3:僕たちの手に乗せられた、権利の尺度

「人間に危害を加えたり、危険を見逃してはならない。

 前項に反しない限り、人間の命令に服従しなければならない。

 前項、前々項に反しない限り、自己防衛を図らなければならない」


 いつも通りの濃く甘ったるい香水を漂わせて、先交屋先生は足を組んで薄い微笑みを湛えて小首を傾げて見せた。

 昼休みに、俺が空腹を捨て置いて訪れたのは、先生が弁当をつつく保健室。

 先日の、安貞さんに噂されている「父親殺し」について、世界が滅ぶという幼馴染の言葉に脅されるようにしてではあるが、事情を知るためだ。


 人の造った物が、人を殺めることはあるのだろうか。

 哲学めいており、実学とするなら殺したと思しき当人にインタビューの必要がある事柄である。さすがに、他人を平気で傷つけるほど人間性を失ってはいない自負があるので、こうして頼れる大人に意見を仰ぐことにしたのだ。

 無論、固有名詞や常識から逸脱した部分は隠し伏せて。


「ロボット三原則ですね」

「良く知っているな。私はファウンデーションが好きでね」

 俺の問いに、先生が返したのが冒頭の引用である。

 アイザック・アシモフの小説に出てくる、AIの行動規定プログラムだ。

 内容の通り、人間に危害を加えず人間に反抗しないための行動抑制と、人の財産である自己の保全を目的としている。


「要は安全装置だな」

 内心、どきりとした。アンドロイド、という単語も匂わせることもしなかったのに、ズバリである例え話をし始めたから。

 偶然だが驚くには十分で、だけど安貞さんの正体についてバレるわけにもいかず、平静を装って話に耳を傾ける。


 箸を指し棒のように宙を泳がせながら、

「人類は危険なものを安全に使うために手段を講じてきたんだ。ナイフの柄にしかり、ダイナマイトの導火線しかり、工業ロボットたちのインターロックしかり」

 他にもまだまだあるぞ、と並び立ててくる。


「よって、人間が作り出したものは人間の手にかかって、安全を保障されるよう進化していくわけだ」


      ※


 結論として、人造物が人を傷つけることは難しい、である。


 では、安貞・希刹が、父である安貞・羅島を殺した、という噂はどう解釈すればよいものか。

 安貞さんが人工物であることは、その体を見た俺は確信を持てる。

 けれど、彼女の朗らかな性格的も博士を語る様子からも、その手にかけたなんて想像できっこなくて。

 情緒面で不可能なら機能面では? という疑問から先生への質問になったのだが、それも安全装置というもっともな理由で否定されてしまった。


 ううむ、と昼飯である焼きそばパンをくわえこみながら唸れば、

「人工物が害を為す、となれば難しいかもしれないけれど」

 助け舟、とでも言うように、先生が別例を示してくれた。

「創造物が害を為す例は、案外に多いぞ?」


「え?」

「ふふ、いい顔だ。なに、冷静に思い出せば、色々と思い当たるはずさ」

 驚く俺に笑う言葉に誘われるように、思索に走る。

 ほどなく、答えを見つけ出し手を打って、

「人間ですか?」


「正解だ。大概の人間は、思春期に自分の創造主とケンカをするだろう? 反抗期、という親離れの儀式だな」

 なるほど、と感心しながらも拍子抜けな答えに、肩を落としてしまう。


 すると、薄い笑みが、面白がるように歪みを大きくして、

「なんだい、お気にめさない様子だね」

「いや、ちょっと下側に意外だったというか、個人の裁量による話だよな、とか思っちゃいまして」

「ふうむ、虹珠はもうちょっと視野を広く、柔らかくした方がいいな」

「は?」


「人は成長する過程で親に挑むわけだ。つまり、豊かな情緒を得ることを成功した種としての本能である。じゃあ、人類という種は成長する過程で、何かに挑んだのではないか?」

 先生の面白がるような言葉に、あ、と息を呑む。


「直接に挑んだ古代の英雄もいれば、間接に挑んだ現代の科学者たちもいる。すべからく、人間としての限界を跨ごうとすると、立ち塞がる者がいるだろう」

 人類の創造主。父であり、母であり、倫理であり、規範であり、機能である、


「神様だ」


 俺の解に、満足そうに箸が回って、

「つまるところ、創造物が創造主に害を為す、その範疇を侵そうとするなんて、頻繁に起こる、起こってきたことというわけだ」

 なるほど、と知的好奇心が満たされるのを自覚していく。


 世界が滅ぶという安貞さんの胸の内についてはまったく関係ない話だが、思考の試しという点で面白い話である。


 神は、人に安全装置を付けなかったのか、と。


 では、と先生は翻して、

「前例を鑑みるに、AIの行動を縛り人間への害をなくそうとする三原則は、安全装置であると同時に」

 口端を、薄く鋭く持ち上げて、


「まるで呪いのようでもあるよ」


 自分たちが行使した権利を後発者に認めないための装置、ではないか、と笑うのだった。


      ※


 昼休みを少し残して保健室を後にした俺は、涼みたい一心で昇降口に足を運んでいた。


 先生の話は、人の倫理やエゴについて突き付けられるもので、酔いを覚えるほどに揺さぶるものだったから。

 頭を押さえて、外履きに履き替えて重いガラス戸を押し開ける。

 心地良い乾いた秋風が、額と頬を撫でて、一息。

 と、俯く俺に、


「虹珠くん? どうしました?」

 横合いからかけられる明るい声に、重い視線を持ち上げれば、

「安貞さん?」


 何やら大きなポリ袋を抱くように校舎へ向かう、件のアンドロイドが驚き顔をしていた。


      ※


「買い出し? 調理実習の?」

「はい。材料を買いそびれた子が班にいまして、代わりに」

 そんな押し付けのような、と思うが、苦にした様子もなく逆に喜ばしげであるから、ロボット三原則の第二項を思い出してしまう。


 とはいえ、こちらは男子だ。重そうな荷物を受け持って、並んで校内に戻っていく。

 上履きを並べてくれる彼女の様子を、まじまじ眺めていると、

「もしかして虹珠くん、私の噂、聞いちゃいました……?」

「……どうして?」

「だって、じっとこっち見ているし、様子もおかしいから」

 伺うような問いかけをされる。


 噂とは父親を殺した、という過激で繊細なものであるから、聞いたとも言い出しづらく、けれども嘘となってしまう否定は一歩で遅れてしまい、

「やっぱり、聞いたんですね」

 人気のない廊下で、さらに耳へ口を寄せ、

「噂は、本当なんです」

 衝撃と十分に形容できる、告白を差し出してきた。


 受け止めた俺は、まさか、とやっぱり、を胸で混ぜこぜになって、足を止めてしまう。

 合わせるよう、彼女も歩みを止めて、


「安貞・羅島は、私が殺したんです」


      ※


 高齢と長年の無茶から体を壊していた安貞・羅島は、ある日、自宅で倒れた。


 唯一の同居人であり、戸籍上の娘であり、自らの技術の粋である安貞さんが、慌てて応急処置と救急車を手配しようとしたのだが、


「博士は拒否をしたんです。自分の命数はここまでで、力尽きるなら自宅の畳の上と決めていたんだ、って」

 薄く濡れた瞳が、記憶をなぞるように泳いでいる。


 俺は、殺したという単語が正確ではなかったことへの安心と、けれど大切な人を失っていることには変わりない彼女への慮りで、口を開けない。

 すると、溜まった涙をぬぐった彼女が、口元の笑みを強引に浮かべて、


「ロボット三原則って知っています?」

 俺の口に引っ掛かっていた安全装置の名前を、露わにしてきた。


      ※


 第二項に曰く、人の命令に服従しなければならない。


「私はアンドロイドだから」


 博士の命令が第一義となり、見殺しになったのだという。

 腑に落ちない点はあるが、


「昨日、人を傷つけられない、って言ったじゃないですか。この三原則のせいなんです」


 じゃあ腹のビームは、と思うところはあるけれど、訊ねても第三項の自己防衛のため、と言い返されるのが透けて見えたからやめておく。

 けれど、そんな辛い悲しい話を、無理にとはいえ笑顔で語る彼女は、


「笑顔でいなさい、って博士に言われたんです。私はアンドロイドだから、命令に従って笑顔でいないと。それに、怒っているよりも、周りの人が優しくしてくれますしね」


 本心から笑っています、とアピールするように笑みを咲かす。

 それは、結局のところ、笑顔ではない。

 笑顔の形を作っているだけだ。


 ロボットだから、作られた感情だから、なんて野暮なことを言うつもりはない。単純に『笑顔でいなければ』といいう強迫に縛られて象っている、仮面を被っているようなもの。

 ロボットだから、アンドロイドだからと、笑いを作る君は言う。


 だけど、俺にはどうしても、そんな誤魔化すようなハッピーエンドなんか許しがたいのだ。

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