4:世界の終わりに滴る血潮
「助かったよ、幸ちゃん!」
硬いタイルに身を削られている無残なゴミ袋たちを見かねて、俺は栄の仕事を借り受けることにした。
さほど重くはないゴミ袋二つを集積場に放り込んで、手を叩きほろう。
「クラスの奴、誰か代わってくれなかったのかよ」
「当番だからね、公平にしないとダメでしょ」
夏の水面に広がる波目のような明るく屈託のない笑顔を向けられると、それ以上なにも言えなくなって、
「お前が良いならそれまでだけどさ」
と、遠回しの肯定を見せるしかない。
じゃあまあ仕事も終わったし、要件を切り出そうかと幼馴染に向きなおれば、
「幸ちゃん、マジメな話なんだけど」
真正面から見上げてくる彼女に、先手を取られた。子供がするわざとらしい難し気な顔に、意外を覚えながら、小さく両手を広げて聞く姿勢を示す。
はて、いつもの笑顔を消してまで議場に上げなければならない話題とは、と首を捻って待ち構えていると、
「岳ちゃんのことなの」
自分が訊ねたかった案件が、先方から告げられたのだった。
なるほど、同じような懸念を、自分なんかよりも当事者に近い幼馴染はすでに抱えていたということか。
なんだか、根回しもなく同じ話題に同じく懸念を出来上がらせていたことに、不謹慎ながら少し嬉しさがあって、
「そっか、そうだよな。真上、ちょっと微妙なスタンスにいるもんな」
「うんうん、そうなの……」
両親のこと、その両親の元から離れていること、学内での孤立について……さまざまとアンハッピーな懸案が並んでいるのだ。
可哀そう、だなんて軽々しく言えるわけがない。その言葉は、現状にある人の歩み全てを押しつぶして独善的に決めつける、思想の暴力だ。
だけど、困ってはいないだろうか、力になれないだろうか、幸せでいられるだろうか。
思わずには居られなくて。
だから、そんな思いを共有できていることが嬉しく思って、
「このままじゃ、世界が滅んでしまうんだから!」
胸で育まれたほっこりとした何かが、突然に振り下ろされた大木槌でぶち砕かれてしまったのだった。
※
爆散したハートを搔き集めて理性を作り戻すと、
「……世界が滅ぶのか?」
「うん!」
「俺とお前がくっついても、世界が滅ぶんだよな?」
「うん!」
「それとは別に、真上のせいで世界が滅ぶのか?」
「うん!」
世界ってのは、ずいぶんと脆くて弱々しいんだな……と遠のきかけた意識をどうにかリング際で踏みとどまらせる。
虹珠・幸一の哲学として、巻・栄が他人を傷つける嘘を吐くはずがない、という事項がある。
だから、今の言葉は完璧な真実であるか、もしくは栄自身の意識が正常を失っているか、の二つに一つ。
どちらもにわかには呑み込めない、呑み込みたくない話で、
「原因はなんなんだよ」
踏み込んで納得を探り、
「それを排除できれば、どうにかなるんだろ? それとも、タイムパトロールに粛清されちまうから、やっぱり言えないのか?」
協力の道程と、設定の逃げ道を用意してやる。
目的は近似で共通しているのだし、幼馴染を追い込むつもりなどもないのだ。だから穏やかな落としどころを作って見せれば、
「この事案は世界の危機を救うものだから、きっと大丈夫だよ!」
「いいのかよ! ダブルスタンダードじゃねーか!」
あっさりと『可』の解答を示すから、肩を落としてしまう。えへへ、と笑うあたり褒められたと勘違いしているのかもしれない。
「それで、原因なんだけど」
本題に移る合図のように声をひそめるから、こちらも前屈みに顔を近づけ、
「あ、岳ちゃん!」
突然な体の伸び上がりに、小さな額がこちらの鼻面にフレンチキスをかましてきた。
鼻奥に、血の匂いが刺すように広がる。
ぐああ、と鼻奥の鉄臭さにのたうちながら、栄が叫んだ名前に彼女の視線を追いかけざるをえない。
見やった先は、二階を支える鉄骨の柱。確かに真上・岳は、そこにいた。
体育館裏から現れたのであろう、バランスを崩したように柱に体を張りつかせ、支えようとする肘が重たげな体重に負けて折られたまま。
「さ……かぇ……か?」
直立ができずに体勢を取り戻せない、あげく呂律が怪しいという、明らかにおかしな様子で、
「岳ちゃん!」
最後は、どうにか重力に抗っていた膝が力を失い、砂の敷かれた冷たいコンクリートに倒れ込んでしまった。
※
「私、先生呼んで来る!」
咄嗟に駆け寄れば、栄が保健室目指して駆け出していく。
このあたり、付き合いの深い幼馴染の呼吸で、ずいぶん助かる。
真上の肩に手を添えると、コンクリートに押し付けられた美貌を仰向けに。呼吸は浅く早いが、胸が上下するくらいには肺が動いているのを確認。
「大丈夫か⁉ 苦しいか⁉」
顔を赤らめ、呼吸が荒い。
熱でもあるのかと疑って、額に手の平を伸ばせば、
「に……じた……ま?」
呼びかけに反応して、まぶたを薄く開いた。
認識が甘いところから朦朧としていることがわかり、尚更熱を測ろうとすれば、
「……っ」
ぐ、と真上の手が持ち上げ遮り、
「どうした?」
細く熱を帯びる五指が、こちらの指間に、
「おい」
開き、
「真上?」
割り入り、
「おい!」
滑り、
「真上!」
握りしめられた。
※
正気を取り戻さんというこっちの必死な呼びかけもむなしく、いわゆる恋人繋ぎの形に相成った両の手が、
「なんだよ! おい!」
動転する俺を捨て置いて、熱を増していく。
繋がれた手に縋るよう重みが加えられ、気が付けば彼女の体はわずかに起き上がり、完全に目と目が合わされた。
色が、濃い。
元々が深い黒に、瞳孔が開ききってさらに光を吸い込んでいるのだ。
熱に浮かされ、薄く涙を湛え、頬を赤らめた弱々しい姿が、
……これは、すごくいけない!
語彙が怪しくなるほど、艶めかしい色に彩られている。
元々が相当の美人であるのが、本当にダメだ。
このままでは、ついさっき拾い集め直した理性が糾合して『仕方ないじゃない、男子高生だもの』と理性的にGOサインを出しかねない。
救いを求めて、または逃げ道を探して、
「まだか! 栄! 間に合わんぞ!」
繋いだ手をどうにか解きながら、校舎側の入り口に目を向ければ、
「……たすけて」
逆に、胸元から救いを求める声がかけられた。
驚き、視線を戻すと、
「え?」
大きな、立ち上がれば人の背丈ほどもありそうな大きな犬が、豊かにたくわえた黒毛を逆巻かせながら飛び掛かってきて、
「え?」
情けないことながら、その後の悲惨な己の顛末に意識を耐え切れなくなって。暗転し吹き飛ばしてしまったのだった。
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