8-3(31)

「ちょっと~ レンちゃん、どこに行くのよ~」〈はぁ〉〈はぁ〉…… 

「もうすぐだからさ」と僕はナオミの手を引き大通りに面したオフィス街まで

やって来た。

「疲れた?」

「そりゃ~ 疲れるわよ〈はぁ〉〈はぁ〉……こ、こんな長い距離走らされせて。

しかも相変わらず風景描写が下手だから酔って気持ち悪くなるんだよね」と

ナオミは何度も深呼吸を繰り返した。

「まぁ、僕たちは一応追われてる身だからね。しょうがないよ」

「一応って、相変わらず適当ね。で、何で私たちが悪の組織に追われてるのか

ちゃんと理由付け出来たの?」

「そんなのもう後付けでいいじゃん。そんなことよりもっと小説を楽しもうよ」

と僕は空高くそびえ立つ老舗の最高級5つ星ホテルを指差した。

「ココが今日僕たちが泊まるホテルだよ!」

「えっ、こんな高級ホテルに私たちが泊まるの?」

「そうだよ。だって追われてるんだからさすがに自宅アパートは危険でしょ」と

僕はナオミの腰に手を回し若干緊張しながらも紳士気取りでホテル入り口へと

向かった。

 エントランスは僕が昨晩描写に力を注いだ事が功を奏したのか細部に至るまで

忠実に再現されていて、高い天井に描かれたステンドグラス風の美しい壁画から

設え、数々の高級調度品に圧倒された僕は自身が執筆したにもかかわらず一瞬

にして言葉を失ってしまった。


「すごいホテルね~ レンちゃん! 前に来た事あるの?」

「えっ、あ、あるワケないじゃん。今からフロントで手続きしてくるからそこで

待ってて」と僕はいかにも高級そうな真紅のソファーを指差した。


 手続きを無事終えた僕は再びナオミをエスコートしフロントスタッフから

渡された地図を頼りに迷いながらもなんとか6基あるエレベーターホールまで

辿り着いた。


〈チ―ン!〉


「レンちゃん、奥のエレベーター来たみたいよ」

「奥? あのエレベーターは39階までだからダメなんだ」と僕は得意げに

鼻の下を掻いた。

「えっ、私たちが泊まる部屋って何階なの?」

「42階のスイートルームだよ」


〈チ―ン!〉

     「来た、来た!」


 僕は先ほど同様紳士気取りで左腕を伸ばしナオミをエレベーター内に誘導する

とツンと澄まし顔で42階のボタンを軽くタッチした。


「あれ?」「おかしいな…… 壊れてるのかな?」


 幾度となくボタンに触れるもいっこうに点灯する気配すらなく若干焦り

始めた僕に対し背後で黙って腕組みしていたナオミが一言。


「カードキーをかざすのよ」

「えっ、カードキーって?」

「だからカードキーをココにかざすのよ」とナオミは開閉ボタン下の四角く

囲まれた部分を指差した。

「あっ、そ、そうだった。ナオミよく分かったね」


 僕は不慣れな手つきでカードをかざし再度ボタンに触れ、ランプを点灯させる

と静かに扉が閉じ、その後は物凄いスピードで階を示すランプが42階目指し

一気の駆け上がった。

 エレベーター内に広がる心地いい音楽と共に急上昇し続け、〈チ―ン!〉

という軽やかな停止音の後、ゆっくり扉が開くと一目でスイートルーム専用の

階だと分かる程なんとも豪華なホールが僕たちの目の前に広がった。


「やっぱ廊下からして違うな~」

「ちょっと、レンちゃん声大きいよ」

「あっ、ご、ごめん。つい興奮しちゃって」「え~っと4220号室は~ あっ

、あった! ココだよ」と僕はカードキーをドアノブ上部に差し込み緑ランプ

を確認後一気に引き抜くと同時にドアノブを下げ、重厚そうなドアを前方に

ゆっくり押し出した。


〈カツン!〉〈カツン!〉…… 


 ピカピカに磨かれた白い大理石の床がまるで恐る恐る入り込む僕たちの足音を

冷笑するかのように部屋全体に響き渡らせる。

 そんな緊張状態の中、最初に僕たちの目に飛び込んで来たのはシックな

色合いでまとめられた大きなソファーやテーブル、加えて数々の豪華な調度品

に囲まれたまるでお屋敷のようなリビングに僕は思わず息を吞んだ。

 そして更にリビングを右に抜けると大きなベッドが2つ備え付けられ、

その奥には煌びやかな化粧台が2つ、広大なバスルームにシャワー室も

完備されている今回はまさに非日常を味わうに最適のセッティングだ。


「ナオミ~ ちょっとこっち来てごらんよ。まだ少し明るいけど景色凄いよ!」


                  「ねぇ、レンちゃん、大丈夫なの?」

「大丈夫って?」


           「だってレンちゃん、フリーターなんでしょ」

    

    「なのにいきなりスイートルームって変じゃない?」


「まぁ、言われてみれば確かにそうだよね。でもいいじゃない。

後から実は……って感じて適当に理由付けするよ。そんなことより凄くない、

この景色!」

「う、うん。すごい、すごい」

「すごい、すごいってホントにそう思ってる?」

「えっ、思ってるわよ。どうして?」

「もしかしてナオミ、こういう部屋、前に泊まったことあるんじゃないの?」

「ま、まぁね」

「やっぱりな。エレベーター乗ったあたりから変だと思ったんだ」と僕は

ソファーにゆっくり腰掛け一つ息を吐いた。

「そ、そんなに落ち込まないでよ~ 私、すっごく嬉しいのよ。だって私を

喜ばそうと昨夜一生懸命書いてくれたんでしょ。このリビングなんかも凄く

豪華で部屋全体の色使いもシックだし~ しかもほら! あそこに見える

サイドボードの中のワイングラスも忠実に再現するなんて普通面倒くさくって

なかなか出来るもんじゃないわ」と彼女は目を丸くした。

「ホントにそう思ってる?」

「もちろんよ! ホテルフリークの私が言うんだからさ」と彼女は隣に腰掛け、

僕の膝に軽く左手を添えた。

「ホテルフリークって趣味がホテル巡りってこと?」

「うん。でもまぁ、たまたま彼にくっついて体験しただけなんだけどね」

「えっ、彼って?」

「私がまだ新人の頃に付き合ってた小説の主人公よ」

「えっ、ナオミはその作品のヒロインだったの?」

「ち、違うわよ。私は大勢いるガールフレンドの中の一人よ」

「ふ~ん」と僕は少しお尻を浮かせ隣に座るナオミとの距離を取った。

「何よ~ もちろん今の彼はレンちゃんよ。でも基本私たちキャストは色んな

役柄を演じるワケだから当然お金持ちの彼女役ってのもあるわよ」と僕の

膝上に置かれた左手を数回弾ませながら再度密着してきた。

「まっ、そうだよな」

「そうよ!」

「それにしてもスイートルームって結構テンション上がるよな~」と辺り一面

見渡すと彼女も僕に共感したのか笑顔で何度も首を縦ると思い出したように

僕の膝を軽くタップした。

「ところでレンちゃん、どうしてテンションが上がるか分かる?」

「そりゃ~ こんなに広くって豪華なんだから当然じゃん」と僕はクルクルと

回転しながら立ち上がるとそのまま窓際にある一人用ソファーに勢いよく

腰掛けた。

「ホテルフリークの私から言わせればそれプラス天井の高さが関係してると

思うの。ほら、私たちが歩く度に部屋全体に足音が響き渡るでしょ。これが

贅沢感をいっそう際立たせてると思うのよ」と彼女は数回両足でリズミカルに

タップを刻み甲高い金属音を響かせた。

「ねぇ、ちなみにこれより広いスイートルームに泊まったことってあるの?」

「あるわよ。そうね~ 確か400㎡ぐらいの広さだったかな」

「400㎡ってホントなの?」

「本当よ。確かその時は今いるこんなリビングでチェックインしたわよ」

と彼女は目の前のテーブルをコツくような仕草を見せた。

「下のフロントデスクじゃなくわざわざホテルスタッフとココで?」「なんだか

凄い世界だね」と少々呆れ気味の僕に対し先ほどまであれほど得意げだった

ナオミの表情が突如として曇り始めた。

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