8-4(32)
「どうかしたの?」
「えっ、ごめん。ちょっと昔の事思い出しちゃってね」
「昔って前に出演した小説?」
「うん。私たちって短い期間で色んな役演じるんだけどその時々の思いや感情
が消えないで重なり合うように残ってるの。だからフラッシュバックが起こる
と結構辛くって」
僕は再びナオミが座るソファーに戻るとウェルカムメッセージと共に置かれ
たシャンパングラスをそっと彼女に差し出しシャンパンを注いてあげた。
〈シュワワワ……〉
「細いグラスだから注ぐの結構難しいね。一気に泡が溢れそうでさ」「はい!
どうぞ」
「ありがとう、レンちゃん」
「どうしたのさ~ そんな顔して。前の彼氏だっけ? こんなスイートルーム
に泊まるぐらいなんだからすっごいお金持ちだったんだろうね」
「そうね、確かに彼は仕事で成功したわ」
「やっぱりね。しかも小説の主役だから当然イケメンなんだろ、まったく
もって羨ましいよ」と僕は空のグラスをナオミのグラスに軽く当て冷笑した。
「レンちゃん、幸せって何だと思う?」
「な、何だよ、いきなり。そんなのもう答えが出てるじゃん。こんなトコに
泊まってシャンパン飲んでさ~ あと高級車で海見に行くとか……、そんな
感じなんじゃないの。ナオミはすでに経験済みなんだからあえて今ボクに聞く
必要ないだろ」と僕は空のグラスを逆さに伏せた。
「それがね、実際は違ったのよ。彼、ちっとも幸せそうじゃなかったわ」
「えっ、そうなの?」
懐疑的な表情を浮かべる僕に対し一瞬目を背けた彼女は突如立ち上がると、
いつもの笑顔を取り戻し一気にシャンパンを飲み干した。
「もうこの話はおしまい! ごめんね、レンちゃん。せっかくレンちゃんが
企画してくれた贅沢シーンなのにさ! ところで今日のシーン、つまり肝心の
シナリオはどうなってるの? こんなフリートークばっかでいいの?」
「じ、実はね、ちょっと試してみたんだ」(何だよ、この変わりよう)
「試してみたって?」
「実はこのホテルや部屋の描写に時間使っちゃったからさ~ 今回はシナリオ
そのものを無視したんだよ。まぁ、元々大したシナリオじゃないんだしさ」
「それってテレビでいうと台本ナシのバラエティートーク番組みたいなもんね」
「あっ、でも一応大まかな流れはあるよ」と僕はミリタリーバッグから契約書
の写しとスマートキーを取り出した。
「何なのそれ?」
「実は明日レンタカーで海が見えるベイサイドでお食事ってのはどう?」と
僕はスマートキーを得意げにナオミに向けた。
「つまりレンちゃん企画の豪華デートツアーってワケね!」
「まぁ、そうだね。もうあれこれ考えず小説自体を楽しもうって気持ち切り
替えたんだ。コレって所詮小説なんだし、しかもボクは総監督。つまり何でも
願いが叶うのにそれを楽しまないなんて勿体ないと思わない?」
「確かにそうね。レンちゃんは真面目すぎるからそれぐらい思い切った方が
精神衛生上イイかもね」
「やっぱ楽しまないとね~」と僕は強引にナオミの手を引き部屋を出ると
そのままエレベーターホールへと向かいショッピングモールがある地下1階
ボタンを押した。
〈チ―ン!〉
……
……
……
……
……
……
……
〈チ―ン!〉
〈ガ――――ッ〉
「うわぁ~ 凄いね、レンちゃん! このブランドショップ全部一人で
描いたの?」
「まぁね。海外にある一流ホテルのHPにアクセスしてブランド店ひしめく
高級ショッピングモールを忠実に模写したんだけど、気に入った?」
「部屋もそうなんだけど静止画は上手だよね。ところでなんか買ってくれるの?」
「もちろんさ! だだし手間と時間の関係で入れるお店は決まってるんだけどね」
「まぁ、そりゃそうだよね。さすがに全店の内装までは無理だもんね」
僕たちは指定されたお店でショッピングを楽しんだ後、前回不発に終わった
フレンチのフルコースを堪能し、シメは最上階のバーで夜景を眺めながら高級
ウイスキーをストレートで年代別に飲み比べた。
バーカウンターでは互いにウイスキーについてのウンチクや感想をもっとも
らしくレビューしながらも僕はあえて彼女の過去について触れなかった。
それは過去を蒸し返し、再びナオミを深く傷つけてしまう可能性も否定出来
ない上、僕自身傷心した彼女を支える自信も、人としての器量も十分に備って
いないというのが正直なところだが理由はそれだけではない。
ナオミの元彼という表現が適切かどうかはさておき、明らかに違う属性の男性
に対する嫉妬心のようなものが心の奥底に沈殿していたのは紛れもない事実で、
そんなどうにもならない現実に自身傷付くのを恐れていたからだ。
ナオミも自ら決してその話題に触れようとはせず僕たちは終始笑顔のまま
バーを後にすると上機嫌で互いのベッドに向かってほぼ同時にダイブしていた。
〈ぱふっ!〉〈ぽわん〉〈ぽわん〉
〈ぱふっ!〉〈ぽわん〉〈ぽわん〉
「あ―っ、楽しかった! 色々レンちゃん、ありがとねっ」
「喜んでもらえて嬉しいよ。ちなみにウイスキー、あれホントに美味かった?」
「う、うん。美味しかったわよ。でも私が今まで飲んだのとはちょっと違った
かな」とナオミは器用に白いシーツクルクルと身体に巻き付けると突然顔を
覗かせ上目づかいにニヤッと含み笑いを浮かべた。
「やっぱりな」と僕は落胆し、ナオミとは逆方向にシーツを巻き付け彼女に
背を向けた。
「ちょっとぉ~ レンちゃん。レンちゃんってばっ!」
「何だよ」
「レンちゃんも実際飲んでみて美味しかったんでしょ。アンズやドライフルーツ
の香りからフィニッシュにかけての青リンゴのフレーバーがなんとも爽やかな
とっても飲みやすいウイスキーだよねって言ってたじゃない」
「まぁ、確かにフルーティーで飲みやすかったけどさ」と僕は少々得意げに
再び身体を半回転させ、未だ懐疑的な表情でナオミを見つめた。
「ホントに美味しかったわよ。まるでアルコール臭がなくってさ」
「でもさ、中には『あれ?』っていうウイスキーもあったんじゃない?」
「うん、まぁね」と彼女はおどけた表情でシーツで口元を覆い隠しながら
数回頷いた。
「もしかして僕がピート(泥炭)が効いててかなりスモーキだねって言ってた
ヤツ?」
「そうアタリ! スモーキってほのかな燻製の香りなのに思いっきりソーセージ
フレーバーなんだもん」
「だってしょうがないだろ。ボク普段ウイスキーなんて飲まないんだからさ。
あっ! もしかしてヨード香がするウイスキーも変だった? ネットの書き込み
によるとケミカル臭がするらしくってさ、一応ボクなりの言葉で表現してみたん
だけど確かにアレ相当不味かったよね」
「やっぱりレンちゃんムリしてだんだ。海草の成分がどうのこうのウンチク
語ってたけどアレって完全に理科の実験室フレーバーだったよね」
「だったらあの時そう言ってくれればいいのにさ」と僕はベッドから降り
お洒落な電気スタンド前に置かれたスマホをスクロールした。
「何してるの?」
「明日早いからさ、一応アラームセットしとくね」
「明日ってまだシーンが続くの?」
「いや、ドライブの途中までだよ」
「そりゃ~ 今日のワンシーンにこれだけ立派なセットだもんね。さすがに
ベイサイドまでは無理よね」とナオミは再びシーツにくるまり背を向けた。
「じゃ~ もう寝るよ」
僕はリモコン画面を操作し部屋全体を間接照明に切り替えシーツに潜り込むと
大きな窓ガラスに金色のライトが反射し、ナオミが立ち上がりこちらに向かって
ゆっくり近づいて来るのが見えた。
「……ねぇ、レンちゃん」
「な、何だよ」
「今日はもうこれで終わりなの?」
「そうだよ。ナオミも早く寝たほうがいいよ」
「ちょっとそっちに行っていい?」
「な、何言ってんだよ! ボクそういうのあまり得意じゃないんだよ」と身体
を尺取虫のように器用に曲げながらベッドの端に移動するとナオミは足先を
シーツに引っ掛けたのかまるで崩れるようにベッドから転げ落ちた。
〈ドン!〉
『イッタッ!』
「ふっ! 何やってんだよ」
「あれ? なんだか身体がフラフラするんだけど」
「しょうがないよ、だって台本にない事しようとするからだよ」
「レンちゃん、私を誰だと思ってるの。女優よ! それも一流の。場合に
よっては脚本を変えることだって『キャ―ッ!』〈ごろ〉〈ごろ〉……
「あんまり暴れるとパンツ見えちゃうよ!」
「変態レンのパカ!」『キャ――ッ!』
執筆さえ続ければ……
そう、執筆さえ続ければこの先もずっとナオミとの恋愛ごっこが継続すると
僕は別段根拠もなく確信していた。
だがこの日を境に僕の人生の歯車は少しずつ狂い始める。
キッカケはシーンの終盤にさしかかった頃、ナオミとのドライブデート中に
突如として発生した。
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