10:燃える瞳は前を向くのが似合うから

 頬の傷を塞ぐテーピングを、違和感から指先でなぞる。

 返ってくるむず痒さに傷口の新鮮なことを確かめながら、俺は坂道を昇っていく。


 昨日までの降ったり止んだりな空模様から一転し、今日は高く秋晴れが広がっている。あいにく、多田羅山に繁る木々の葉ぶりに隠れて、垣間見るほどの隙間しかないけれど。

 学校終わりの放課後。物寂しい細い道路を、俺は一人で、足を軽くしていた。


 向かう先は多田羅山公園であり、会うべくはあの人。

 彼女は、遠く。展望台の手すりに体を預け、手には親父殿と呼んでいるプリズムを掲げている。


 砂利を踏む音に気が付いたのか、長身をくるりと翻すと、

「なんじゃあ? お主、今日も来たんか。昨日の今日じゃぞ」

「お邪魔なら帰りますよ?」


 天目・一は、にっかりと笑って見せるのだった。


      ※


 空を避けるように下ばかり見ていた天目さんを、ちょっとした騙し討ちで虹と直面させた直後。


 空を往く親父さんとの対面であったが、中空に身を投げ出した俺の腕を掴んで引き上げるという救助活動のせいで、すぐさま台無しになってしまっていた。


 眉をきりり、と立てて、

「なにしとるんじゃ、お主は!」

 なんて大激怒されもしたが、キレイだな、なんて思ってしまうほどに反省はしていなかった。


 頬の傷はその際に手すりに打ち据えてできた擦り傷で、浅いものの出血が派手だったため、女子二人が動転。天目さんが自宅から発明品の「ジェットキックボーダーWITHサイドボード」というトンチキな板とロープを持ち出してきて、学校の保健室まで搬送されることになってしまった。

 その間に姿をくらませてしまったために、こうしてこの三日で三度目になる、公園訪問と相成ったわけなのだ。


      ※


 並び、缶コーヒーに口を付けながら、俺と天目さんは牟生市を一望する。


 秋の乾いた快い風は、テープに隠れた頬を少しもったいなく思ってしまうほど。

 楽しむように、前髪を風に遊ばせていると、


「だいたいは、お主の言う通りじゃよ」


 不意に、天目さんが口を開いた。

 息を吸うような、水でも飲むような、本当に何気ない調子で、


「本気で親父殿に会えるなんて思ってもいなかったし、プリズムであることなんて突き詰めようとなんかしなかった。やることが無くて、取り上げられるように失って、ただ一つ残っていたものだったわけでなあ」

 己の行いを、逃避による代償行為であったと笑うのだった。


「正味なところ、親父殿の記憶なんかないし、この石も本当に親父殿から貰ったものか記憶は曖昧でなあ……お主なら知っとるだろう? 一目連神のこと」

 突然の名前に、予習復習の大切さを切に感じながら、

「天目一箇神の別名ですよね。つまり天目さんのこと」


「そうじゃ。親父殿を祀る多田大社に別社として祀られとるんじゃがな、その一目連神の姿を知っておるか?」

 ええと確か、と昨日に調べた記憶を掘り返していると、

「一つ目の龍、なんじゃよ」


「それは……え?」

「のう、けったいな話じゃよな。一目連は天目一箇と同一であり、その姿は天津彦根と近似。加えて言うなら、多田大社は元々一つ目の龍を祀るために興されたとかでな」

「素直に考えたなら、天津彦根神イコール一目連神ですけど」

「そこに、わしもイコールで結ばれとるわけじゃ」


 三柱はそれぞれの情報を重なるように持ち合わせている、複雑な状況にあるという。

 そうか、と俺は気が付かされる。

 天目さんが、頑なに親父さんと向き合うことを恐れていた理由について。


「親父殿の記憶があればどうということもないんじゃがなあ。如何せん、ニニギにくっついて降りてきたあたりで、どうにも上のことが曖昧になってしもうてのう。時々フラッシュバックはするんじゃがのう」

「完全にトラウマの症状じゃないですか」

「神の国とは、げに恐ろしいところであるもんじゃ」

 笑う彼女の横顔は、しかし寂しそうに見える。


 つまり彼女は、自己が不明なのだ。

 己の意識と他者の意識を、別のものとすることができない。同一性があるようで、けれど己は間違いなく己でしかなく、父親も完全に他者であって、それでも曖昧な同一性に引きずられてしまって。

 そんな姿は、思春期の自己の確立に悩む少女のようであり、


「親父殿を避ける、とは言いつつも、自分と向き合うのが恐ろしかったんじゃなあ」


 同じように悩みもがく俺たちと、なんだか似ていて。


「じゃからの、虹を見せてくれたお主には感謝しておるよ。少なくとも、前に引きずり出してくれた」


 向きなおり、飲みかけの缶コーヒーを掲げて見せる。

 夕日を呑んで燃える瞳は、研ぎ澄ました刃物のように美しくて、


「ご希望なら、どこまでも引っ張っていきますよ」

「おうおう、頼もしいのう」


 笑う天目さんに応えて口角をあげれば、テープ下の傷が疼く。

 指でなぞれば、痛みも傷も確かで。

 けれど、彼女の笑顔を見たなら、勲章のようなもの。


 だから、今は、この痛みが誇らしいと、そう思うのだ。


      ※


「少し、我が儘を言って良いかのう」

 神様が、笑いをおさめ改まるものだから、こちらも身を構えて、受け取る姿勢に。


 む、と考えるようにコーヒーに一口つけ。

 むむ、と悩むように視線を斜め上に走らせ。

 むむむ、と躊躇うように腕を組んで。

 うむ、と決心したように美しい口元をへの字に曲げると、


「今日からパパ、って呼ぶからの」

「は?」

 打撃に身構えていたところへ、飛び付き腕ひしぎ十字固めが炸裂してきた。


「どうにも説教臭いし、強引じゃろ? そこが、こう、父性を感じると言うか、のう……」

「いや、もじもじしながら言われても……」

「なんじゃ! じゃあ堂々と言うぞ! パパ!」

「やめろ! ……やめて、ね?」

 年上からパパ呼ばわりとか、ぞわぞわする。鳥肌が天を衝く勢いだ。


「はっはっは。駄々をこねるなら、こうじゃ!」

 携帯電話を取り出し、手早く操作。

 途端に俺の懐が着信を告げる。ディスプレイを確かめると、愛する幼馴染からのメッセージで、


『幸ちゃん、天ちゃんのお父さんになったの! やったね!』

「……やっぱりさ、マッキーってヤベー子じゃろ? な? な? わし、外堀埋めようと軽い気持ちだったんじゃが……!」

「被害者の俺に同意を求める辺り、天目さんも相当ですからね?」


 なんて二人でドン引き展開になってしまったため、なし崩しでパパ呼ばわりが収まってしまったのだった。

 後に知った真上が不機嫌になり、伊草は自分もパパと呼ぶなどと冗談を押し切ろうとしてきてひと悶着起こったのは、また別の話である。

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