6:順を追った過程で、僕たちは進んでいくから
己の内情を他に示すには、観測できる物、事象に投影しなければならない。
それが、大人の保険医が語るところであり、俺自身も理解を傾ける弁であった。
では、ガラスの塊を投げ続ける天目さんは、親父さんからどんな胸の内を、どんな形で投影されたのか。
会えるからという言葉を信じ、だけど結果の出ない行動を延々と繰り返しているその頑迷さの根っこだろうから、よほど強いメッセージがあったのだろうと予想はできる。
けれども具体的な内容や事象は、未だに思春期の中であやふやな自己の中にいる俺では、とうてい分かりえない。
なら、どうしようもないそんな隔たりを埋めようと、この目この耳で確かめるため、雨の中に傘を広げて多田羅山を登っている。
※
「じゃあ、そのスサノオさんとアマテラスさんは子供が一杯いたんだね」
並んで傘を回すのは、可愛い幼馴染だ。校舎を出るところでばったり出くわし、事情を説明すると同行を申し出てくれたのだ。
で、道すがら、先交屋先生とのやり取りを聞かせた感想が、これである。
もっと先祖の奇行について懊悩して欲しいところだけども、まあ、本人も結構な奇行に走っているので気にならないのかもしれない。
「日本の神様は、まあぽろぽろ生まれるんだよ。有名な三貴神だって、親父さんが水辺で顔を洗った拍子に生まれたくらいだし」
「へぇ……だけど、どうしてそんなに簡単に生まれちゃうんだろう」
「登場人物が少ないと物語が動かない、ってのもあるかもだけど、まあ本質の理由は逆算だな」
「どういうこと?」
「今いる人間の先祖を用意しなきゃならなかったんだ」
日本神話の基礎となる古事記と日本書紀は、新興である大和朝廷の正当性を示すために編纂された、半ば歴史書である。他の神話のように物語から出来上がったものでなく、最初から政治目的で作られたものだから、
「例えば、後から有力な豪族が合流した時、その人の正当性を大和朝廷が証明しなければならなくなったんだろう。だから後から神様がごろごろ増えたりしている。スサノオですら後から増えたって説もあるくらいだ」
「そんなごちゃごちゃした関係図を整合させたのが、記紀ってこと?」
「きっと、な。整合って言っても、剣を噛み砕いたら神様生まれました、とか無茶苦茶だと思うけど」
「幸ちゃん……ほんとこういう話題になると、早口になるよね!」
やめろ、説明をねだっておいて、ディスってくるな。けど笑顔が可愛いから許す。
ぐぬぬ、と反論の言葉を堪えながら、俺たちは大通りから公園に向かう細い道に入った。人気はなく、雨が葉を叩く軽快で不規則な打音を楽しみながら、並んで進んでいく。
「じゃあ、剣と玉から生まれた神様って、アマテラスさんとスサノオさんの子供ってことになるの?」
「そうだな。スサノオの剣をアマテラスが噛み砕いて生まれたのが、厳島神社が祀っている宗像三女神。アマテラスの玉をスサノオが噛み砕いて生まれたのが五柱の男神で、ややこしいことに噛んだ人じゃなくて、剣と玉の持ち主が親ってことになっている」
「へぇ。じゃあさ、どっちに似ちゃうんだろうね?」
なんとも素朴な、だけど面白い問題提起だ。
「それが、文献通りの親の性格を持っているんだよ。宗像三女神は海の神様で、スサノオも荒ぶる海神の性格を持つ。アマテラスは太陽神だから、子供の五柱は農業だったり天気の神様だな」
「そうなんだ。ちゃんと、意味とか流れがあるんだね、神様の家系図にも。もっと破天荒で意味が繋がらなかったりするのかと思っていたよ!」
「そりゃあ、一応物語ではあるし、それぞれ関連どころか利害のある実在人物がいたわけだから、そうそうおかしなことは出来なかっただろうしなあ」
八百万の神々を見ていけばとんでもない出自や結末の神様もいるのだけど、ややこしくなるのであとだ。
雑談めいた講義がひと段落終えて、傘の向こうの幼馴染がううん、と首を傾げているのに気が付く。
なにか腑に落ちないことがあるようで、疑問を言語化しようとしているようだ。
「どうした? 納得いかないところでもあったか? 俺は剣を噛み砕かざるをえなくなったアマテラスの心情を思うに胸が一杯だけど」
「ほんと、どういう心境で口に入れたんだろうね……」
「弟が『刃物は無理やろ』とニヤニヤ玉を齧っている姿を見て『やったらんかい! こちとら最高神やぞ!』と逆切れ凶行だと、最高に最高神っぽくて好きだな」
「時々ね、幸ちゃんのことよくわからなくなるよ! そんなとこが素敵だと思う!」
そんなJ―POPみたいなことを笑顔で言われても。
「そうじゃなくてね」
どうやら、同じ疑問を共有していたわけではなかったようだ。
「ちゃんと意味合いとか流れがあるなら、おかしいな、って」
栄の愛らしい目元は、ずっと前へ投げやられる。
追えば、山頂に続く長い長い石階段を不思議そうに見つめており、
「多田羅山神社にいらっしゃるのは、どんな神様なんだろ、って」
口からこぼれる疑問は、けれど調べればすぐにわかる深度の浅いものだ。解説を口にしようと息を吸えば、けれど、言葉を封じるように追い打ちが叩きこまれる。
「タタラって、鉄や鋼の金属加工技術のことだよね? その山に祀られている神様が、どうして天気や農業の神様なんだろう」
※
幼馴染の疑問に、俺は気付きを得て、
「あれ? なにかわかったの、幸ちゃん?」
「なんとなく。天目さんの親父さんとガラスの塊についてな」
だけど、
「かもしれない、って話だから内緒だ。もしかしたら天目さんが嫌がる事かもしれないし」
「ああ、そうだね……気になるけど……」
人は、他人からどんな些細と思われようと、触れれば砕けかねない繊細な琴線が張られている。
そこに手探りで指を突っ込もうという話なのだから、慎重になるのは当然だ。
だから、覚悟を込めて傘の柄を握り直すと、前を見据える。
「あれ? 天ちゃんかな?」
幼馴染の言葉の通り、階段を恐る恐る降りてくる、唐傘を掲げた天目さんの姿が。
何かを探しているかのように、茂みを覗き込むように下を向きながら。
この人はいつも下を見ているなあ、なんてちょいと失礼なことを思いながら、危うい足取りを眺めやる。
傘を片手につま先を立てるよう道端をのぞき込んでおり、重心が高くなって、つまり、
「危ない!」
バランスを崩してしまえば、姿勢を取り戻すことは難しい。
石段を踏み外せば、その長躯はぐらりと、傾きを大きくなるに任せるしかなくなるのだ。
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