9:あなたが下ばかりむいているのが嫌なんだ

「幸ちゃん、天ちゃんのお父さんで何をするの?」


 西日が目に刺さりながら、俺は幼馴染からガラス塊を受けとると、断固とした足取りで展望台へ向かう。

 あとに続く天目さんの、冷たい無表情など一顧だにもせずに。

 茂る枝を抜ければ、雨上がりの夕暮れが大きく広がる。

 街は、雨に濡れた姿を陽に晒しながら、わずかな時間でもと乾かしていく。


「わあ……」

「雨が止んだあとは、水分が残っていて光が鈍く感じるよな。夕方ならなおさらだ」


 陽光が斜めに侵入するようになり、大気の層を通過する距離が長くなるためだ。波長の短い光が間引かれるため、赤く、淡く、街も空も独特の色合いに染まっていく。

 加えて雨による水気の層ができており、輝く風景はさながら異世界と見紛う。

「ほんと、きれいだね」


 こちらとむこうの、境界にも額縁にもなる手すり。そこに体を預けた幼馴染は歓声をあげ、追いついた天目さんは腕を組んで夕日に隻眼を細める。

 街を見下ろす姿は堂に入っており、長らくこの山を住処とした主の風格がある。

 天目一箇神は、街を見下ろしたままで、


「それで、親父殿の正体ってのはいつになるかの」

 期待など一ミリもはらまない催促を打ってくる。

「話した通り、親父殿は天津彦根神、風と雨を司る竜神じゃ。こうもお日様が照ってしまえば、現れるのはばあ様、天照大神じゃぞ」

「え? え? なに? なんのこと?」


 栄が一人キャッチボールをしている間に共有した情報であるから、戸惑うのは正常だ。けれど、俺も天目さんも補足をしてやる余裕はない。

 俺は言い逃れの道筋を潰すため、彼女はどうにか逃げ道を確保するため、詰め将棋のような差し合いになっている。


「言ったでしょ。このガラスの塊の正体は、中学の科学で習う程度の代物だ。発明を生業にしているあなたが、気付いていないはずがない」

 預かっていた親父さんを空、夕日に向かって突き掲げる。大気の層で間引きされた陽光を呑み込めば、

「え? 虹?」


 展望台のデッキに、途切れ途切れで色も欠ける、けれど間違いない虹色が地を這うように姿を現した。

 驚く栄とは真逆に、天目さんは眉根をほんのり寄せる。

 だから、俺は指摘に間違いが無いことに頷きながら、


「光の波長を分散させる、プリズムなんだ」


 夕映えを集め、苦みを増す持ち主のまなこを、光のようにまっすぐに見やってやる。


      ※


 しかし、頬を苦らせながら、


「なるほど、お主の言う通りプリズムであるな。しかし、それがどうして親父殿の正体だと言うんじゃ」

 逃げ道に、言を走らせる。

 そうだよ、とマイ幼馴染も追随するから、


「よくわからないけど、天ちゃんのお父さんは雨と風の神様なんでしょ? 確かに虹は雨の後に出るけれど……」

「雨と風の『龍神』でもある。ですよね」

 逃げ込んだルートは隘路であると、突き付けていく。


「昔の人にとって虹の正体は、空飛ぶ巨大な蛇、鱗輝く龍と目していた。雨を呼び、雨が去れば七色の背中を見せてくれる神様だったんじゃないか」

 虹という字に虫偏が付くのは、古代中国において蛇や龍の一種と考えられていたため、なんて聞いたことがある。

 それほどに、虹=龍という図式は当てはまることで、

「天目さんの親父さんは、その姿を虹の中にいると伝えたかったんじゃないんですか」


 状況証拠にすぎないが、突き付けられた神様は完全にしかめっ面で、

「なんじゃあ、突然長文で早口になりおって……ちょっと怖いわ……」

「幸ちゃん! また幸ちゃんの迸る個性が発散されているよ!」

 愛しい幼馴染はオブラートの上からこちら刺してきているが、天目さんにしてもロジカルな反論を諦めて人格攻撃に移ったところをみるに、かなりの痛手に違いない。


 そう言い聞かせないと、ちょっと膝から崩れそうだから。


      ※


「言いたいことはようわかった」


 手すりに、腰を折るようにして頬杖をつき街を見下ろすと、しかしな、と反し、逃げて、

「親父殿が虹を見ろと言いたかったとして、そんな色も姿も欠けた様ではみすぼらしくはないか? 神じゃぞ、不完全なものを己と示すわけがなかろうが」

「自然光ですからね。もっと直線で強い光を使えば、鮮やかな虹色と会うことができますよ」


「は。人の作った石で、人の作った光を通し、出来上がるのが神様じゃと?」

「神様なんて、本来そういうものでしょ。日本じゃ政治色が強すぎるけれど、文化が生まれて、文化を伸ばすために整形された、人類史の鏡のはずだ」

「おいおいおい、本物の神様を前によう言うのう」

「ええ、天目さんに会って、少し考え方は変わりました。けれど本質は同じだと思うんですよ」

「ほう?」


「天目一箇神は、それなら人類が居なかったなら、炉も畑もない世界だったなら、どうなっていたんです」


 逃げ道を、俺は塞ぎ続ける。

 人がいるから、神の力が意味を持つ。神があるから、人は文化を証明できる。

 明確に別であるが、相互の関係なのだ。

 それはどこか、


「なんとなく、いまの俺に似ているから、そう思うんですよ」


 思春期における、己と他者の関係のようでもあって。


      ※


 継ぐ言葉を失った天目さんは、俯くようにじっと街を見下ろしたまま。


 思えば、この人は下ばかり向いている。

 いや、絶対ではなく天を仰ぎもするのだが、印象として視線が下を向いている。俺よりも高い背丈のせいで、視線が下に向きがちなこともあるのだろうけども、

「天目さん、言いましたよね。今じゃ、神の役割は減ってしまったって」


 きっと、逃げているのだ。

「この、父親から託された石の謎を解くことだけが、残っている神として役割だと思っているんでしょう」

 気付いてしまうことから。見つけてしまうことから。

 けれど、そんな後ろ向きな、前進を捨てるようなことを、

「俺が嫌だ。あなたが自分の能力に蓋をして、同じところで足踏みをしているなんて、許せるものか」


 同じところで、石を投げては拾い、時に見失い続けるだなんて、

「そんなんじゃ、ハッピーエンドにいけないだろ! 覚悟しろよ! 殴りつけてでも、連れ込んでやる!」

 己の尺度で、神様の尺度を叩き割ることを決意するに足る。


 怒声に、だけど視線を下げたまま反応しない天目さんを横目に、

「え? 幸ちゃん⁉ 危ないよ!」


 展望台のデッキを蹴り、手すりに飛び乗った。

 バランスを崩せば、切り立つ崖に真っ逆さま。十メートルに届かないほどの高さから身を躍らせることになる。

 栄の心配に、しかし容赦をしないと決めた俺は、

「天目さん、俺を見るんだ」

 妥協を示す。空でなく、俺を見ろ、と。


 仕方なしという風に、おずおずと見上げる彼女の瞳は、


 ……燃えるように美しいんだよな。


 西日を吸い込み、赤く輝いていた。

 美しく、しかし不安げな、眼差しを受け止めれば、


「お主、なにを……」

「考えがあるって、手伝いますって、言ったじゃないですか」


 にっこりと笑い返して、足裏にある手すりを蹴り、


「天目さんは、親父さんと……自分と向き合うべきだ!」

「なんじゃあ⁉」


 中空に身を投げ出して見せた。


 不意を突かれ、落ちる俺を追いかけきれない天目さんの美しい瞳に、

「お主!」

 夕映えに輝く虹が現れたのを確かめる。

 俺の背後、雨上がりの夕空に掛かる絢爛な七色のアーチが、あなたの美しい瞳を彩るから。


 安心を伝えるべく浮かべた笑みが、満足のものへと変わってしまうのだ。

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