7:憶測の輪郭にスミを入れる
強い雨の中、手放し転がる唐傘がからからと、事後の余韻を鳴らすように、階段を落ちてくる。
落下に備えて硬くなった細い体を、
「大丈夫ですか?」
胸と両手でしっかりと受け止め、驚き見開かれる美しく燃える赤い瞳を覗き込み、安心を流し込もうと試みるに至っていた。
バランスを失えば倒れこむしかないが、下は平らな地面ではなく、鋭角の並ぶ固い石の階段だ。挙句、段数でいえば下から数えて十段は残っており、落下点は足よりだいぶ低い地点になる。
どうキレイに着地を果たしたところで、あちこちを痛めるのは必至だし、打ち所によっては危険も生まれる状況だった。
けれど、その高低差が幸いした。
転倒の衝撃は強まれど、接地までの滞空時間は長くなる。
そんなほんの少しの猶予が、体を滑り込ませて抱きとめるのを間に合わせてくれたのだ。
「ケガはありません? 打ったり、捻ったりとか」
腕の中で、天目さんはまだ呆然としていて、辛うじて焦点が結ばれた視線だけで周りを見回している。
まだ何が起きたのか判然としていないのだろうが、少しずつ頬に赤みが増して、
「なななななんじゃあ! お主、わしをててごごごめにすすするつつつもりか!」
目がグルグル間回りだして、長い手足がじたばたと暴れだすと、
「おうおうおう! こんな鶏がらの醜女をかかかどわかしても、面白いことなぞ……てごめ……どうしてお主らは毎回毎回、他所様の土地にお邪魔すると嫁を増やして帰ってくるんじゃ……! 戦利品か何かと勘違いしとりゃせんか……!」
トラウマが溢れ出してしまったので、
「天ちゃん! それ以上はダメだよ!」
幼馴染の、対地胴タックルが閃いて、無事正気を取り戻すに至った。
げふう、と胃から空気を漏らしながら、ではあったが。
※
「はっはっは、いやあすまんのう。急だったからお主とは思わんでな!」
濡れた前髪を掻き上げながら、傘を差し直した天目さんが快活に笑って謝罪を見せてくれた。
「天ちゃん、大丈夫? どこも痛くない?」
「おう。こやつのおかげで問題なしじゃよ。すまんなあ。服が汚れてしもうたのう」
「怪我がなくて何よりですよ。服を洗うより、怪我の治るほうが時間かかりますからね」
なんて笑いながら、こちらの無傷もそれとなく伝えれば、彼女はそっか、と小さく頷く。
双方問題なしを確かめると、胴タックルでスカートの裾を濡らした幼馴染が、疑問を示した。
「天ちゃん、下を向いて何かを探していたみたいだったけど……」
「うむ。いやなあ、昨日の今日で恥ずかしい限りであるがな、また親父殿をぽろりとやってしもうての」
「ええ? 雨なのに?」
栄が見上げる先は、黒々とした厚い雲から群れをなす、大きな雨粒たち。
幼馴染の疑問もまっとうである。ガラスの塊を掲げるのに、わざわざ傘を片手に両手が塞がってしまう雨空を選ぶのは不合理だ。
けれど、天目さんは美しい頬を、浅く淡い色合いで濁らせて、
「いやなあ、雨じゃなきゃいかんのでな」
思うところのある俺の胸では、推測が確信に象られていく。
「栄、手分けして探そう。あっちを頼む」
「うん! わかった!」
問い返しもせず小走りで階段上を目指すのは、つい先ほどの『内緒』という言葉を覚えてくれているためだろうか。
どちらにしろ言外に感謝をつくって、
「これはすまんなあ。また茶でもご馳走せんと」
「気にしないでください。趣味みたいなもんだから」
残された俺と天目さんも、路傍の茂みに近寄り視線を巡らせる。
そう、ハッピーエンドを望む俺にとって、問題を解決するのは趣味である。ただの困りごと程度なら自助であろうと見守るところだが、
「親父さんを見つけ出さないと、話が進まないでしょうから」
「は? お主、それはどういう……」
「天目さん、あなた……」
当人の手に余っているようであれば、万難を吹っ飛ばしてでも救ってみせる。
「あなた、神様でしょう?」
そこは俺自身の尺度など関係なくただ『困っている』という客観でしかないはずだから。
※
古事記日本書紀に現れる、金属加工を司る鍛冶の神様だ。
古くはアマテラスの岩戸隠れで祭具を造りだし、天孫ニニギの降臨に付き従っている。
名の通り一つ目の神様であり、日本各地に広がる一眼の妖怪たちの祖でもあるとか。
製鉄の神であるが、そこから農具の金属化に伴って役割が増すことで農家からの信仰が広がり、農業の神、翻って天候の神という性格を得ており、
「思い出したんです。多田羅山神社が祀っている神様、天目一箇神だったって」
製鉄を示す山の名と天気を司る性格とが、共存しうる存在である。
茂みを覗き込む当事者の背中は、けれど丸められていてこちらには興味がないかのよう。
ならば、と手元のカードを晒していく。
「真上……昨日、後から来た奴なんですけど、あいつ大口真神っていう神様の眷属らしいんですよ。そいつが、あなたには不思議と逆らえなかった。それに、ひどく濃い炎の臭いを漂わせている、って」
「なんじゃあ。女の子に向かって臭いとは、ひどい言い草じゃのう」
軽口であるが、応答を得た。一歩前進であり、糸口である。
「火の臭いは、鍛冶の神様だから。あいつが天目さんの言葉に逆らえなかったのは、あなたがアマテラスの孫にあたるからじゃないですか? 明確に敵対しているならともかく、現役と末裔じゃあ平時においては力関係は明白でしょうね」
「ははあ。よく考えたもんじゃが、しかし神様呼ばわりはこそばゆいの」
などと冗談めかして、顔すら合わせず草むらに顔を落とすばかり。
言葉を重ねて、
「偶然知ったんですけどね、天目一箇神の父親の
だから、
「わざわざ、雨の中でガラスを掲げているんじゃないですか? 風雨の神様である親父さんに会うために」
茂みを掻き分ける手が止まったことに手応えを覚え、
「俺には考えがあります。手伝わせてくれませんか」
身を起こして振り返って見せる固く険しい顔に、確信を持つ。
さらに踏み込まんと、口を開けたところで、
「天ちゃん、あったよ! お父さん見つかったよ!」
頭上の幼馴染から、朗報が届けられた。
「おお、やるのう! やはり若いと目が良いんじゃろうなあ!」
途端に天目さんの顔から険が抜けたのを見るに、あと一手のところで逃げられてしまったようだ。
なんだか残念ではあるけれど、けれども解すべき問題の姿が明らかになったことは大いに前進であろうと頷くのだった。
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