10-4(40)

〈カッチ!〉〈カッチ!〉〈カッチ!〉……


「レンちゃん、起きて。もうすぐ到着よ」

「えっ、着いたの?」

「うん。あれ? レンちゃん、このパーキングって料金所がないんだけど

このまま入っていいのかな?」

「料金所? あっ、いいの、いいの。書くの忘れただけだから」と僕は

シートを起こし窓を少し開けた。

「いい香りね」

「うん、なんか旅行に来たって感じするよね」と僕は窓を全開にし体全体

で息を吸い込んだ。

「レンちゃん、何してるのよ。早く窓閉めて、着いたわよ」とナオミは

運転席のドアを開けると僕同様大きく息を吸い込んだ。


 駐車場を後にした僕たち2人は海岸沿いの歩道から砂浜に繋がる細く急な

階段を下りるとそのまま一気に波打ち際まで近づいた。

 

〈ザザ――ッ!〉

     〈ザザ――ッ!〉〈ザザ――ッ!〉…………


「うわ~ まさに大自然って感じね。レンちゃん、風景描写頑張ったわね」

「うん、まぁナオミに運転任せっきりだったからこれぐらいはね」と僕は

まんざらでもない様子で日の光でキラキラと輝く水面を見渡した。

「レンちゃん、もう少しココにいていい?」

「もちろん。僕、今からバーベキューの用意するから」と僕は仮設テントが

あるバーベキュー会場へ向かい、予め予約しておいた食材セットをスタッフ

から受け取るとすぐさま大型コンロの着火準備を始めた。


〈カチッ!〉〈カチッ!〉〈ぼわっ!〉


「よし準備完了! 食材も思ったよりイイかも」


『レンちゃ~ん! 用意できた~』


 ナオミは軽く手を振り満面の笑みを浮かべながらこちらに向かって走って

来るのが見えた。


「おかえりナオミ、後は焼くだけだよ!」と僕はエビやホタテなどの海鮮類

に加えステーキ肉でずっしり重い大皿をナオミに向け傾けた。

「うわ~ すっごく豪勢ね!」

「さっ、座って、座って! ナオミは食べるだけで何にもしなくてイイからね」

と僕は木製の長椅子の上にナプキンを乗せた。

「ありがと! 何だか悪いわね」

「当然だよ。代わりに運転してもらったり、僕の病気で色々お世話になった

からね~」と僕はトングでリズミカルに食材を網に乗せ軽く汗を拭った。


〈ジュ――ッ!〉〈パチ!〉〈パチ!〉


「じゃ~ 私はおしゃべり係担当ね!」


 愛くるしい表情で出会った頃から闘病生活での辛い思い出をまるで

昨日の事のように冗舌に喋り続づけるナオミに圧倒される僕は終始相づちを

繰り返した。

 キラキラ輝くような笑顔の彼女からは悩んでいる様子など微塵もなく、

それはナギサさんが言うナオミという女性は人違いではないかと疑って

しまうほどだ。


「何なのよ。も~ 私の顔に何か付いてる?」

「あっ、いや、何でもないよ」「それにしてもさ~ ナオミって細かな事

よ~く覚えてるよね」「はい! お皿貸して」とナオミから紙皿を受け取る

とトングで彼女が好物の海鮮類と野菜をバランスよく入れてあげた。

「どうもありがとう。確かにレンちゃんが言うように次々と頭に浮かんで

来ちゃうのよね~」

「ホント凄い記憶力だよ。僕なんてナオミの話、半分ほど忘れちゃってるもん」

「半分ってレンちゃん、まさか今まで適当に聞いてたの?」

「あっ、いや冗談だよ、冗談。ははっ、そんな怖い顔すんなよ」と大きな

エビをそっとナオミの紙皿の上に乗せてあげた。

「やっぱり突然舞い込んだ初めてのヒロイン役だったからさ~ 作品に対する

思い入れが他の作品以上に強かったっていうのがあるかもね」とナオミは

エビの皮を丁寧に剥きながら頷いた。

「まさに大抜擢ってワケだ」

「まぁ、そういうことね。ところでさ~ レンちゃん、身体大丈夫なの?」

「えっ、な、何だよ突然」

「だってすっごい痩せちゃたし、何だかいつもと違うんだもん」

「違うって?」

「なんか~ ムリしてるっていうかさ」と彼女は疑ったような目つきで

左の眉をピクピクと動かした。

「確かにナオミの言う通りあまり調子は良くないんだ。でも今、心療内科に

通ってるからそのうち良くなるよ」 

「そうなんだ。レンちゃんが前向きなんでちょっと安心したわ」

「ごめんな、心配かけちゃって」

「そんなの気にしないで。そんなことよりこの後、砂浜に寝転んで星空

見ながら色々話さない?」

「じゃ~ 今焼いてるの食べたら行こっか!」

「うん!」


 僕たちは2人は早々に食事を切り上げると波打ち際の砂浜に仲良く仰向け

に寝転んだ。


〈ザザ――ッ!〉…… 

          〈ザザ――ッ!〉……

                    〈ザザ――ッ!〉…… 


 規則正しく流れる波音をバックに夜空全体に広がる満天の星空。

 それはシーンの最後を飾るに最高のシチュエーションのはずが月明かり

に照らされたナオミから不思議と笑顔が消えていた。


「ナオミ、気分でも悪いの?」

「違うの」

「何だよ~ 何か僕、ナオミの気に障るような事言った?」

「レンちゃん、ごめんね」

「えっ、何でナオミが謝るの?」

「レンちゃんの病気悪化させたの私のせいだもん。だって私が無理やり小説

書かせちゃったから」とナオミは上半身をゆっくり起こし膝を抱えた。

「何言ってんだよ、ナオミのせいじゃないよ。遅かれ早かれ今の状態に

なってたよ。ほら、ナオミの世界で言うところのシナリオ通りってやつだよ!」

と僕は軽く笑い飛ばした。 

「ホントにごめんね。レンちゃん」

「大丈夫だよ、僕は。それより物語としてこの先すっごく面白くなるよ!

こ~んな形で」と僕は大げさに右腕を何度も上下させた。

「えっ、そうなの。例えばどんな風に」とナオミの表情が一変し、いつもの

笑顔を覗かせ距離を詰めて来た。

「それは今は言えないよ~」

「何よ、それ。でもレンちゃんが小説続ける気満々なんでちょっと安心したわ」

「もしかして連載終了するかもって心配だった?」

「そりゃ~ 心配したわよ。もうレンちゃんと会えなくなるじゃないかって。

ココんところ建物内や風景描写はすっごくいい出来なのに作品全体に力がない

って言うかさ~ 何年も女優やってると分かるんだよね」とナオミは腕を組み

少し上から目線で何度も頷いた。

「まぁ、確かに体調悪かったからね。でもこれからは色んな意味で挽回する

つもりなんだ。期待していいよ!」

「もう~ あんまり頑張り過ぎず、ゆっくりでイイんだからね」

「うん、そうするよ」


 誰もいない砂浜で月明かりに照らされた僕たち2人は互いに星空を見上げ

ながら順調にエンディングへのカウントダウンに入った。


「ところでさぁ、レンちゃんって兄弟とかいるの?」

「弟がいるよ。小説の最初の方に書いてたじゃん」

「それって主人公のアキラくんでしょ。そうじゃなくってレンちゃん自身の事

聞いてるの」とナオミは呆れた表情でこちらに顔を向けた。

「兄弟はいないよ」

「じゃ~ お父さん、お母さんってどんな人なの?」

「両親もいないんだ」

「えっ、じゃ~ レンちゃんってどうやって過ごしてたの?」


 ナオミはかなり驚いた様子で再び急接近して来た。


「実は高校卒業まで施設にいたんだ。施設の先生によるとさ、父親らしき男性

が赤ん坊の僕を施設に置き去りにしたみたいなんだ」

「父親らしきってレンちゃんのお父さんじゃないの?」

「そこんところがはっきりと分からないんだ」

「じゃ~ 当然お母さんのこともレンちゃん知らないのよね」

「うん、何にも」と僕はナオミ同様ゆっくり上半身を起こした。

「レンちゃん、ごめんね。変な事聞いちゃって」とナオミは僕の肩を数回

軽く叩いた。

「ナオミのおかげだよ。本当に感謝してるんだ。ありがとう、ナオミ」

「な、何よ、急に。別に私、レンちゃんから感謝されるような事何もして

ないわよ」

「僕の性格かどうか分かんないけど昔っから人と関わるのが苦手でね。 

施設でも孤立気味で別にそれが苦じゃないっていうか、それが僕にとっての

日常だったんだ。でもね、今もこうやってナオミが僕に寄り添って話を

聞いてくれてるだろ。なんだかそれだけで幸せっていうかさ~」

「へぇ~ ずいぶん嬉しい事言ってくれるのね! でもその割には私たちの

恋人関係全然進展してないんだけど」とナオミは少々不満気な表情を浮かべ

ながら人差し指で砂を堀始めた。

「実は初めてなんだ」

「初めてって?」

「だからこんな関係だよ」

「えっ、もしかしてレンちゃん恋愛経験ナシって事?」

「そ、そうだよ。悪い? たまたま機会がなかったんだよ」と思わず視線を

外すとナオミはいきなり僕の背中に覆いかぶさってきた。


『うわっ! 何すんだよ、いきなり』


「いいじゃない、私たち恋人同士なんだし、周りに誰もいないんだからさ。

「まぁ、そ、そうだけど僕、あんまりこういのに慣れてないんだけど」

「これからは私がリードするからレンちゃんはこれまで通り舞台セットと

シナリオよろしくね」と耳元で囁くとナオミは僕の両肩を支えにさらに

深く覆いかぶさり僕に全体重を預けた。


 背中全体に感じる女性特有の柔らかな感触、ナオミから放たれる甘い香り

が潮風の匂いを強引に追いやり僕の顔全体にまとわりつく。

 おそらくこの状態が僕たち2人にとってのラストカットとなるだろう。

 後悔がないのかと言えば嘘になるがいかにも恋愛未経験の僕らしい終演だ。

 最後に不治の病で命を落としかけたナオミが今こうして元気な姿を背中を通し

身体全体で感じられるだけでも僕は十分幸せだ。

 

〈ザザ――ッ!〉…… 〈ザザ――ッ!〉……


 シーンの終了が迫っているのか次第に細かく描写したはずの遠くに見える

景色がぼやけ始めた。

 おそらくあと数分で僕たち2人の関係も周りの景色同様全て消えてなく

なってしまうだろう。

 ナオミは消えゆく水面をじっと見つめ少し悲しげな表情を浮かべながら

再び僕の耳元で呟いた。


「終わりの時間が近づいて来たね」 

「うん。もうそろそろかな」

「レンちゃん、やめないよね」

「えっ!」

「やめないよね、小説」

「も、もちろんだよ。さっきも言ったろ、この後の展開が面白いんだって」

「本当に信用していいのね」

「うん、ナオミはそんな事気にしないで今まで通り女優業に徹してくれれば

いいんだからさ」

「そう……」


 力なく答えるナオミはその後一言も語らず月明かりに揺れる波の動きを

最後まで眺め続けた。

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