6:証明するために救うために泥水だってすすろう、いわんや
靴下は、当たり前に汚れる。
ただの平らなタイルだって、ゴム底に守られたやわな現代人の足裏には冷たいし痛いし、骨に響くし。
だけど厭いもせず、踏みだして、踏み切っていく。
包帯でがっちり固定された右手のせいで度々バランスを乱すが、構わず。
靴下だけの素足で辿り着いたのは、幾度の野犬襲撃があったゴミ集積場だ。
息を弾ませ、放課後の遠い賑やかさを背に辺りを見回せば、
「……誰⁉」
こちらの登場に、惨状に、ぎょっとして腰を引かせた、
「真上、やっぱり戻っていたか」
※
「虹珠、お前……」
いまにも崩れてしまいそうな表情で、だけど覆い隠すように敵意を上塗りにして、とはいえ刺々しさが足りなくて塗装がメッキであることは明らかに読み取れてしまう。
彼女がここに居ることに、確信はあった。
「状況だけを聞けば、お前を助けるために呼ばれた保険医は、倒れた俺だけを発見している。つまり真上、お前は俺を捨て置いてこの場を去った。だろ?」
犬歯を剥きだし、鼻にしわを寄せ、答えは示さない。構わず続けて、
「薄情かもしれないし、普通の反応かもしれない」
だけど、
「だけどな、栄が懐いている。あいつは誰にでも分け隔てなく付き合うが、距離を縮める相手は少ない。それこそ、正常より上目の倫理観、優しさ、気遣い、交感を求める。だから俺は、お前の普段の言動が粗野だろうと、人間としてはまともだと信じているんだ」
少なくとも、
「怪我人を、喜んで捨て置くような人間なんかじゃない」
きょとん、と目を丸くしている。糊塗していた敵意の色を、忘れるほどの驚きだったようだ。ちょっと、いや、だいぶかわいい。
とにかく、真上・岳の善性を肯定する必要がある。
「……は、現にお前をここに置き去りに……」
斜に構えた自己否定が発露するから、
「だからきっと、事情があったんだ。なによりの証拠に、今になって現場へ、俺の様子を確かめに来ているじゃないか」
強い上向きの否定で遮り、証拠を追撃に打ち込んだ。
ぐ、と言葉を呑んだ姿を見て、確信を事実に変える。
ならば本題であり、
「だからきっと、一連の傷害沙汰は君が犯人なんだろう?」
事情があるはずなのは事実。
いままさに、彼女の善性を証明した以上は。
※
ここ最近、学内でたびたび起きる男子生徒の負傷事件について、誰もがその犯人を野犬だと口にしていた。
原因は簡単で、襲われた人間が『犬に襲われた』と証言しているため。
あまりに荒唐無稽で、都市伝説のような真実かどうか胡乱なものとして扱われていて、だからこそ俺自身も話半分のまま現実に突き当たったのだ。
実際に遭遇して、納得を得た。
犬に襲われた、という事実と、
「どいつも、直前に真上に会って一緒にいる。だというのに、襲われた証言の中にお前はいないんだ」
流れる噂の中に、彼女の姿が見えないことに。
教員に呼び出されるということはデタラメなんかではないはずで、だけど噂話の槍玉にあがらないのは、それぞれの証言に名前が出ないため。
理由は、わかる。
なぜなら自分も、
「大きな犬が現れ襲われたとき、真上、お前の姿を見ていない。腕の中にいたはずなのに」
頬を火照らせ指を絡めるなんておかしな様子に、動転してしまったのかもしれないとはいえ、完全に存在が消し飛ぶなんて不自然すぎる。
詰問に、だけど彼女は、
「わ、忘れてくれ、あのことは! ちょっと具合が悪くて……!」
論点からずれたところを、顔を赤らめて抗弁してくる。
どうも、傷害犯への疑いより、おかしな姿を見せてしまったことへの忌避のほうが大きいらしい。そのあたりは個人の価値観であるから見逃すけれども、
「本筋からズレるけども、そいつは忘れていいのか? 向き合わなきゃいけない事なんじゃないのか?」
「それは……いや、それよりも!」
困ったように言い淀み、だけど目元を鋭く作り直して、
「私が犯人で、犬が現れた時に、私の姿が無かった? それじゃあ」
本来の話題に戻して、
「私が、その犬だとでも言うのか?」
まっすぐに、こちらを見据える。
だけど、普段の明朗さはなく、引き逃げる道を探して、前を見ているようで。
だから俺はその逃げ道を塞ぐように、まっすぐ。
「は、バカも休み休みにしておけってんだ。人から犬に化けるだあ? キツネタヌキの類じゃあるまいし」
「証拠はない」
「ほらみろ」
「だけど、類推の材料はあって、ここから証拠を作り出すことはできる」
「は、何を……おい、なにしてんだ! なんで包帯をほどいているんだよ!」
※
言いながらに取ったこちらの行動に驚いて、目を見開く。
まあ元が美人だからどんな表情も様になるが、驚く顔はことさら可愛らしさが強いな、なんて発見を確かめながら、
「見ろ、この傷」
血の滲むガーゼを、そっと剥がす。
覗くのは、二の腕に引かれた三本の裂傷。
野犬に襲われてできたもので、大小浅い深いは様々であるが、被害者は誰も似たような傷を負わされている。
「だけど、おかしくないか?」
犬の攻撃手段と言ったら、噛みつきが真っ先に思い至る。
肉に骨に牙を突きたて、裂くとなれば噛み千切るに決まっている。
その傷は、ポイントを中心に口の形を作るはずで、
「長い線上の傷になんか、ならないはずなんだ」
これではまるで、
「大きな爪で引っ掻かれでもしたような傷だろう」
あるいは猫のような、あるいは猿のような、あるいは、
「犬類で、鋭い爪を武器にするものに心当たりがある」
銀幕や諸本の虚像に生きる、
「人と成る狼、人狼だ」
強く美しい人の埒外に生きる住人である。
※
ぎり、と犬歯を鳴らした真上は、だけどすぐに口元を緩ませて、嘲弄を作る。
「それこそ悪い冗談じゃないか。私が、おとぎ話の化け物だって? 証拠はあるのか」
「墓穴だぞ、そのセリフは。言っただろ、類推から証拠は作ることができるって」
けれども上辺だけだから、こちらの強い言葉ですぐに崩れる。
狼狽え、腰を落として逃げようとする彼女へ、追いこむように一歩を踏み出して、
「確かめるぞ? 俺の言葉に間違いがあるなら、従って疑いを晴らすべきだ」
「……何をする気かしらねぇけど、違ったらゴメンナサイじゃすまさねぇぞ」
逆毛立てて警戒を強めるが、了承を得たからさらに一歩。
そして要求を伝える。
「まずは靴を脱いでくれ」
「? いいけどよ」
「靴下もだ」
「はあ? 脱ぐけど……」
怪訝な顔で指示に従い露わになった素足を、脱いだ上履きの上に立てるのを確かめると、
「いいか。今から、お前の足の裏を舐める」
ダッシュで逃げだしたので、即座に追跡に移行した。
※
狼男の伝説に、
『狼男の足跡に溜まった水を飲むと、狼男になってしまう』
というものがある。
雨水と地面に因果関係がないことは、他の足跡の水溜まりを見ても明らかであり、であれば直接的な原因は、
「狼男の足裏にあると見て間違いないだろう!」
逃げ出してすぐ、体育館裏で「ひぃ」と弱々しく悲鳴をあげる真上を組み伏せ、その長い足の右を掴み上げる。
彼女の抵抗が弱いのは、捲りあがるスカートの中を隠すので手一杯なためで、
「なんで、足裏を直舐めすることに繋がるんだ!」
「舐めて俺が狼男になれば証明完了じゃないか! 数学の授業でやってるだろ!」
「関係ない! お前は証明問題に謝れ! あと、足跡の水溜まりで試さないと証明できないんじゃねぇか!」
「バカ野郎! いつ降るかわからん雨なんか待ってられるか!」
「バカはお前だ! おい、舌を伸ばすな!」
完璧な正論を罵声でかき消すところを見ると、論陣ではこちらの勝利。
右手でスカートを、左手で俺の額を押さえながら暴れる彼女に対して、証明の最終
工程を強行すべく、あと少しもう少しで舌先が……!
「なんだよ! 人の足裏を舐めるとか、矜持とかないのかよ!」
「なんだと! 人をなんだと思っているだ! 俺はただ、ハッピーエンドが好きなだけだ! その為だったら、泥水だろうがJKの足裏だろうが啜って見せるぞ!」
「バカかよ! あと泥水と一緒にするな!」
「足跡に溜まる水のほうが証明の確度は高いからな! 確かに失礼な物言いだった!」
自由だった左の足が肩口、つまり傷口の上に振り下ろされた。
悲鳴を上げ、だけど、
「俺は……絶対に……ハッピーエンドを諦めないぞ……!」
不屈の魂で、舌を伸ばす。
と、
「岳ちゃんと……幸……ちゃん……?」
愛すべきマイ幼馴染が、集積場側から現れ、手にしていたカバンを取り落とす。
予想外の来訪者に、泣き面に『よかった』を浮かべた真上が助けを求めて、
「栄! 助けてくれ! こいつがいきなり……!」
「わかった! ハッピーエンドなんだね、幸ちゃん!」
さすが、長い付き合いで価値観を完璧に共有している幼馴染。愛している。世界が滅びさえしなければ、今すぐに手を繋いで帰りたいくらいだ。
言うや駆け寄り、安堵を絶望に塗り替えられた美貌の肩を押さえ、腕の稼働自由を奪う。
「お、おい! 栄! パンツ見えちまうから……!」
「安心して! 幸ちゃんはハッピーエンドしか見てないからパンツなんか目に入らないよ!」
えぇ……と目を細める真上に、その右の足首を掴み直せば、
「ま、待てって! なにか他に方法があるはずだって!」
「事ここに至ったら、これが最速に決まっている。覚悟して、リラックスしろ!」
「矛盾がひどい! ま、待て、ちょ、あぁ……!」
肩を抑えられたことで組織的な抵抗は不可能となり、己の足裏に迫る舌先を絶望の眼差しで眺めるだけ。
その距離が残り五センチに迫り、
「や……ダメだって……!」
三センチとなり、
「うぅ……やめ……!」
一センチを切ったところで、
「わ、わかった! 私は人狼だ! な、わかったろ! やめてく……あっあっあっ」
これ以上にない自白供述を得ることができた。ちょっと遅かったが。
あと、狼女の足裏を舐めても狼男にならないことも証明されたので、結果としてめでたしめでたし、と相成ったのである。
グーで両目を殴られはしたけども。
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