幻のようなもの、という考え方だな」

 なにも本心で言ったわけじゃないぞ、と言外に言い訳をする先生に、俺はわいた疑問を投げかける。


「もし、その可能性に触れることができたなら、どうなるんでしょうか」


      ※


 可能性とは、未来において観測しうる、と先生は語った。


 その通りだと、俺は思う。

 何より、未来を見てきたという幼馴染の言葉を知っているから。

 真上が発情のせいで純血の人類が消滅するとか。

 伊草の不調でカッパ族との全面戦争になるとか。

 安貞さんが未来のAIたちの旗印にされるとか。


 などなど、ちょっと想像で辿り着くには正気が邪魔しそうな『可能性』を聞かされ続けてきたのだ。

 つまり、栄は本当に未来を見てきて、


「未来から観測して、別分岐に進んだとしたら、ということかい? 面白いね」

 未来を変えたということである。


 薄く冷たい笑みがほんのりと大きくなり、面白がるように人差し指を宙に回し始めた。

「未来は変わるだろう、過去だって変わるかもしれない、今現在も影響を免れまい。そうして」

 指がぴたりと止まって、

「きっと罰を受けることなる」

 意外ではないが、威力を含む一言が返された。


「不自然をルールに従わず使用したなら、しっぺ返しがあるものだ」

「……それが正しいことに運用されたとしてもですか?」

 栄は、常に世界の破滅を回避する、として介入していたはずだ。本当のところはわかりようもないけれど、嘘であるなんて思わないから。

 なら善くあるために、不自然を使っているのであり、けれど、

「正しい、正しくない、なんて利己的なものじゃないか、虹珠。私が言いたいのはもっと単純だ。そうだな」


 窓の外、夕暮れに染まる秋の空を見上げながら、例えば、と切り出して、

「人は木を伐り、薪をくべ、空を汚しているだろう? 結果、きたない空気に自ら苦しんでいる」

 例えば、

「石油を得るために、地面に刃を突き立て、掘り割っているだろう? 結果、因果関係は怪しくとも、不穏な地震が頻発している」

 例えば、

「豊かな生活のために、工場を稼働させ、不要なゴミを海に漂流させているだろう? 結果、汚染された魚介類で自らの食卓を汚している」

 つまり、


「正しかろうが、不自然は不自然だ。運用したなら、いずれかの形で理からのしっぺ返しがあるだろう」

 と、愉快気に足を組みなおし、

「まあ、人は調子に乗っては謙虚になって、を繰り返して自然と共存してきたんだ。先の例も、そういう経緯を辿っているだろう? 致命に至る前に、自浄作用が働くと思うのが、私の考えだ」

 知的興奮に血の巡りが早まったのか、香水の甘い香りが一層に濃くなって、


「だけど、過去に触れることに罰があるとしたなら、どんなものだろうか、ね」

 冷たく薄く、笑うのであった。

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