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「い、いやたまたま迷い込んだだけなんです。今すぐ帰りますから見逃して

もらえないでしょうか」と僕は幾度となく頭を下げ懇願し続けた。

 すると黙って腕組みしていたその女性は人差し指でテーブルクロスをなぞり

ながら僕の真向かいの席まで来るとそのまま腰掛け突如表情を緩めた。


「ふっ、私、誰だか分かる?」

「い、いえ分かりません。警察関係の方ですよね」

「違うわよ。ヒントはね~」

「そ、それより何とか見逃してもらえませんか?」ともう一度深々と頭を

下げる中、先ほど頼んだワインが運ばれて来た。

 男性はアイスペールからボトルを抜き取り手際よく僕たちのグラスにワイン

を注ぎ込むとまるで僕たちとの関わりを避けるかように足早に立ち去って

しまった。

「レンくんってちゃ~んと約束守るんだね」とその女性はニッコリ微笑んだ。

「えっ、約束?」

「ほら、今度会う時はレストランでって約束したでしょ! 私の旧姓はミサキ」

「ミサキってあのミサキさん?」

「そう、ごめんね! ちょっとレンくんをからかってみたくなっちゃって」

「じゃ~ 逮捕はナシってこと?」

「もちろんよ。だって私はただのキャストだもん」と胸元のネックストラップ

こちら側に突き出した。

「新藤ナギサ…… さんなの?」

「そう、今週から新たに連載が始まった小説にキャスティングされたのよ。今回

も脇役だけど出番もけっこう多いみたいだし前より若干若くなったんでまぁ~

イイかなって」と彼女はネックストラップで扇ぐような仕草を見せた。

「前は正統派美人だったけど今回もかなり魅力的ですね!」

「レンくんって相変わらず褒め上手ね~」と彼女は照れ笑いを浮かべながら

ワイングラスをゆっくり傾けた。

「ところでこのレストランってホントに人気店なんですか? そこそこ

埋まってるみたいですけど」

「そうよ~ 料理の味はともかく全体の雰囲気が人気なの。そうそうココの

コース料理はメインディッシュがないのよね、随分変わってるでしょ」

「そ、そうなんだ、ははっ!」と僕は周りを見渡し首を傾げた。

「どうかしたの?」

「あっ、いや、せっかく高級レストランで食事してるのに暗い顔したお客さん

がやけに多いなって。料理の味、相当マズいのかな?」と再び各テーブルに

目を向けると彼女は無言で首を数回横に振るような仕草を見せた。

「ココにいるキャスト共通の心配事って何だか分かる?」

「それは~ その~ 人それぞれ色々あるんじゃないですか?」

「まぁ、確かにそうなんだけど私には大体察しがつくわ」

「それって何なんですか?」

「たぶん脚本の行方よ」と彼女は僕同様各テーブルを見渡した。

「いわゆるちゃんとしたエンディングを迎えることが出来るかどうかって事

ですか?」

「まぁ、そういうことね」と彼女は軽く目を閉じ小さなため息を吐いた。

「確か作者が小説を完結させなければキャスト達はフリーズしていずれ消えて

なくなっちゃうんですよね」

「見た目にはそうなんだけどその後の事は誰にも分からないわ。配役の決定方法

なんかもね、はっきりとした査定基準みたいなのが明瞭じゃないから仲間内では

色んな憶測が飛び交ってるわ」

「例えばどんなのがウワサになってるんですか?」

「最近よく聞くのがポイント制度かな。どんな配役でも全力で取り組んでるとか

演技に深みがあるとかでポイントが加算されてそれが次回の配役に反映される

みたいな」

「なるほどね~ まぁ、アリガチって感じですよね」と僕はワインを少し持ち

上げグラス越しに彼女を見つめた。

「いずれにしても物語が完結した上での話で途中で打ち切りになったり、強引に

終わらせた小説のポイントは無効になるっていうのが大方の見方ね」


「あれ? レンくん、どうかした?」


「あっ、いや、何でもないですよ、ハハッ!」 

「まぁ、実際のところ役を最後まで演じ切らないと配役の心情なんかも深く

読み取れないしね。キャストの話に戻すと途中で打ち切られると役者としての

経験値を得る事が出来ないじゃない。つまり今までの熱演全てが無駄に

なっちゃうんでみんな極端に落ち込んじゃうのよ。キャストにとって経験値は

ある意味とっても大切なの。経験値は多ければ多いほど役者としてのキャパも

広がるし、役を貰った時も焦らずに済むでしょ!」

「なるほどね。キャストさん達にとって配役は人生そのものですもんね」

「まっ、そういうことね」「あっ、ところでこの前、私に相談したい事が

あるって言ってたけど何だったの? 今ならイイわよ」

「いや、もういいんです。忘れて下さい」

「もういいって解決したの?」

「いえ、解決したってワケじゃないけどもうその必要性がなくなったていうか」

となんともはっきりしない僕の返答に彼女は少々懐疑的な表情を浮かべるも

あえて問い正すような事はなかった。

「まぁ、レンくんがそれでいいならイイんだけどさ」

「なんかすみません」


 それまでの弾むような会話が一瞬にして静まり返り、若干の気まずさを

感じた僕はアイスペールからボトルを引き上げると自ら彼女のグラスにワイン 

をなみなみと注ぎ込んだ。


「どうもありがとう、レンくん」

「いや、グラスが空になってるの気づかなくて」と恐縮気味に視線を逸らすと

彼女は心配そうな表情を浮かべながら僕の顔を覗き込んだ。

「レンくん、ずいぶん痩せたね」

「えっ、そ、そうかな?」

「それにさっきからとっても疲れた表情してるわ。何があったの?」

「まぁ、色々と……」

「私で良ければ話してみない? 今ちょうどカウンセリングの先生役やって

るからもしかするとレンくんのお役に立てるかもよ」と一瞬彼女の表情が

ほころんだ。

「すみません、何か気使わせちゃって。でも本当にもう大丈夫なんで」

「そう、わかったわ。でも話したくなったら遠慮しないでいつでも言ってね」

「はい、ありがとうございます。ミサキさん、あ、いやナギサさんってホント

優しいんですね」

「ずっと前にね、私すっごく落ち込んだ時期があってね。それでレンくん

みたく痩せちゃてもう自分ではどうにもならなかった時、それほど親しくない

友人が私に声掛けてくれたのね。それがすっごく嬉しかったんだよね。別に

悩みが解決したワケじゃないんだけどとっても救われた気分になったの」と

彼女はワイングラスを少し持ち上げグラスの真ん中辺りをじっと見つめた。

「ナギサさんってキャストだから色んな経験してるんですね」

「まぁ、レンくんの世界と違って私たちキャストは短い期間に色んな経験

させられるからね~」と彼女はグラスを下したタイミングでコース料理の

前菜が運ばれて来た。


『お待たせしました。本日の前菜でございます』


〈コト……〉〈ス――ッ〉

           〈コト……〉〈ス――ッ〉

                     『ごゆっくりお楽しみください』


「ねっ、ココの前菜、とっても素敵でしょ!」

「そ、そうですね」

「ところでレンくん、執筆活動は順調なの?」

「えっ、まぁまぁって感じですかね」

「主人公はどんな感じの人なの?」

「アキラって男性で……、正直言うと中身は僕自身なんです」

「へぇ~ レンくんってもしかすると恋愛オタク系?」

「ち、違いますよ。これには前作からの経緯でしょうがなかったんですよ」

と必死で抵抗するも図星だった。

「で、彼女はどんな子なのよ」

「ナオミって名のけっこう勝気な女の子で前作では長い闘病生活で辛い思い

させちゃった子なんです」と僕はスマホと取り出し待ち受け画面を彼女に

向けた。

「あっ、この子、私知ってるわよ」

「えっ、ホントですか?」

「えぇ、だってこのレストラン教えてくれたの彼女だもん。あっ、もしかして

このレストランってレンくんがオーナーなの?」

「オーナーっていうかナオミの快気祝い用に執筆したんですけどね」と僕は

少々照れながら頭を掻いた。

「へぇ~ レンくん、やるわね~ 私が今まで出演した舞台セットの中でも

余裕でベスト30に入るわよ!」

「ははっ! それはどうも……」(なんだか微妙だな)

「あの~ ナギサさん」

「なぁ~に?」

「ナオミとは親しいんですか?」

「そうね、最近けっこう2人で会うこと多いわよ」と入り口付近見渡した。

「どうかしたんですか?」

「彼女いつも今頃の時間帯によく一人で来店して私と食事すること多いん

だけど最近どうも様子が変なのよね」

「変ってどんな感じなんですか?」

「何か思い悩んでる感じっていうか~ レンくんと何かあったの?」

「いえ、特に思い当たるフシはないですけど」と動揺を隠せず視線を

逸らす僕に彼女は身を乗り出すような姿勢で囁いた。

「レンくん、ホントのところ真面目に執筆活動続けてるの?」

「えっ、まぁなんとか。あっ、そうそう今後はこれまで以上にすっごく面白い

展開になると思うんです」と引きつったような笑顔を見せる僕に彼女は不信感

たっぷりな表情で急接近し顔を斜めに傾けた。

「ふ~ん、それじゃ~ 何かいいアイデア浮かんだのね。どんな感じなの?」

「えっと、そ、それはココでは言えないっていうか……」

「まぁいいわ。とりあえず小説は完成させるのよ」

「は、はい。それはもう、全力で取り組むつもりなんで」と僕はナプキンを

テーブルにそっと置き立ち上がった。

「どうしたの?」

「もうそろそろ時間だし、ナオミと鉢合わせしたくないんで」と忘れ物が

ないよう椅子周辺を再確認していると彼女がゆっくりと僕に近づいて来る

のがテーブルクロス越しに見えた。

「レンくん、とにかく一人で抱え込んじゃダメよ。辛いときは甘えていいんだ

からね。私、このレストランの常連客だから辛くなったらココに来るのよ、

無理してでも。約束して!」と彼女は右手の小指を立てた。

「ありがとうございます。なんかすごく嬉しいです」と僕は少し緊張気味に

小指を絡ませ頭を下げた。

 心配そうに胸元で手を振る彼女に再度深々と頭を下げた僕はこみ上げる

涙をなんとかこらえるとそのまま彼女を振り切るように店を出た。

 帰宅後僕は映画化されたナオミとの恋愛小説及び現在までの続編全てを

ウェブサイトに公開し、物語の続きを読者に執筆してもらえるよう備考欄に

メッセージを残した。 

 物語を強引に終わらせるより少しでも小説を気に入ってもらえた読者が

僕の代わりに物語を継続する方がより良い選択だと僕なりに結論付けたからだ。

 舞台でキャストが入院するなど代役を立てるケースはよく聞く話だが主人公

だけでなく監督含め全てのスタッフが入れ替わるなんて前代未聞だろう。

 だが死を選択した僕にとって奇策であろうがこれが最良の選択であると

僕自身信じたかった。

 僕は自責の念に駆られながらも出来るだけ丁寧な舞台セット創りを心掛け

懸命に執筆し続けた。

 そして執筆し終えた最後のシーンをウェブサイトに投稿した僕はシーンの

再開を静かに待つことにした。

 

〈チュン!〉〈チュン!〉〈チュン!〉

   〈チュン!〉  〈チュン!〉

 

 愛らしいスズメの鳴き声が徐々に騒がしいロードノイズに変わり始めた。

 いよいよ僕が監修する最後のシーンがスタートしたようだ。

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