4:河童は唆り、ためらう
河の童と書いて、カッパ。
日本の各地に伝説が分布する、鬼や天狗と並んで三大と称されるメジャー妖怪である。
古くは室町時代に記録が残る。と言いながら、現在にイメージされる頭頂に皿と背に甲羅を持つ二足歩行の小人、という姿が確立されたのは、江戸時代の葛飾北斎らのアーティストたちの筆を待つことになる。
具体的なビジュアルが映像化され頒布するより以前は、猿のようであったり、カワウソのなれの果てだったり、千差万別であった。
ただ、どんな姿のカッパも、水辺に潜んでは人に害を成し、と思えば愛嬌たっぷりに人と遊ぶ姿を見ることができる。良くも悪くも、かつての日本人にとっては切り離せない隣人だったらしい。
つまり、自然発生的に日本各地で河川へ隠れる人外を思い描いていたのだ。
思うに、どれも別個別種であり、等しく川への畏怖を体現しているのではないか。
時に荒れて土地や住居という財産を押し流し、時に水と幸をもたらしてくれる、日本各地に漏れなく流れる河川への、人が抱く恐れと感謝。
そんな二面性の具現として、カッパがいるのではないだろうか。
なんて具合の事前知識があるものだから、
「カッパの末裔なんて言われたってなあ」
水泳部エースの、軽やかに泳ぐ姿へ疑わしい目を向けてしまうのだった。
※
伊草・水奈の泳ぎ恰好は、素人目にも機能美に溢れていた。
肩を回し、指を差し入れ、足は全体をしならせて、一つの無駄もなく前へ進むために統合され調整する。
精巧な機械時計の内部構造のような、単一の目的に全てが集約する美しさを、惜しむことなく無人のプールに伸び上がらせているのだ。
時刻は、夜の七時に迫る頃。天窓は、すでに夜に塗られている。
他の部員たちはすでに練習を終えているのを確かめて、こうして様子を見守っている。けれど件の彼女は泳ぐのに夢中で、こちらに気付く様子もなく、かれこれ三十分はレーンを行ったり来たり繰り返し続けていた。
前述の知識がなければ、
「カッパ、って言われたらそれだけで納得するな、こりゃ」
幼馴染のエキセントリックな言葉も然り、なんて気分になってくる。
民族学的な由来やらなんか置いておいて、一般的なカッパと言えば、悪さをするも懲らしめられて反省するような愛嬌があって、謝罪の品にカッパ謹製の薬をくれる殊勝さも持ち合わせている。
また、文明の象徴である金属をひどく嫌い、肌に触れると力が抜けるんだとか。
あとは相撲を取るのが何より好物で、好物といえば、
「……あれ、先輩?」
「おお。昨日の今日だからな、様子を見にな」
「ええ! なんか、気を遣わせちゃって悪いっすね! いま、上がってそっち行くっす!」
「いいよ、自主練中だろ。気にしなくていいぞ」
「へへ、ちょうど休憩にしようとしてたところなんで……なんすか、そのポリ袋」
「差し入れ。園芸部の温室から分けて貰ってきたんだ、キュウリ」
「キュウリ! マジすか! なんで自分の好物知ってるんすか⁉」
まあ、うん、外堀が埋まるか掘り返すかどっちだろうな、なんて思ったけど、いきなり水を張って泳ぎ切ってきたな、このカッパ疑惑の容疑者は。
※
季節外れな温室育ちのキュウリたちは思っていた以上にみずみずしく、
「はあ! お店で買う品種より、皮の苦みがワイルドで、すごくグッドですね!」
「実験の一環でいろいろやっているんだってさ。管理が杜撰だから、塩を持って遊びに行くと小腹を満たせるぞ」
「マジすか! 泥棒じゃないっすか! けど、こんなにおいしいと仕方ないっすよね!」
ポキンポキンと、歯ごたえを楽しむ。
肩からタオルを被った伊草は、俺の隣に腰掛け、ちょっと大味なキュウリに舌鼓を打っている。今さっきまで延々酷使していた体がぼんやりとした熱を放ち、水気にのって濃くこちらにぶつかってきていた。
後輩は、へたまでぺろりと平らげると、指に垂れた汁を舐めとりながら、
「けど先輩いいんすか、こんな時間までこんなとこにいて」
にやにやと、悪戯めいた笑い顔でこちらの心配をしてくる。
お前一人だと溺れてるかもじゃんかよ、と言い返したいところであったが、仮にもアスリート相手に失敗をあげつらうのもどうかな、なんていう先輩面をびょうびょうに吹かせながら、
「親には遅くなるって言ってあるからな」
気にするな、と。
だけどもどうしてか、いやいやとあきれ顔で手を横に振れば、
「違うっす。あの可愛い彼女さんのことっすよ。いっつも一緒にいるじゃないっすか。放っておいて、他のオンナの水着姿をご堪能なんて、怒られるんじゃないっすか?」
「栄のことか? 誤解してるぞ、お前」
「え? 彼女さんじゃないんすか⁉ 自分、てっきり……あ、じゃあ真上先輩と? 朝とか、男嫌いで有名な難物と一緒にいるから何かと思ってたっすけど……なるほどなあ……」
「真上も違うからな。どっちかというと栄との関係のが、近い憶測だけどな」
「? ちょっとよくわかんないっすけど……」
「振られたんだよ、栄に。告白するより前に」
「は? なおさら謎が深まるんすけど」
困り顔を作りながら、目は輝いている。好奇心が猛っているのだろが、
「なんで振られたのに一緒にいるんすか? だいたい、なんで振られたんすか?」
俺に聞かれても困るし、説明できないんだよ。
だって「一緒になると世界が滅ぶ」んだって言って聞かないんだから。
「……なんか、メンドクサそうっすね……元気出してくださいっすよ、キュウリ奢るんで」
こちらの沈黙と痛々しい表情に察したらしく、ポリ袋から残りの一本を取り出し差し出してくる。
この厚かましさと、だけど許してしまいそうな愛嬌は、まさにカッパのようだなあ、なんて思ったりしながら、キュウリを半分に折り、分かち合うのだった。
※
「母親の実家の近くに大きな湖があって、カッパの伝説があるんすよ」
キュウリを齧りながら、水泳を始めたきっかけ、という話題からそんなカッパの話になっていた。
水のキレイなところで、子供たちはよく泳いで遊んでいたのだとか。
だけど、大人は「恐ろしいカッパが出て足を掴むから近づいちゃならん」と子供たちを脅かしていたとか。
「昔は川とつながっていてよく氾濫していたらしいんすよ。だから、その時の名残でカッパを警告に使っていたんじゃないか、って今になると思ったりするんすよね」
「まあ、正しいカッパの使い方ではあるよな」
「なんすか、正しいカッパの使い方って」
言葉の面白さにか、けらけらと笑う後輩。
とはいえ、警句だけではカッパの持つ親しみやすさがないよなあ、なんて疑問も漫然と浮かびはして、首を捻ってしまう。
そんな俺のもの思いに、
「さて」
と、伊草は長い手足を振って立ち上がると、
「もうひと泳ぎして、終わりにするっす」
自主練の仕上げを伝えてくる。
にっこり笑い、
「先輩がいてくれるなら、全力で泳いでも大丈夫っすもんね。昨日話した変な感覚、調子がトップの時にくるんすよ」
「お前それ……」
溺れます宣言と違うのか?
「へーきっすよ! まあ、なんなら? もう一回助けてもらうのも? そんなにやぶさかじゃないし?」
「おい、ちょっと待てよ!」
なんなら人工呼吸もおねがいっす、なんて冗談めかして、だけどプールに飛び込む瞬間の唇の硬さは、どうしても見咎めてしまって。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます