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 初めてクリニックを訪れた日から約3週間程過ぎ去ったが症状は改善する

どころかむしろ悪化の一途を辿っていた。

 そんな最悪の状況下、ナオミを含め創作キャストたちを見放すわけには

いかない僕は2週間ほど前にとりあえず短いながらも執筆を終えていた。

 内容は”加害恐怖”に憔悴する僕に代わってナオミが運転を担当し再度

ベイサイドを目指す中、僕は助手席で延々寝続けるという少々乱暴で禁じ手な

内容ながらなんとかシーンを乗り切る事に成功した。

 今の状態ではとてもナオミとまともな会話も出来ない上、症状によっては

最悪この世界に戻って来れない可能性もあるゆえにこうする他なかったのだ。

 明日の受診で7回目となるがどうにも足どりが重い。

 僕の話に対し先生の笑顔で「大変でしたね~」「そうですか~」という台詞

に加え、タイミングよく頷き最後に「頑張りましょう」で締めるいつもの

パターンに少々不信感を抱いていたからだ。

 それは先生との信頼関係が徐々に揺らぎ始めたとも言えるだろう。

 確かに投薬療法の必要性も理解できるがこの三環系の抗うつ薬が僕のうつに

対しピンポインに効いているのかも疑問だ。

 仮に効果があるとしてもそもそもの原因でもある強迫性障害を治癒出来なけ

れば再びうつが繰り返されあまり意味がないような気もするがそれは素人考え

故に本当のところよく分からない。 

 前回は診察前にいきなり心電図を取られたが何の意味があるのだろうか。

 

――

―――

――――


〈コン!〉〈コン!〉


『どうぞ~』


「失礼します」


「どうですか? 調子は」

「先生、あまり良くないです」

「どう良くないんですか? もう薬は効いてるはずなんですけどね~」

「でもむしろ悪化してるようなんです」と僕は先生から目線を逸らした。

「まぁ、とにかく話してみてください。何があったんですか?」

「はい。実は先日とある書類を返送するため名前や住所など必要事項を記入

していたんですけど中々思うように進まなくて」とうなだれる僕に先生は

ため息混じりに具体的なその原因を聞いてきた。

「どういう風に進まないんですか?」

「とりあえず記入は出来るんですが記入ミスがあるんじゃないかって気に

なって気になって……」

「それでどうしたんですか?」

「ですから何回も何回確認してしまって中々返信用の封筒にすら入れられない

んです」とため息を漏らした。

「そうだったんですか。大変でしたね」

「普通なら5分ほどで済む作業に1時間以上費やして、やっとの思いで封筒に

入れのり付けしたにもかかわらずもう一度書類を取り出し確認したりとホント

頭が狂いそうで」と僕は思わず目線を下げた。

 すると普段は気にしなかったが机の下で組まれた先生の両脚が小刻みに

震えているのが見えた。 

 その光景に多少の違和感を覚えた僕だが気にせず身の回りに起こった出来事

を時系列に沿い事細かに喋り続け更に10分ほどが経過した。


「昨日もパソコンで個人情報を入力することになったんですけどまた以前の

書類の記入と同じ状況になり画面を前に固まってしまって……」

「どうかしたんですか?」

「えっ、どうかしたって?」

「だからどうして固まったんですか?」

「どうしてって」(ダメだ、この先生僕の話ちゃんと聞いてない。僕の病気を

治す気なんてさらさらないんだ!)

「田町さん、大丈夫ですか?」

「あの~ 先生、今日で診察最後にしてもらえませんか?」

「ど、どうしたんですか? 突然」と先生は明らかに動揺を隠せず身を乗り

出すような恰好で眼鏡を外した。

「先生に話聞いてもらって一時的に楽にはなるんですがあまり良くなる気配

すらないんで」と僕はこみ上げる怒りを隠し立ち上がった。

「田町さん、お気持ちは分かりますが焦らないでじっくり治しましょ。私も

出来るだけの事はしますから」ともう一度座るよう促されたが僕は完全無視し

深々と頭を下げた。


「今までありがとうございました。それでは手続きよろしくお願いします」


 突然の申し出に呆然と立ち尽くす先生を尻目に僕は足早に診察室から出ると

そのまま待合室の長椅子に座り手続きの終了を待った。

 受付内では先生と女性スタッフがひそひそ話す声が漏れ聞こえては来るが

内容までは理解出来ず僕は受付台の右下に設置された空気清浄機を無言で

眺め続けた。

 徐々に冷静さを取り戻した僕は軽い自己嫌悪状態に陥っていた。

 果たして僕のこの行動は正しかったのか。

 もしかすると僕の思い違いで先生は真剣に考えてくれていたのかもしれない。

 だったら僕は先生に対してとても失礼な事をしてしまったかも。


「タマチさん……」


「あっ、はい」

 

 僕はゆっくり立ち上がり長椅子に忘れ物がないのを確認するため30秒

ほど座っていた場所を凝視していると再び女性スタッフの呼び出しを受けた。


「タマチさん、早くしてください」

「あっ、す、すみません」


 僕は紙袋を抱えながら受付に向かい窓口を覗くといつも笑顔で優しく接して

くれていた女性スタッフの表情と声のトーンが明らかに違っていた。


「診察券と保険証お返しします。こちらが本日の請求額です」


 無表情で淡々と話すスタッフに少々戸惑いながらも僕はお会計を済ませ紙袋

に領収書と診察券をほおり込み再び目線を上げると既に彼女の姿はなかった。

 いつも笑顔の女性スタッフから事務的な言葉以外ひと言も掛けられず、受付

と診察室が奥で繋がっているにもかかわらず先生が僕の前に現れる事もなかった。

 やはり僕の判断は正しかったようだ。

 机の下での激しい貧乏ゆすりやいつもの適当な相づちに加え再診を断った

途端に豹変する女性スタッフの態度。

 つまり僕は単にこのクリニックのお客様だったのだ。

 適当に患者の話を聞き流し、出来るだけ長く受診を継続してもらうのが

このクリニックのビジネスモデルだとすればこの状況は容易に理解できる。

 僕は駅のゴミ箱に診察券を投げ捨て帰宅すると診察券同様残っている薬全てを

ゴミ袋に投げ入れバイト先に電話を入れた。

 

〈プッ・プッ・プッ〉〈プルルルル〉〈プルルルル〉……


……呼び出し音を耳に僕は唾を一つ飲み込んだ。

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