5:この身を縛る鎖の形
安貞・希刹の背を追って、俺は旧市街を頭低く進んでいた。
旧市街、なんていっても直近の地区が再開発で道も店も大きく新しくなった煽りがあって、昔の風情を残すのはごくわずかな区画だけだ。
そんな時の流れが滞る、寺社の並ぶ細い道路を彼女はまっすぐに歩いていく。
文字通り聖域であるこの一帯は工事の手を免れ、板目が美しい塀や子供らのはしゃぐ声、奥様方の井戸端会議など、古く雑多で、夕映えに美しく輝く。
だけど、騒がしさや美しさに背を向けるように、彼女の道行きはどこか寂し気だ。
学校での明るさがなりを潜め、義務は終えたと言わんばかりに。
そんな小さな背を眺めながら、俺は、幼馴染の不穏な言葉を口ずさむ。
「誤解から世界が滅ぶ、か」
安貞・羅島博士を殺した、というのは自嘲であり、真実ではなかった。だけど、この情報を以て世界が滅ぶのだという。
見てきた、と主張する栄の話では、安貞・希刹は自責の念に苦しんだ後、自ら命を絶つのだという。そして、近い未来に誕生する現代人が作り出した人工知能がさらに数年の後に人の風聞から先行者が追い込まれたと当該事例を誤認し、人間の責任であると糾弾を開始するのだという。
もしかしたら、発達したAIたちが人間に反旗を翻すため意図的に誤認したのでは、なんて想像してしまうが真実は未来の彼方だ。
どちらにしても、現在において、生命、交通、情報、あらゆるインフラをネットワークに頼っていて、未来となればなおさらだろう。人類は為すすべなく高度技術を手放さざるを得なくなり、敵対者となったAIたちに監視される中で滅んでしまうなど、想像に難くない。
人のために、と笑い、手を貸し、助ける彼女は、そんな未来を聞いたらどんな顔をするだろうか。
思い描こうとして、けれど笑顔しか浮かばないのは、きっと安貞さんがいつも笑っているせいでそれ意外の表情が、俺の中にストックされていないためだ。
父親ともいえる博士に言われて、外せなくなった笑顔の仮面。ロボット三原則に則った、先交屋先生が言うに、まるで呪い。
人のためになることが喜びと君は言うけれど、義務で微笑む君の幸せはどうなのか。
思考が、結論のない問題にたどり着いたところで、
「……お寺?」
安貞さんが、いくつも並ぶお寺へと入っていく。
見失うまいと、俺も小走りで阿吽像の並ぶ門をくぐりかければ、探していた制服姿が墓地の合間を泳いでいた。
気取られないようにそっと後を追えば、一つの墓の前で足を止め向き直った。カバンからごそごそ線香とライターを取り出すと、火を灯して台に据えて煙を昇らせる。
お墓参りの手順であり、自然な流れで頭を下げて手を合わせるが、
「……泣いてるのか?」
その肩は弱く震えていて、眉根は食いしばるようにギュッと寄せられている。
苦しむような機械とは思えない彼女の顔色に、俺は物陰から出て、
「安貞さん」
「……虹珠くん?」
声をかけなければいけないと思ったんだ。
※
「ありがとうございます、博士にご挨拶してくれて」
「いや、手を合わさせてもらっただけだよ」
昇る線香の煙を二本に増やして、俺は気にしないでくれ、と微笑む。
墓石には「安貞家代々の墓」とあり、手入れが行き届いている。
「博士は独身で子供もいなかったせいか、私のことをうんと可愛がってくれたんです」
香る煙を見上げながら、安貞さんは思い出すように語った。
「ご両親も昔に無くしていて、兄弟は県外に……ほとんど天涯孤独でして、こうして娘代わりの私がお世話を任されていて」
自宅に仏壇が用意できるまで、と期限を決めて、こうして通っているのだという。
「人間以上に、人間らしいよ」
「嬉しい言葉です。だけど私はアンドロイド、そうしなければ、と決められて動いているだけですよ。それが喜びでもあるんです」
褒めるつもりで、だけど、揶揄で返される。
それが、俺の不愉快をくすぐってくるのだ。
喜びだというなら。
どうして誰の目もなくなると、あんな寂しそうな背中をするのか。
どうして命令通りに見殺しにした博士の墓の前で、苦しそうに肩を震わせているのか。
「……安貞さんは、いま幸せかい?」
「どうしたんです? ええ、いろんな人たちをお助け出来て、笑ってもらえて、これに勝る喜びはありませんから」
やはり、笑顔を張り付けて、幸せをアピールしてくるが、
「それはアンドロイドの幸せだろ?」
「え?」
笑顔のまま、首を傾げる彼女に、
「君はどうなんだ? 安貞・希刹は幸せなのか?」
「虹珠くん? ちょっと言っている意味が分かりかねるんですけども」
とぼけて見せる彼女に、
「俺はハッピーエンドじゃなきゃ許せないんだ。だから」
虹珠・幸一の価値観をぶつけ、
「やめてくれと懇願されても、君をハッピーエンドの型にはめ込んでやる」
向き直り、戸惑って見開かれている瞳に、覚悟を注ぎこんでいく。
※
彼女を縛るのは呪いだ。
父代わりとなる大切な人を見殺しにしてしまったことへの責念。
そして「人のために」という行動理念。
どちらも、ロボット三原則という、アンドロイドとしてこうあるべき、という考え方から生じていることだ。
「博士の具合が急変した時、君は真っ先にどうしようとした?」
「……博士は元より弱っていました。なので。救急車を呼び、応急処置を施そうと……」
「けれど、博士はそれを拒否したから、君はロボット三原則の第二項から、人間の命令に従って、救命措置を取らなかったんだよね?」
俺の確認へ、安貞さんは伺うよう疑うよう、小さく首を縦に。
「第一項に矛盾しない限り、アンドロイドは人間の命令に従う必要があるっていうのが第二項だ」
安貞さんが言うには、対象者が倒れたのが持病である以上『危害』とみなすことがなかった、故に第二項が適用されたのだとか。
だけど、
「おかしくないか? 持病とはいえ、明らかに命の危機にある状況を見逃すなんて」
「……何が、言いたいんでしょう」
向かい合う彼女の笑顔に、どうにも冷たく感じる作り物めいた感じが強まった。
「病気で倒れたから、危害ではなかった? だから、死に瀕している人を見殺しにしたのだと?」
「はい。ええ、私はロボット三原則に従ったまでです」
機械めいた繰り返しの応答に、俺はやはり、と確信を得る。
だから、
「三原則について、安貞さんは勘違いしているよ」
はめ込むために、言葉を重ねていく。
※
「ロボット三原則の第一項は、人に危害を加えてはならず、危険を見逃してはならない、だ」
「はい。そう認識していますけど、勘違いとは?」
「危険というのは、直接的に命を奪うもの……銃や刃物、暴走する自動車とかだけに適用されるわけじゃあない。だいたい、それらも人間に向けられない限りは危険と見なされないしね。じゃないと、リンゴの皮を剥くこともできやしない」
「そうですね。命の危機に迫らなければ、それらはただの道具ですから」
「ああ。だからこそ、第一項が適用される範囲は広く、複雑だ。例えば、放射能で満たされた空間に人間が入ろうとしたら?」
「止めます。危険ですから」
「なら、毒薬を呑もうとしていていたら?」
「止めます。危険でしょう?」
「じゃあ、体に悪いカップラーメンを食べようとしていたら?」
「止めます。体に悪いんでしょう?」
「うん。じゃあ、毎食に飲んでいる薬をサボっていたら?」
「止めます。お薬はちゃんと飲むべきです」
「その薬に、胃を痛める副作用があったなら?」
「……止めません。飲んでもらいます」
「どうして? 必要でありながら体に悪いのは、カップラーメンと変わらないんじゃないか?」
「…………」
「つまり、すごく曖昧な基準で、第一項が運用されているってことだ」
「それは……」
「最後にもう一度訊くよ? 持病から倒れて苦しむ人間を見逃すのは、第一項に反しないのか?」
「…………」
「危険を見逃すことにならないのか?」
※
「倒れた博士を見つけた君は、ひどく動転しただろう。慌てて救急車を呼ぼうともした」
第一項の定義付から話を変えて、安貞さんの反応をうかがう。
笑顔が、口元の口角だけに残されている。とりわけ目元に動揺が大きく、泳ぎがちだ。
「だけど、博士は君を止めた。手遅れであるし、なにより自宅を最後の場所としたい、と」
どれも、彼女の言葉通りだ。そして、人のためにと語るアンドロイドが嘘をつくことはないだろう。
だから真実のはずで、
「君は迷った。博士を助けたい、博士の言葉を尊重したい、という二律背反に」
そして、結果を見れば、
「迷って、困って、何もできなかったんじゃないか?」
博士の言葉に従った形になったのだろう。
けれど、迷いで大切な人を助けられなかった後悔は大きくて、
「だから、お墓の前で泣いていたんだろ?」
俺が目撃した表情が、何よりの証拠だ。
固い笑みで、安貞さんはこちらを見つめ返す。
俺の目的は、その残りの笑みを剥ぎ取ることであり、
「君に、ロボット三原則は適用されてなんかいない」
ハッピーエンドを見せてやることであり、
「大切な人の命の危機の前で動揺して、傷ついた心を守るために虚構で理論防壁を組み、それでも大切な人と交わした約束を守り続ける……」
真実を、君の心の根を、
「普通の女の子の心が、君を規範しているんだ」
誰かが作ったフィクションの用語なんかじゃなく、心と決断と後悔が、君の行動理念であるはずで、それは、
「人間と、なんら変わるものじゃあないはずだ」
俺は、君の呪いを解こう。
ロボットであろうと縛る鎖を、残らず切り砕いてやるんだ。
※
無理を強いていた、己を誤魔化していた、その自覚があったのだろう。
俺の言葉に、笑顔の仮面は砕け、まなじりは涙で決壊し、喉が嗚咽を漏らす。
その肩を抱き、いくばくか落ち着いたのは、もう空の裾が藍を濃く引き始めた頃合いだった。
「ありがとうございます、虹珠くん。すっきりしました」
上げられる顔は、涙に崩れた笑顔で、けれども義務で被る仮面ではなくなっていた。
暮れの迫る夕空の下で、いやにはっきりと見える彼女の表情に微笑み、
「迷ったのも、笑顔でいるのも、他に理由を求めちゃ駄目なんだ。自分の決断であると、自分の過ちであると、そう認めなきゃ、後悔の消し方もわからなくなっちゃう」
俺の説教じみた言葉に、そうですね、と笑い返すのだから、根本的に良い子なのだろう。
その良い子が微笑み、
「背中から、ギュッとしてくれます……?」
「え?」
「博士が、いつもそうしてくれたんです。それが好きで」
とは言え墓前で? と困惑しながら、消えかけている線香の煙に助けを求める。
が、
「はい、ほら、お願いします。もう、今日からロボットはやめるんで、わがままも言いますよ?」
返事も待たずに背を向け、こちらに押し付けてくる。
しかも、断りづらい殺し文句を添えて、だ。
仕方なし、と諦めたように笑うと、肩上から手を回し、こちらの胸板に抱き寄せる。
戸惑うような微かな抵抗の後に、身を任せて熱を交し合い、
「ああ……なんだか、すごく幸せです……博士が生きていた頃みたい……」
安心を得られた、ということだろうか。
言葉の真意はわからないが、確実なのは、
「……安貞さん? 光ってない?」
これまでにない、発光現象が夕暮れの墓所内で発生してしまっていること。
「や、だって、こんな、もう、我慢しなくていいなんて、ああ……っ!」
「いや、生理現象は我慢しようよ! 心は人間でも、体は破壊光線発射装置なんだから!」
「ええ! そんな、もう我慢しなくていいと思って、臨界突破……あああああ!」
ブラウスをたぐる余裕もなく、宵に光条が伸び走った。
着弾先は、どうも旧多田羅山神社辺りで、急に鳴った携帯電話も『なんじゃあ! おい、パパ! 光が! 光が!』という恐慌を伝えるメッセージを伝えてくれる。
返答はしたいところであるが、いろいろ吐き出してスッキリした安貞さんが、力なくこちらに体を預けてくるのを受け止め支えるので精一杯。
いましばらく、日が暮れるまでこうしていよう。
きっと彼女は心の呪いを解き、けれど新たな呪いをかけたのだろうから。
俺たちにかけられた呪いと同じ。
人として生きていく、という苦しいながら、明日に向かって啓いていく呪いを。
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