3:収まる処を計りあぐねる彼女は

 放課後の保健室。


「傷は、まあ後遺症が無い程度だよ。肩から腕にかけて大きく肉が割かれたにしては、神経は無傷だったしね」

 部活のほうは今年いっぱい絶望的だけど、と但し書きを付けてくれるのは、件の被害者を応急処置した保険医だ。


 先交屋・照せんこうや・てらす

 微笑みを絶やさない、と言えば聞こえは良いのだが、その笑顔が薄く固い。悪く言うと酷薄な色を湛えた、無機質さが強い用意された仮面のような笑みなのだ。

 それでいて眼鏡美人なので、特定の男子とさらに狭い範囲の女子に人気が高い。

 言動は概ね真人間であるので俺としては頼れる大人の一人であるのだが、やたらと濃い香水を纏っていることと、ワイシャツネクタイに白衣という暑苦しい恰好だけが欠点だ。


「けど、どうしてそんなことを聞くんだい、虹珠」

 安物の回転椅子に浅く腰かけて机で頬杖をつく先生に、

「たまたま、放課後に近くにいたんですよ。それで気になって」

「へぇ。君が犯人なのかい」


 思わぬ決めつけにぎょっとなるが、冗談だよ、とカラカラ笑うので勘弁してくれと息をつきながら、


「人間に付けられる傷じゃあないさ」

 刃物で割いたほど、傷口は綺麗ではなく。

 人が力任せに割けるほど、傷口は小さくもなく。

「転んだ際に何かへ引っ掛けた、というのが現実的かな。本人、昨日の彼も含めて、皆黒い大きな犬にやられた、なんて口走っているけれど」

 保険医として、傷口にあたった人間としての結論を告げる。


 そんなものか、と納得の言葉と、だけど、と釈然としない気持ちが出来上がる。

 野犬騒ぎなんて、結局はそれぞれ別個の負傷を、好奇と愉快から一つの理由で結び付けただけの代物だったのだ、と。


 だけど、重傷ともいえる怪我が、そう短期間に頻発するだろうか。また、野犬に襲われたなんて証言が、偶然でも一致するものだろうか。

 結論としては、いささか座りが悪い。

 ううむ、と腕を組んで頭を捻っていると、


「そういえば、また真上・岳の関係者だったみたいだね、怪我をしたの」


      ※


「真上? それに、またって」

「なんだ、知らなかったのかい? ここ最近に怪我をした連中は全員が男子で、真上・岳と一緒に居るところを最後に目撃されているんだ」


 なんと。

 初耳であるし、昨日現場近くですれ違ってもいる。

「今日もクラス担任から職員室に呼び出されて、しつこく事情聴取されていたよ。可哀そうに」


 真上・岳は、学校でも浮いた存在だ。

 両親の都合で、とんでもない田舎からそれなりな田舎である牟生市に越してきて、親類に預けられているのだと、幼馴染から聞いた話だ。ちなみに、親類というのは森林組合職員で、小さな彼女が遊びに行くと組合で販売している『杉の山里』という権利関係の怪しいチョコ菓子をごちそうしてくれるのだとか。


 ワイルドな美貌と粗野な言動、またちょっと特殊な家庭事情から皆から遠巻きにされている、そんな少女である。


 で、美人なうえに頼れる人間が少ない転入生となれば、ちょっとやんちゃな男子生徒たちが言い寄るに絶好であり、


「春にそんなことが続いて、なおさら他の生徒と距離を置くようになったらしいですよ」

「はは、あの可愛い幼馴染からの情報かい」

 可愛いの部分も含めて否定要素がゼロだから、ええ、と答えれば、


「そうなると、まさに思春期の弊害だね」

「思春期?」

「人との距離感を計りあぐねている、のさ」


 疑問と言うより驚きの顔をすると、先生は右の人差し指を中心に、さまざまの距離で左の拳を置いていきながら、


「人間は誰も、あの人が好き、嫌い、近くにいたい、遠巻きにしたい、会話は許す、遊びにはいく、お金は貸さない、秘密は教えない……それぞれのパーソナルに対して、適した距離感を設定していくものだ。厳密ではないにしろ、ね。君もそうだろう?」


 まあ、それはそう。

 先生に対するものと、栄に対するものと、いまの主題である真上に対するものでは、言う通り距離感が違っている。

 だけど、


「真上・岳はその設定が上手くいっていない。本来なら、遅くとも中学生辺りで解決している問題であるけれど、田舎から出てきたということで、同年代の子供が少なかった、もしかしたら皆無で、問題が捨て置かれていたのかもしれない。このご時世だからね、ありえなくもないだろう?」


 いやまあ、想像の話であるが、可能性としてはありえるだろうが、それだと、


「一部の例外を除いて、全て『嫌い』に一括で設定してしまっているんだろう。だから、一部の出来事を全に嵌め込んでしまったんじゃあないだろうかね」


 彼女は育った環境のせいで、狭い視野に囚われ、誰も彼もを遠ざけている。

 それではあまりにも悲しく、アンハッピーじゃないか。


      ※


 思春期の問題なんか時間が解決するものだ、と先交屋先生は笑った。


 だけど、拗れない保証なんかないし、拗れてしまった後に治る確証だってない。

 いまのまま誰もから距離を置いて、大人になっても孤立したままになってしまうなんてこともあり得る話だ。

 解決すべき問題として、興味本位でしかなかった野犬騒ぎよりも優先順位は、険峻の造山活動のように急激に高まっている。


 だから何ができるかというと、すぐには思いつかない。

 保健室を後にした俺は、それなら、思いつきそうな人間に協力を仰ごうと、教室棟を目指すことにした。


 すれ違う生徒たちは、退屈な授業から解き放れたことで笑顔満面、青春の輝きを謳歌しながら、それぞれの収まる処を目指している。

 あるいは部活動。

 あるいは自宅。

 また、あるいは小さいながら賑やかな繁華街へ。

 大小さまざま目的をカバンに詰め込んで、足を軽くしているのだ。


 良い事だと思い、だけどそれなら真上はどこを目指すのか、収まるべき処を持ち合わせているのだろうか、なんて眉目を曇らせてしまう。

 俺みたいな、幼馴染にフラれて収まるべき処を見失っている人間が、他人の心配をするなんて余計なお世話で傲慢かもしれないけれど、気を揉むことはやめられないでいる。

 だから、解決の糸口を握るかもしれない人物を訪ねて廊下を進んでいたのだが、


「あれ、幸ちゃん?」

 当のお相手が、両手にぶら下げたゴミ袋を半ば引き摺るような姿で、廊下の角から現れたのだった。

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