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『……色々お気遣い頂きありがとうございます。それでは失礼します』 


〈ピッ!〉


 僕はスマホをテーブルにそっと置き、ソファーに崩れるように倒れ込んだ。

 天井を眺め店長との会話をなぞるように思い返すと懐かしさと店長の優しさ

に思わず涙が溢れ出し、気付けば両手で何度も何度も拭っていた。

 退職を申し出た僕に対し『田町くんの病が完治するの待ってるからね』と休暇

の延長を強く勧めてくれた店長の優しさに加えもう二度とお会い出来ない悲しみ

が僕の涙を更に加速させる。

 僕は遂に自ら死を選ぶ決断を下した。

 恐らくこの病は完治しないだろう。

 レントゲンなどに映し出される悪性腫瘍のような場合、身体にメスを入れ

腫瘍部分を取り去ることも可能だが僕のような精神疾患は事情が異なる。

 それはまるで腫瘍を霧吹きで臓器全体に吹き付けるようなものだから

完治するとしても相当な時間を要するし、腫瘍を全摘出来ないため再発する

危険性が常に伴う。

 故に症状が悪化の一途を辿る今の状況下で今回僕が下した決断はむしろ

積極的で実に前向きな決断と言えるし、治るアテもなくこの苦しみに耐え

続けるなんて今の僕には出来ない。

 僕は数ある方法から成功率、つまり致死率の高さなど様々な要素を総合判断し

屋外で首を吊る事にした。

 目標を定めた僕は以前と違い着実且つ迅速に準備を進めた。

 部屋の片付け、不用品の処分を終えた僕に残されるは小説のエンディング

のみとなっていた。

 だが今の僕に物語を創作する余力などなく、恐らくは不人気で突如として

エンディングを迎える少年雑誌の連載漫画のような終わり方となるだろう。 

 皮肉ながらも小説同様僕自身このような不本意で唐突な人生の終焉を迎える

のはやはり保証された人生など何一つないということか。

 結局僕は社会から落ちこぼれ、ひっそりこの世から消えて無くなるが、今

あらためて振り返ればそんなに悪い人生ではなかったかもしれない。

 いわゆる”降りてきた”的な体験から不慣れな執筆活動を経てわずか2作目

にして映画化、そしてミニシアターで上映されること自体世間的には十分幸運と

言えるだろう。

 しかも自身が創作した女性とリアリティー溢れるデートを体験出来たのだから。

 ただ唯一悔やまれるのは作品の総監督、つまり著者としての自覚が不足して

いたというのは紛れもない事実。

 プロットなしに物語を強引に推し進める無謀さ及び怠慢ゆえ、今作品が脈絡

のない駄作として終焉を迎えるのはある意味当然の結果、まさに身から出た 

錆というわけだ。 

 ナオミをはじめ主要キャスト、建物から備品に至るまで感動的なカーテン

コールを信じ全力で演じてくれたみんなに対し本当に申し訳なく思う。

 ナオミの世界と違いこの世界は著者自身が主人公であり総監督でもある。

 それは自身でプロットを練り上げ自らの人生を全うするという意味だが

僕にはもう夢や目標に向かうどころか普段の生活すらままならない状態だ。

 人生を完走する気力も体力も尽き果ててしまった僕にこの先一体何が待って

いるというのだ。 

 自暴自棄となり他人に危害加えるかもしれないなど今は想像すら出来ないが

パッピーエンドでないことだけはほぼ確実だ。

 とにかく最悪の結末だけは何としてでも避けるべく少々強引ながらも今回

最も前向きで合理的な決断を下したのだ。

 そんな自殺に対する後ろめたさを無理やり正当化する僕は以前ナオミが突如

姿を消したあの公園へと向かっていた。

 目的は自殺を完遂するための下調べだが、僕があの公園内の茂みを選んだ

のはそれ相応の理由がある。

 まずアパート内で実行すれば遺体発見の遅れから腐敗が進みお世話になった

大家さんに多大なご迷惑をかけることになる。

 逆に屋外の場合、特定の人物に対し迷惑をかける可能性は低いが仮に自殺直後

或いは数時間以内に救助されると脳死や植物状態に陥るというある意味最悪の

シナリオを覚悟しなければならない。

 なので一定時間発見されにくい真夜中の公園という選択に至ったが果たして

最適な場所が見つかるかどうか……。


〈ギシッ!〉〈ギシッ!〉〈ギシッ!〉……


 枯れ葉を踏みつけるきしみ音を立てながら僕は外部から死角となりえる場所を

慎重に探し始めた。

 草木と生ゴミが合わさった臭いが立ち込める中歩みを進め、遂に生い茂る草木

が重なり合い遊具がある公園中心部が全く見えなくなる場所までやって来た。


 ここまで来れば大丈夫だな。しかも真夜中に決行するんだからまず見つかる

ことはないだろう。よし、あとは丈夫な枝があれば……「あっ、見つけた!」


 上方に目を向けるとまさに縄をかけるに十分な太く立派な枝が太い幹から斜め

45度方向に伸びているのが確認でき、しかもそれはちょうど地面から約2

メートルというまさに理想的な高さだった。


 この場所が僕にとって最期の舞台か。  


 少し時間を持て余した僕は無意識のうちにナオミの世界に通ずるあの美しい

光のグラデーションのある場所に向かっていた。

 

〈ギシッ!〉〈ギシッ!〉〈ギシッ!〉…… 


「おぉ~ 相変わらず綺麗だな~」


 思わず声に出してしまった僕はしばらくの間その場にしゃがみ込み少し斜め

の角度から光の束を眺め続けた。

 時おり足元から吹き上げる風に枯れ葉がアクロバティックな動きを見せ、

草木が少し遅れて反応する中、光の束は一向にぶれることなく地面に突き

刺さったままだ。 

 各色個性的でどれもが美しく力強く光輝いて見える。

 相変わらずその美しさに魅了された僕は思わず光の束に向かいそっと手を

差し出した。 

 以前と変わらぬ指先の変化に一瞬戸惑うも僕は躊躇なくそのまま向こう側の

世界へ再び足を踏み入れた。

 2日後には僕の存在自体が消えてなくなるのだ。

 最後の思い出作りというワケではないが残された僅かな時間を自身納得した

ものにしたい、そんな思いが僕をナオミがいるこの世界へ向かわせたのかも

しれない。 


――

―――


 街並みは以前とは違いまるで別世界だった。

 建造物を含めこの世界はキャスト達の言わば巨大な楽屋のようなもの。

 出入りが激しく当然全ての景色が様変わりするのは理解出来るがこうまで

違うとさすがに戸惑ってしまう。

 前回と違いゲームやRPGに見るような建物が多くひしめき合う様子に僕は

かなりの違和感を覚えた。

 もちろん前回同様統一感がないのも一因としてあるが、やはり建物に

リアリティーさを感じられないからなのか。

 それにしてもこれほどの建造物が密に存在するのは僕が想像するより遥かに

多くの書き手、つまり自称・小説家が存在するということだろう。

 やはり昔と違い今やSNS全盛時代、当然作品を発表する機会が増えたという

のも一因だろう。

 僕は以前のように動揺することなく思い向くまま歩みを進めた。

 

 似たような建物でも作者によって全然違うんだよな~ 小説初心者の僕

でもこうして実物を目の前にするとホント違いが一目瞭然だもん。たとえ

著者が完璧に建物を創り上げたつもりでも読者からすれば全然違ったり

するんだろな。「おぉ~」この建物はシンプルながら何とも言えない

雰囲気あるよな~ 特に作り込んでるわけじゃないんだけど建物からその

時代背景や情勢、当たってるか分かんないけど何となくストーリーが垣間

見えるんだからプロの作家さんが創ったんだろうな、きっと。それに比べて

何なんだあの鉄骨むき出しの今にも臭って来そうな建物は。まるで幽霊屋敷

じゃんか。あれ? アレって確か……ミサキさんが言ってた有名レストラン?

そうだ! そうに違いない。ちょっと行ってみるかな。

 

 僕は鉄骨むき出しの幽霊屋敷にゆっくり近づくと突然の鉄骨の隙間から

吹きつけるビル風を不覚にも顔全体で受け止めてしまった。


「くっさ―っ! 『ゲホッ!』『ゲホッ!』何なんだ、このドブ臭は」


 ハンカチを鼻に押し当て慎重に建物の裏側へ回り、鉄骨と鉄骨が交差する

ひし形の隙間から漏れ出る光と心地よい音楽に僕はつい足を止め中を覗き込んだ。


 へぇ~ 一応営業してるみたいだな。ココから入ってみるかな。


 僕は足元に注意しつつ光を目印に進むと先ほどまでのドブ臭はすっかり

消え、代わりに草花の上品な香りが辺り一面に充満し始めた。

 次第に聞こえるお客さんらしき話し声を頼りに進み続けるその先には布の

ような物で仕切られた入口があり、どうもその奥にレストランがあるようだ。

 僕は足音を立てず近づき真紅のビロード風カーテンをそっとめくるとそこは

外壁からは想像も出来ないほどの豪華な空間が広がりかなり多くのお客さんで

賑わっていた。 

 カーテンの隙間から顔を覗かせた僕は人々の視線を上手くかわし、一気に

カーテンをすり抜けると何食わぬ顔でシレっと空いてる2人掛けテーブルに

腰掛けた。 

 しばらくすると僕の存在に気づいたのかウエイターらしきが男性がスッと

人差し指を立てるとそのまま満面の笑みでこちらに近づき、空のグラスに水を

注ぎながら丁寧な口調で話掛けた。


「いらっしゃいませ。すぐに白ワインといつものコース料理ご用意しますね」

「えっ、あっ、はい。お、お願いします」

「ではもうしばらくお待ちください」

                

                「……あっ、あの~」

         

          「何でしょうか?」


「し、支払いはこの日本円でいいんでしょうか?」と僕は財布からおもむろに

一万円札を取り出しテーブル上にそっと置くと僕と男性との間に何とも言えない

不穏な空気が流れた。 

「お客様はもしかして……」と若干後ずさり気味の男性を目の当たりにした僕は

瞬時にミサキさんとの会話を思い出した。

(ヤバっ!! 書き手ってバレちゃいけないんだった)

「あっ、こ、これはセリフの練習だよ! 今度の作品で主役に選ばれちゃってね

、SFなんだけどさ」と僕は一万円札をクシャクシャに丸めすぐさまポケットに

しまい込んだ。

「そうだったんですか。いやぁ~ 書き手の方と話したりすると後々面倒なんで」

と安堵の表情を浮かべる男性に対し僕はふと懐かしさに似た親近感を覚えた。

 男性がテーブルを離れ奥でアイスペールに水を注いでいる間、気づかれない

よう彼の横顔をじっくり観察してみた。

 

(あの口髭男性って…… も、もしや!)


 ――僕はおもむろに後ろを振り返り360度店全体を見渡した。


(このしっとりとしたジャズ風の音楽やテーブルの配置、隣のコース料理の前菜

ってまんま僕がナオミと快気祝いで訪れたあの高級フレンチレストランだ!)


 一人落ち着かない僕の挙動に不振感を抱いたのか隣の女性が立ち上がると

ネックストラップを揺らしながらゆっくり確実に僕のテーブルに近づいて来る

のが見えた。


(ヤ、ヤバい。もしかするとあの人、この世界の監視員かもしれない)


〈コツ!〉〈コツ!〉〈コツ!〉ヒールの音が迫って来る……。


(うぁ~ 来た、来た!)


『トン!』『トン!』「……な、何ですか?」


「アナタは書き手でココのキャストじゃないでしょ。不法侵入で逮捕します」

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