6-2(18)

【今、こうしてナオミを目の前にして思う事、もしこれが現実ならば僕は

もう何も望まない。このままゆっくり穏やかな時の流れに身を任せていたい】

 

――冒頭、僕は心の声をそのまま文字にした。


【一瞬会話が途切れたのを察知したのか係の男性がそっとテーブルに近づき

僕たち2人のグラスにゆっくりほのかに香る白ワインを注ぎ一礼すると

ボトルを再びアイスペールに戻し静かに立ち去った。 

 ナオミはグラスを持ち上げ底の辺りから全体を舐めるように見つめると

突然僕に向かって手招きし、身を乗り出すかのような姿勢で囁いた。

 僕がナオミ以外の女性とこのレストランを利用していたと勘ぐったのか

その表情はなんとも不機嫌そうだった……】

 

 僕はとりあえずキリが悪いながらもシーンを完成させ、新たに作成した

ファイルに保存した。

 執筆に集中していたせいか陽はすっかり暮れ、僕は台所の床に無造作に

置かれたレジ袋から既に解凍ぎみの冷凍食品を取り出し深いため息を吐いた。

 食品をしまったついでに僕は冷えた缶ビールを取り出し、そのまま再び

リビングへ戻った。

 ビールを一気に半分ほど飲み干し、すぐさま台所横の玄関に目を向けたが

いつものように静まり返った玄関付近には何の変化もなかった。

 期待と不安、そんな言葉では言い現わせないほど僕は追い詰められていた

のか気付けばテーブルには飲み干された空き缶で埋め尽くされていた。

 次第にぼやける玄関ドアを最後に僕はとうとう深い眠りについてしまった。


…… 

…………

………………


〈ガラガラ……〉〈キュッ、キュッ、シュポッ!〉


「こちらでよろしいですか?」

「えっ!」 


 目の前にワイングラスらしきものがぼんやり浮かび上がると次第にグラス

ごしに人影が歪んで見え出した。

 声のする方向にゆっくり目を向けると心配そうに見つめる髭を蓄えた

雰囲気のある男性の姿が。


「お客様、どうかされたんですか?」

「あっ、いえ」

「よろしければテイスティングお願いしたいんですが」

「あっ、す、すみません」


 僕は恐縮気味に慣れないワイングラスを傾け白ワインを口に運んだ。


「OKです。はい、全然OKです」


 その言葉に笑顔の男性はワインをグラスの3分の1ほど注ぐと今度はもう

1つのグラスにも同じぐらい注ぎ、軽く会釈し足早に立ち去ってしまった。

 しっとりとしたジャズ風の音楽が心地いい空間に戸惑っていると目の前

にいる女性が薄っすら笑みを浮かべながら僕に話しかけた。


「レンちゃん、今日はありがとね!」

「えっ、キ、キミはあの時の」

「そうよ、あの時の~ じゃないわよ。何考えてんのよ! まったく。

消えちゃうんじゃないかって焦ったじゃない!」

「ご、ごめんよ。まさかキミがナオミだって正直信じられなかったんだよ。

てっきりからかわれてるもんだって」

「あの時信じてくれてたんじゃなかったの?」

「そ、そうだったんだけど気が変わったっていうか、なんていうか」

「相変わらずハッキリしないのね」「まっいいわ、今日はワタシの快気祝い

なんだから楽しませてよね」

「も、もちろんさ、だからほらワインもあるしさ。さっ、乾杯しよっ!」


『カンパ――イ!』「ナオミ、退院おめでとう!」


 ココはどうも僕自身が描いた小説のワンシーン、つまり僕がナオミの

ために予約した高級フレンチレストランのようだ。

 僕は興奮気味に辺りを見渡すと隣のテーブルぐらいまではハッキリと

僕たち同様カップルの姿を確認出来るがその奥の方が若干ぼやけて見える

様子に違和感を覚えた。

 僕は後ろを振り返り、次に入り口付近に目を向けるとまるで霧が掛かった

かのように真っ白にぼやけ確認すら出来なかった。


「どうしたの、キョロキョロしちゃってさ」

「あっ、いや、僕たちどこから入って来たのかなって?」

「入り口? レンちゃん、ちゃんと描写したの?」

「描写って?」

「だから小説で詳細に描いたの?」

「いや、焦ってたんでいきなり食事シーンから書き始めたんだけど」

「じゃ~ 入り口なんてないわよ」

「そうなの」

「そうよ。小説ってそんなもんじゃない。いちいち全部書いてたらキリが

ないし読者が混乱したり退屈するでしょ。だからこれでイイのよ」

「なるほどね。だから僕たち以外なんとなくぼやけてるんだ」

「まっ、そういう事ね」


 ほどなくして前菜が僕たち2人の目の前に丁寧な素材の説明と共に

斜めから滑るように置かれた。

 ナオミと違い若干緊張気味の僕は適当に相づちを打ち、係の男性が一秒

でも早く立ち去ってくれるのを待ち望んだ。

 全てを言い終えた係の男性は満足げな笑みを浮かべ僕たちのテーブルを

離れると彼女は男性以上の笑顔でコース料理を絶賛した。


「へぇ―っ! 凄いじゃない。やるわね、レンちゃん!」

「えっ、レンちゃんって、ボクが?」

「そうよ。だって実際この料理作ったのレンちゃんじゃない」

「あっ、そっか~ これ小説だもんね」

「レンちゃんに料理のセンスあるなんてね~」

「実は僕、高校生の頃料理人に憧れてたことあったんだ」

「そうなの? 前作ではそんな事書いてなかったよね」

「うん、まぁ、あんまり関係なかったからね」


 ナオミはおもむろにワイングラスに手を伸ばすと笑顔で一気に飲み干し、

空になったグラスをそっとテーブルに置いた。


「お、おい、大丈夫か? まだ病み上がりだろ」

「心配?」

 

 ナオミは少し上目遣いに僕を見つめた。

 

「そりゃ~ そうさ」と僕は思わず視線を逸らすと彼女は人差し指で

テーブルクロスをコツくような仕草を見せた。

「そんなのレンちゃん次第でしょうよ。もちろんワタシの病状が改善して

飲酒OKだってこと小説に書いてくれたんでしょ」

「い、いやそれは……」

「書いてないの?」「まっ、いいわ。次のシーンで無理やりでもいいから

付け足すのよ。レンちゃんは2回もワタシを苦しめたんだからね」

「わ、分かったよ」


――そんな終始押されっぱなしの僕は彼女に素朴な疑問をぶつけてみた。


「あのさ~ この小説、つまりはこのシーンもなんだけどこれって僕の

シナリオ通りに進むの?」

「まぁ、大まかにはね」

「大まかなの?」

「一応レンちゃんは監督兼主役でワタシはレンちゃんのシナリオ通りに

演じる女優ってとこだけど少しでも女優業かじるとさ、色々言いたくも

なるわけよ。ほら、よく大物女優が監督に口出しするって業界ではよく

ある話じゃない」

「ちなみにナオミは大物女優なの?」

「まぁ大物ってワケじゃないけど一応前作でヒロインだったからね! その

辺の新人とは違うわよ。どうしたの? レンちゃん、浮かない顔しちゃってさ」

「べ、別に……」

「もしかして何でも思い通りになるとでも思ったの?」

「そ、そんなんじゃないよ」

「うそ、ちゃんと顔に書いてあるわよ!」


 一瞬お互い気まずい空気が流れる中、両肘を付き、重ね合わせた両手に

小さな顔をゆっくり近づける彼女はため息混じりに口を開いた。


「でも結局レンちゃんには敵わないだよね」

「えっ、敵わないって?」

「だってレンちゃんは総監督なんだもん。ほら、人生で選択を迫られる時

ってあるじゃない。それでどちらか一方を選んだとして、後に後悔したと

するでょ、違う方を選べば良かったって。でも結局どちらを選んでも結果は

同じだってことあるでしょ」

「それって?」

「つまり運命なのよ。全てシナリオ通りっていうね」

「なんか深いね。も、もうちょっと気楽いこうよ!」

 

 僕は慣れない手つきでワイングラスをクルクル回すと彼女同様一気にワイン

を流し込んだ。

 途端に上機嫌となった僕はナオミの髪留めからまるで舐めるように何度も

上下するように見つめると彼女はまるでクギを刺すように言い放った。


「レンちゃん、変なこと考えてるでしょ」

「えっ、ははっ! な、何言ってんの。そんなワケないじゃん」


 懐疑的な目で僕を見つめる彼女は突然手招きし、身を乗り出すような

姿勢で耳打ちしてきた。


「ちょっと、料理まだなの?」

「そういえば確かに遅いよね」「あっ!」

「どうしたのよ」

「これで終わりなんだ」

「はぁ~ 終わりってどういうことよ!」

「つまりここまでしか小説書いてないんだ」

「アンタってホント詰めが甘いっていうかさぁ。あ――っ、もう―っ!

何で最後まで書かなかったのよ。バカ!」


 どうしても納得がいかないのかナオミが僕に顔を近づけようとした瞬間

突如彼女は両目を吊り上げた状態でフリーズしてしまった。

 焦った僕は恐る恐る椅子を引き慎重に辺りを見渡した。

 すると楽しそうに談笑していた隣のカップルを含め全ての人間が彼女同様

まるでろう人形のように固まり、そしてその後白い霧状となりレストラン

もろ共消え去ってしまった。

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