第二章:水底で嗤う彼女の口元が
1:あぶくたつ青春のステージに
県立牟生東高校。
体育館に掲げるのは『一極集中 強行突破』なんて、軍事目標と見紛う狂った校訓を謳った看板である。
どういう神経をしていれば生徒を、包囲からの脱出作戦を薫陶に思春期を過ごさせようと思えるのか。誰が発案者かは知らないけれども、好意的に考えれば「死地から抜け出す覚悟を養え」であるし、悪意的に考えればまあ「悪ふざけ」ではないか。
学生たちは、そんな現状を囲むうちから一番に気に入らないものをぶち壊すような神経で生きているわけで、そうなると、意識を統一して一目標に向かう集団競技が、どうしても苦手になっている。誰も、てんでバラバラに行く先を尖らせてしまうため、まとまらないのだ。
バスケ、バレーぐらいまでが限界。野球、サッカーくらいの人数になると顕著になり、地区予選もままならないほどの弱小だ。
逆に、個人競技は異様な成績保持者が複数いる辺り、校訓自体に間違いはないのだろうか、なんて常識と良識に甚大な挑戦をされる気分になってしまう。
どちらにしろ、自分たちのような一般生徒には彼ら彼女らの苦労なんか知る由もなく、成績からもたらしてくれる、学内設備の拡充の恩恵に感謝をしめすばかりでしかない。
「岳ちゃん。本当に水泳部は休みなの?」
「ああ。毎週木曜はクールダウンとかで空っぽなんだよ」
運動部ががやがやと練習に汗を流す体育館を抜けて、俺たち三人が向かうのは温水プールだ。
数世代前の生徒が五輪候補になったとかで新設された、真冬でも練習が可能な屋内温水プール施設である。
なので、体育教師の気まぐれ次第で、真冬でもプールの授業が行われたりするくらいだ。
俺と栄、そして真上の三人は、その無人と言われるプールに忍び込もうとしているところであった。
※
「プールに行かないと! 世界が滅んじゃうの!」
事の発端は、昼飯時に発せられた幼馴染からの突然な警告だった。
場所が人目に付かない屋上だったのが幸いで、エキセントリックな言動は関係者にしか届いていない。
可愛らしい顔で真剣に忠告をしてくれるから真面目に聞いてやりたいところだけど、どうだろうか。
無論、同じく昼を一緒にしていた人狼、真上・岳についての前例もあるから、信憑性自体は高い。
けれど「プール」と「世界壊滅」が、単語としても映像としても繋がらなくて。
「ずいぶん突然だな……プールの水があふれて世界大洪水にでもなるのか?」
箸をくわえながら困惑しきりの俺に対し、やはり箸をくわえた真上が、
「プールか。今日行くのか?」
「目を輝かせて……何を企んでいる?」
「失礼だな、おい。今日なら水泳部も休みだから出入りしやすいってだけだよ」
ほんとかあ? と疑わし気に目を細めても、上機嫌にうんうんと頷くばかりで、
「そうなんだ! じゃあ決まりだね!」
口火を切った張本人が放課後の活動予定を決定してしまって、はいはい、と肩を落として了承を意思表示。
だけど、はしゃぐ真上は捨て置いて、確かめなければならないことはあって、
「プールから何か現われでもするのか? 世界の破滅って」
「うぅん……私も経緯はよくわからないんだけど」
小首を傾げる姿も可愛らしい。が、その口から出てきたのは、
「大戦争が巻き起こっちゃうんだよ」
物騒極まりないうえで、具体性に欠ける、どうしたもんかなという単語であった。
※
体育館からプールに至る、ほんの十メートルほどの渡り廊下。
防音がしっかりしているのか、バスケ部のドリブル音までシャットアウトされて、異界に迷い込んだような静けさだ。
プール入り口のドアに手をかけるのは、自然、先頭を進んでいた俺。
だけど、しんと静かな廊下に響くのは、ドア下の滑車が回る音ではなく、金属同士が引っ掛かりぶつかり合うやかましいさ。
「鍵かかってるぞ」
直面することで、そりゃそうか、と納得。
意識すらしていなかったが、水泳部が休みということは使用者が居ないのだ。施錠は当然の状況であり、企画者の不備である。
不平を鳴らすために、後続している真上に振り返ると、
「なあ、どうす……」
なんでか靴を脱ぎ捨て、靴下も片方が外されて素足が晒されていた。
「え? なに?」
「鍵が……いや、それよりお前、なんでいきなり脱ぎだしているんだよ」
「岳ちゃん! まだ早いよ! もっと人目に付かないところじゃないと!」
そうじゃない。問題はそこじゃない。
狼狽える俺に、に、と悪戯を思いついた大型犬のような笑みを作ると、さらに残りの靴下から白い素足を引き抜いて、
「おんぶ」
「は?」
「足裏、汚れちゃうだろ?」
なるほど目論見が分かった。
水場で発情を発散するつもりできたのか、この駄犬は。
「けどなお前、鍵が……」
「ほら、これなんだ?」
ポケットから取り出したのは、数本の鍵束。
「どうして、私が水泳部の休みを把握してると思う?」
「常習犯かよ……」
鍵はどこから手に入れたのか知る由もないし知りたくもないが、度々忍び込んでは水浴びをしているのだろう。
「で、おんぶは?」
「幸ちゃん! 私からもお願い! 大丈夫だよ! こう見えて岳ちゃん、すごい柔らかいから!」
背中を撃つかのような援護射撃に、だけどふふん、と胸を張る辺り、良いコンビで仲良くなった理由もわかる気がする。
とはいえ、多数決で二対一だ。
しぶしぶと、背中を貸すことに。
まあ、言う通り、色々と柔らかいことは確認ができたけれど。
※
鍵を開けると、湿って暖かい空気が漏れ出す。
同時、水を叩くような、だけどクロールにしては不規則な音が聞こえてきて、
「誰かいるぞ?」
「ほんとか? 水泳部は休みのはず……鍵もかかっていたし」
そうだよな、と背中に密着する真上と二人で不思議顔をつくる。
伺うようにそっとドアを開けると、思いのほかよく滑り、全開になってしまった。
しまった、と身を固くするが、プールサイドに人影は一つもなく、照明も落ちている。光は明かり取りからだけで薄暗いのだけど、まだ陽も沈んでいない時間帯だ。人の有無くらい間違いようはない。
で、水を叩く音は、と水面に目をやれば、
「虹珠、あれ……!」
言われるまでもない。
水の張られた五〇メートルプールの中央。
手が伸びては落とされ、白波がたち、あぶくが広がる。
どうみても不慮の状況であり、水の中で想定される慮外の出来事と言えば、
「溺れているぞ!」
命の危機だ。
背中の駄犬は放り投げ、携帯電話と財布を収めている上着を脱ぎ捨てると、一目散にプールへ飛び込んでいく。
「幸ちゃん!」
後ろで幼馴染の心配げな声が聞こえたが、返事の余裕などない。
眼前で、これ以上にないアンハッピー懸案が巻き起こっているのだから。
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