4:異物だから

 安貞・希刹は、生徒たちの間において、概ね良好な関係を築いていた。


 明るく社交的で、かと言って目立つわけでもない。加えて労を厭わない性格は、同年代の少年少女たちにとって隣人とするに過度であるようだ。聞く限り、一つとして悪い評価がこぼれることはなかった。

 当然、例の噂を知る者も多かったが、評としては「そんなわけが」であり、どれほどにあのアンドロイドが善く溶け込んでいるかが伺える。


 反して、教師たちは難しい言葉を並べてきた。


 いつも笑顔で捉えどころがない、複雑な家庭事情を慮る必要がある、孤立しているわけではないだろうが孤独に見える、放課後はどう過ごしているのものか、等々。


 どちらの評価も「良い子」に着地するものであって、大人たちがそこに不安を覚えるのは職務ゆえであるし、子供たちの相関を俯瞰できる故だろう。

 生徒間で評判の良い安貞・希刹に、友人と呼べる気配がないとは、教師たちの口にしか上らなかったのだ。


 彼女のことをよく知らなくて、けど学内の誰より深く知っている俺は思うのだ。


 隣人が安貞の違和感に気が付けないのは、安貞さんが義務として被ると言っていた「笑顔の仮面」と、同じ性質だからではないだろうか、と。


 アンドロイドとして浮かべ続ける笑みと、孤独であることをバレないように振舞うこと。

 どちらも、人のため、人に気遣われることのないよう。

 そんな目的があるのだろう、なんて考えるのだ。


 特に、

「またゴミ捨てを押し付けられているじゃないか」

 それとなく気をかけていた放課後に、雑用を押し付けられるのを笑顔で承諾している姿を見てしまっては。


      ※


「それで、こうやって待ち伏せしているわけか?」

 昇降口脇の非常用階段に腰を下ろした真上が、つまらなそうに鼻を鳴らした。


「人聞きが悪いな。見守っているんだ」

「どっちにしろ、やべぇ犯罪者の言い訳じゃねぇか」


 固いコンクリート階段に尻を冷やしながら、俺も真上に並んで腰を下ろしている。広くもない横幅のため、二人並ぶとぎゅうぎゅうだ。

 昇降口からこの階段は背後になるため、青春謳歌のために帰路をはしゃぐ生徒たちからは完全に死角になる。なので、安貞さんを待って、その放課後の様子を確かめようと待ち構えていたのだ。

 が、人狼は持ち前の嗅覚でこちらを咎め、いそいそと近づいてきた次第である。


「また世界滅亡案件みたいだな」

「うん? 栄から聞いたのか?」

「いや。けど、その希刹のこと気にしてたからな。あいつは、わかり易すぎる」

 まあなあ、と苦笑しかけて、今の言葉に違和を覚えるから不審に眉を上げて、


「安貞さんのこと、知っているのか?」

「知ってるも何も……まともな人間じゃないだろ、匂いが」

 鉄とオイルの臭いが尋常じゃなく、

「山の上の天目・一も火の臭いが凄かったけど、それでも血と肉と脂の上に成り立った生き物だったからな」

 安貞さんは、その限りでないということ。


 さすがだなと感心すれば、胸を張って誇示する。まるで飼い主に褒められた大型犬のようなわかり易さだ。お前もあんまり栄のこと言えないぞ?


「けど真上。それをわかっていて、どうして何も言わなかったんだ?」

 何も魔女狩りをしろ、なんて言っているわけじゃあないが、あからさまな異物と共存できている彼女の肝に不思議を思う。

 受けたオオカミは、心底から不可解というように眉を跳ねて、


「どうして言わなきゃならないんだよ」

「いや、明らかに人間じゃない不明なものが、学校に紛れ込んでいるんだぞ? 不安とかないのかよ」

「虹珠……お前、目の前にいるモノをちゃんとわかっているのか?」

「目の前?」


 そうは言うが、鋭い瞳をワイルドに光らせ、ブラウスの胸元は大きく開いて、健康的な長い足を投げ出している、いつもの通りの真上・岳しかおらず、


「ああ」


 と、気が付く。

 彼女もまた、学校に溶け込む人ならざる者であった。

 同類なんだよ、と小馬鹿にするように口元を曲げ、


「それに、ああも真面目に人間をやっているなら、口を出すのも手を出すのも野暮だろ」


 頷ける理由をくれた。

 本人の努力があり、周囲が肯定的であれば、正体を暴くことなんか害でしかない。努力に、信頼に、いたずらなヒビを入れるだけの愉快犯的な行為だ。

 普段の粗野な様子からは意外なほどいろいろ考えているのだな、なんて彼女への評価の上方変化に改めて美しいと評せる顔を見返せば、


「お前が、私に、教えてくれたことじゃないか」

 思った以上に、至近にその美しいまっすぐな瞳が迫っていた。

 驚き、反射で下がるが、すぐに手すりから退路を阻まれ、


「自分を嫌いさえしなければ、って」

 オオカミの前肢が俺の太ももに体重を預け、さらに身を乗り出し、


「彼女はそんな様子もなかったからさ」

 ついに逆の手もこちらに預けられ、


「あとさ、困ったら縋りつけ、って言っていたろ」

 制服越しに、手の平の熱さが増しており、


「私、いま、凄く困っているんだ」

 浅く荒ぶる吐息が頬にかかる。

 濃い熱を発散させる彼女の不穏な様子は、


 ……発情してやがる!


 定期的に発散させているものの、今日は大きな波が来てしまったようだ。俺の臭いに気が付いて近づいてきたのも、そのためだったのかもしれない。

 迫る肉食獣に、退路はない。


「まて、落ち着け……!」

「なんだよ……そう長くは、はぁ、無理だぜ」

 見ればわかる。瞳孔がぐらぐらしているしな。


 加えて、

「安貞さん?」

 目的としていた相手の背中が、下校路に現れていたのだ。

「まて、今日はダメだ! 彼女を追わないと!」

 立ち上がろうと彼女の肩を押し返すが、


「明日でいいだろ、こっちはもう……なあ……」

 負けじと、濡れる瞳で押し込み返してくる。


 そうこうしているうちに安貞さんの背中は遠のいていき、焦る俺は、

「ええい、ままよ!」

 勢いよく首筋に唇を寄せて、甘く歯を立てた。


 犬のケンカを参考にした打開策であったが、

「ひあっ……はあっ……!」

 真上の背中がびくりと跳ね、想定とは違う反応。けれども結果として、オオカミののしかかりからは解放されたので、

「いまだ!」

「っ! おい! 虹珠!」


 腰を抜かした真上を、申し訳ないが捨て置いて、当初の目的へと駆け出していくのだった。

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