11-2(42)

〈ヒュ――〉

     〈ざわざわ〉〈ざわざわ〉〈カサカサカサ〉……


「どうしてじゃないわよ。アンタさ~ ナギサって子、知ってるでしょ」

「う、うん。この前彼女と会ったばっかだけど」

「彼女、今カウンセリングの先生役やってるんだけどレンちゃんの言動が

うつ病じゃないかって私に教えてくれたのよ。しかも重症らしいのよ」

「そ、そうなんだ」

「そうなんだじゃないわよ。私も様子が気になってレンちゃんの後付けて

来たら夜中にこんな所で座り込んじゃってさ、こんな所で何やってるのよ!」

「何ってこれだよ」と僕は紙コップを彼女に向かって差し出した。

「何よコレ、ウイスキー?」

「あぁ、そうだよ。ココで一人キャンプしてたんだ」と僕はバッグから

スナック菓子を取り出した。

「ふぅ~ん、キャンプね~ぇ」とナオミの視線が後方の木に移るのを確認

した僕は慌てるように立ち上がり彼女の視界を遮ろうとしたが遅かった。

「レンちゃん、これから体操選手にでもなるの?」と彼女は枝から垂れ下がる

縄のワッカ部分に右腕を通しまるでモデルのようなポーズを決めシレっと

こちらに視線を送った。

「……そ、そうするしかなかったんだ」

「じゃ~ 私たちはどうなるのよ。レンちゃん、小説続けるって言って

たじゃない! これからすっごく面白い展開になるじゃなかったの!」と

ナオミは俯く僕に畳み掛けるように訴えた。 

「この先は僕以外の誰かが執筆してくれるよ。一応ネットで募集掛けたから

きっと大丈夫だよ」

「そんなインチキなやり方通るって本気で思ってんの!」

「えっ、ダメなの?」

「当ったり前じゃない!」とナオミは声を荒げた。

「僕はもう疲れたんだ。ナオミも知っての通り意味のない確認行為や加害恐怖

に加え不潔恐怖が僕の日常を非日常に変えてしまうんだ。こんな状態が毎日の

ように続くんだよ。ナオミの世界と違ってこっちはリアルなんだ。こんなの

普通の神経じゃとてもじゃないけど耐えられないよ」と僕はカップに残っている

ウイスキーを全て飲み干した。

「レンちゃん、心療内科に通ってるって言ってたわよね」

「いや、もう通うのヤメにしたんだ。どうせあんなの気休めなんだし意味ない

からさ」と僕は再び紙コップにウイスキーを注ぎ込んだ。

「どうして簡単に諦めるのよ。通院してれば何か解決方法が見つかるかもしれ

ないじゃない!」

「もういいんだって。さっきも言ったろ、もう疲れたんだよ!」と僕はたまらず

声を荒げた。

「諦めちゃだめよ、こんなのレンちゃんが無意識に描いたシナリオみたい

なもんでいずれ回復するわよ! だから舞台を降りるのだけは絶対反対よ!」

「いい加減な事言うなよ! ここはナオミの世界と違ってリアルなの!

何回も同じ事言わせんなよ」


 僕はナオミに背を向け灰色がかった夜空を呆然と見つめた。


〈ガサ!〉〈ガサ!〉……


「何やってんの? お菓子はもう入ってないよ」と僕がため息まじりに

振り向くとナオミはバックから予備の縄を取り出しそれを手際よく僕が

設置した縄の隣に括り付け出した。


「ナオミ、な、何してんだよ!」


 僕は慌てて立ち上がると勢いそのままナオミの左腕を掴み彼女を睨み付けた。


「レンちゃんの決心が変わらないなら私も付き合ってあげるわよ」とナオミ

は僕とは対照的な柔らかな笑みを浮かべた。

「何でナオミが僕と一緒に死ぬんだよ! 全く意味分かんないよ」

「私がずっとそばにいた方が安心でしょ。レンちゃん、まだ病気治って

ないんだしさ」

「はぁ? 一体どういう事だよ」

「だって死んじゃっても私といれば何回も確認行為しなくっても済むし、

ずっと一緒だからもう寂しくないでしょ、ねっ!」


「ナオミ……」


 全身の力が一気に抜け、僕はまるで崩れ落ちるようにその場に跪いた。

 とめどなく溢れ出す涙が目の前の枯れ葉を容赦なく濡らしてゆく。


〈ザクッ〉〈ザクッ〉……


 ナオミはゆっくり近づくと跪づく僕を無言で優しく包み込むように抱き

寄せ、まるでゆりかごのような動きで僕の身体を何度も左右に揺さ振った。

 ナオミの胸の谷間に深く顔を埋める僕は彼女の問い掛けに何一つ言葉を

発する事なくまるで駄々っ子のようにひたすら首を横に振り続けた。


「レンちゃん、どうするの?」

            「……」

  「黙って首振るだけじゃ分かんないよ」  

                  「……」

         「もう少しココにいる?」

                   「……」

            「そろそろ一緒に帰ろっか?」

                        「……」

              「どっちなの?」

                    「……」       

                「もぉ~ ずっとそうしてなさい」

                              「……」

「でも気持ち悪くなったら言うのよ」        

               「……」

       「レンちゃん、お水飲む?」

                  「……」

         「いらないのね。じゃ~ お菓子食べる?」

                           「……」

                    

 僕はまるでナオミの愛情を確かめるようひたすら首を横に振り続けた。

 体の内側から全身へ痺れるような感覚に見舞われた僕はかつて体験した事

のない多幸感で満たされていた。

 とにかく温かく溶けてしまいそうなこの感覚はこれまでの心の痛みや辛さ

全てを洗い流してしまうほど強烈だった。

 そんなナオミの深い愛情を全身で浴びる中、突如として聞きなれない

女性の声が園内全体に響き渡った。


『田町さ~ん!』『田町さ~ん!』『聞こえますか―!』


「レンちゃん、そろそろお別れね」

「えっ、お別れ? どうして? そ、そんなのイヤだよ。このままずっと

僕と一緒はダメなの?」

「うん」

「どうしても?」と僕が顔を上げナオミの切なげな瞳を見つめたその瞬間!

周りの景色が一変した。


(こ、ここはどこだ……)


「田町さん、分かりますか?」「三田さん、先生、呼んで来て!」

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