7:思春期に溺れる犬はハッピーエンドにだって縋る
狼と人の付き合いは長い。
常にこちらの生命と生活を脅かし続ける害獣であり、名残からか物語の中では悪役を担うことも多い。
であるが、その強さ美しさに人は憧れたようで、シャーマニズムなんていう原始宗教においのてその力を借り受けようとした記録も多々残っている。
害の大きさと、利を求めやすさが手頃だったのだろうか。同じ害獣である熊が、世界どこを見ても神に近い存在として扱われているのを見るに、身近さゆえのキャラクターの多様性なのかもしれないが。
そんなわけで狼の力を人の身に落とし込む、という試みは太古から成されてきたわけだ。
時に、シャーマンのトランスの中に。
時に、邪悪を糾弾するための正義が語る生贄の中に。
時に、薄暗がりに沈む見通すことのできない森の錯視の中に。
「うちは、一応神様扱いされている氏族なんだ」
日本国内においても、絶滅したと言われるニホンオオカミを神格視した『大口真神』として、人の文化圏に居所を造り上げている。
だからこその、真上の姓なのだそうだ。
※
勝者など居ようもない、足の裏を賭けたもみくちゃの攻防に疲れ果て、俺と彼女はぐったりと地べたに倒れ込んでいた。
肩と胸を上下させながら、事の顛末を話し、聞く。
「人が領域を広げるごとに、狼の領域は狭くなっていく。そうなるとコミュニティを維持できなくなってきて、あたしが物心ついた時には子育てする余裕もなくなっていたよ。何十年ぶりかの、たった一人の子供を、だ」
「じゃあ岳ちゃん。親戚のおじさんたちって」
「血縁でもなんでもない。何代も山林の整備に携わってきた家で、どちらかというと信徒に近いんだ」
良い人だし、世話になっているし、ちゃんと叱ってくれる良い保護者だけど、と但し書きし、
「だけど、大枠で人間は嫌いだ。そっちの都合であたしがこんな苦労をしているんだぞ」
仰向けのまま言い捨てた。
鼻にしわを寄せて怒りをあらわにする姿はまるで犬狼であり、子供じみた短絡的な怒りもなんだか美しく見えてしまう。
だけど、と思ってしまう。
「そんなに嫌いなら、故郷に戻れば良いじゃないか。コミュニティに維持力が無いとは言っても、お前をその歳まで育てたんだろ? なら、どうにかなりそうなもんだけど」
「それは、お前……」
まあ、答えは察している。
「人も嫌いだけど、弱っていくことを放置する親たちのことも嫌いなんだ」
「お前はずけずけと……」
否定がないのは、肯定の証だ。
加えて、
「そんな親たちと、自分は違うんだと思っていた。人に負けやしないし、強いんだ、と。けど、最近になって自分自身をコントロールできないことが増えるようになって……」
思い当たる。
頬を火照らせ、指を絡め、体を重ねようなんて、普段の真上からはかけ離れた姿だった。異様であるが艶があって、
……発情期か。
野生生物が子をなすための条件が揃うと、互いを誘い、密事に至る。その合図だ。
そんなフェロモンの発散に、学内の陽キャたちが反応したのだ。だが、彼女が持つ人への嫌悪感から暴力に転換し、性欲も歪んだ形で発散されてしまったのだろう。で、誤っているとはいえ一度方法を学習してしまえば、次も同じ行動を取ることになっていく。
「それが野犬騒動の顛末か」
事象としては単純で、とはいえ個人の心根によるものだから解くに難しい。
美しい顔を隠すように両手で覆ってしまっているのを見るに、
「しょうがないだろ、好きでこんな体に生まれたわけじゃない!」
現状を好ましく思っていないことは明らかであって、つまるところ、
「人が嫌いで、親も嫌いで、自分も嫌い、か」
真上・岳は、思春期の只中にいるのだ。
※
睨むような冷たい目つきも、なんだか子供じみた可愛らしいものに見えてくるから不思議なものだ。
彼女が抱えるのは、端的に言えば他と己の食い違いである。はたから見れば理解に苦しむささやかな違いだ。
それも、先交屋先生の言葉を借りれば、他人は他人、自分は自分という、距離感の設定が乱れているせいなのだろう。だから、客観で見れば誤差でしかないズレに、本気で理由を求めてしまうのだ。
さもすれば、くだらないと切り捨てられてしまうような、とはいえ、当人にはどこまでも真剣な懊悩。
問題を深刻にしているのは、彼女が明確に人間と違い、その人間を敵視しているところにあるだろう。
個々人の特徴に正常、なんて物差しは存在しない。だけど真上にとっては「人」か「自分」かしかなくて、自我を持つあらゆるが万別であるという、思春期のゴールを迎えられないのだ。
このままでは、大人が好む「時間が解決する」という決め文句も無意味だ。
だから、俺は少しばかり方向を捻じ曲げ、
「俺は、目の前でハッピーエンドを諦める奴が一番嫌いだ」
「……それがなんだよ。あたしがバッドエンド一直線だって言いたいのか?」
「そうだろ。周りを否定して、自分を否定して、そのうち大切な物まで否定するようになるぞ。そうなって、幸せだって顔を上げていられるのか?」
ぐ、と言葉を呑むから、きっと自覚なり予兆なりがあるのだろう。
寝転がっていた半身を起こし、栄に膝枕される真上をまじまじ見つめる。
幼馴染はいつもの夏の水面のような笑顔で、俺と人狼を交互に見やっており、その人狼はバツが悪いのか、顔を覆ったまま。
「人が嫌い、ってのは仕方ない。好き嫌いは誰にでもあるさ。だけど、自分が嫌い、じゃあどこかで心が破綻しちまう」
答えが返らないのは、その予兆を感じ取っている故の図星か。
「いいか」
大切なことだ。完全に、明確に、正確に、伝えなければならないから。
身を乗り出し、暗闇に閉じこもらんとする両の手首を掴みあげると、
「俺の目の前じゃあ、ハッピーエンド以外許さない!」
こじ開けるように、
「だから」
涙に腫れ、頬を赤くし、呆然と明るみに引きずり出された彼女の相貌に、
「困ったらとにかく、土壇場に頼れる人間に縋りつけ」
力任せに、
「俺も、その一人になってやるから」
俺とお前の、相互の距離感を間違いも誤解の余地もないほどに、強く決めつけてやる。
言われ、真上は綺麗な顔をくしゃりと歪めて、
「……おじさんとおばさんに謝りたい……心配かけたから……」
まなじりから零れる涙の粒が、どんな意味を持ち、どれほどの重さがあるのか、俺には想像することしかできはしない。
大切なものであることは、
「わかった、つきあってやる。だからいくらでも縋りつけよ」
宵の星が落ちたかのような美しさと、とめどなく後続があふれ出たことから、ありありと知ることができたのだけれども。
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