5-2(15)

「ホットで良かった?」と僕は彼女の真意を探るためナオミが好きだった

ココアをそっと差し出した。

「ありがと、優しいのね」と上唇を尖らせココアをすすった瞬間彼女は

驚くようなことを口にした。

「レンちゃんが作るココアって100パー薄いよね。まっ、いいわ」

「えっ、そ、そうだっけ」と小説に登場するナオミと全く変わらぬセリフ

を躊躇なく喋る彼女に一瞬動揺したが僕はまだ彼女を信用出来ないでいた。

(きっと映画で似たような会話があったんだ。そうに違いない)

「何よ、その目は。まだ疑ってるんでしょ!」

「えっ、そ、そりゃ~」と目を逸らすと彼女は素肌に巻かれた白いバスタオル

の胸元辺りをグイッと持ち上げ僕の顔に急接近し眉毛を若干吊り上げた。

「よ~く見なさいよ!」

「ちょ、ちょっと近すぎるよ。もう少し下がってよ」

「いちいちうるさいわね」「じゃ~ これでどう?」

「うん、いいかも」と僕はポーズを決める彼女の頭の先から脚の爪の先まで

まじまじと観察したがどうにもしっくりこないのはナオミより個性が若干

強め、いや、ハッキリ言うと彼女の気の強さが全面に押し出されているから

かもしれない。

「どうなのよ。ナオミだって理解してくれた?」

「あの~ そもそもナオミはキミみたいにショートじゃなくって長~い茶褐色

なんだけど」

「アンタねぇ、ワタシは長い間入院してたのよ。髪切ったに決まってるでしょ」

「あっ、そっか。でも髪の色はもうちょっと濃い茶褐色で」と言いかけると

彼女は後頭部を掻きながら面倒くさそうに説明し始めた。

「あのね~ アンタが想像しているナオミと実際のワタシとは若干のズレが

あるのよ」

「ズレって?」

「つまりレンちゃんなりに妄想でワタシを完璧に創り上げたつもりでも

無意識の深層心理にあるレンちゃんの女性像と混ざっちゃうのよ」

「つまり色んな深層心理が無意識に混ざり合うって事?」

「そう、それだけ想像の世界を正確に創り上げるのは難しいってことね」

「なるほどな」と彼女に目を向けると彼女は口を尖らせ不満そうな表情で

僕に問いただした。

「ワタシの性格に何か問題でも?」

「あ、いや、ナオミはもうちょっと女性らしかったかな~って。ははっ!」

「あっ、そう。こんなワタシで悪かったわね」


 彼女が突然ストーブを抱え込むように僕の視界から外れると僕たちの

会話は外の空気同様一気に冷え込んだ。

 しばらく続く互いの無言状態に耐えかねた僕は遂に会話の口火を切った。


「ねぇ、どこから来たの?」

「そのうち話すわよ」

「あのさ、僕、キミがナオミだってことまだ信じられないんだけど」

「まだ疑ってるの? ワタシはずっとレンちゃんといたんだよ。遊園地

や公園、映画も行ったわ。知ってるのよ~ レンちゃんが妄想デートしてる

時ワタシの映画代払ってたじゃない」

「えっ! 何で知ってるの?」

「だってワタシはナオミだからよ」

「じゃ、キミは僕の原作どうりに行動してたの? 僕には見えなかったけど」

「そうよ~ ワタシはアンタの妄想にず~っと付き合ってたのよ」

「ちょっと待ってよ、もしキミが本当にナオミなら不治の病でもうこの世に

いないはずだよ。となればキミの存在自体おかしいじゃないか」

「もしかしてレンちゃん、まだ映画観てないの?」

「あぁ、観るの辛くってさ」

「ワタシのあの病気、エンディングで奇跡的に治ったのよ」

「えっ、そうなの?」

「まぁ、よくあることじゃない、原作と映画が違うってのはさ」

「ホントなの?」

「本当よ。だからワタシがココにいるんじゃない」


 これまでの澱みない彼女の説明からにわかに信じ始めた僕は彼女が再び

この僕に会いに来た理由を思い切って聞いてみた。


「理由? それワタシに聞く? そういう無神経な所が今までモテなかった

原因よ、きっと」

「フン、キミに僕の何が分かるんだよ」

「ワタシには分かるわ」


 彼女は両膝を付きながらゆっくり笑顔で近づくと下から僕の顔を舐める

ように見つめた後、手の平を僕の両頬にそっとあてがった。

 極度の緊張で固まってしまった僕はほのかな温もりと甘い香りに全身が

痺れるような感覚に陥る中、突如として両頬に強烈な痛みが!!


「イテテっ……! 何引っ張ってんだよ!」

「イテテじゃないわよ! ワタシ病気でこれよりもっともっと痛かったし、

辛かったんだよ!」

「分かったから引っ張っるの止めてくれよ!」 

「止めてくれって?」

「あっ、いや、ご、ごめんよ。僕が悪かったよ!」

「反省してる? もうあんなの絶対ヤだからね、分かった!」


 涙目で首を何度も上下させる僕はようやく彼女のお仕置きから解放される

とあの鬼のような形相から一転、彼女は満面の笑みを浮かべながら両腕を

目いっぱい反らした。


「あ――っスッキリした! ワタシはこのために戻って来たのよ」

「イッテ、そうだったんだ。僕もなんだかスッキリしたよ、ははっ!」

「ところでずっとココにいるつもりなの?」

「そういうわけにはいかないのよ、残念ながらさ」

「どういこと?」

「もうすぐ消えちゃうのよ」

「もうすぐって、あとどれぐらいなの?」

「そうね~ 映画の上映が打ち切りになってから2週間後ってとこかな」

「そ、そうなんだ」


 僕は空になった彼女のカップを流しに運ぶため立ち上がろうとすると

彼女は俯き僕に目線を合わすことなくボソッと呟いた。


「アンタって意外と冷たいのね」

「えっ、そういうわけじゃないけど僕にはどうすることも出来ないし」

「もし出来る事があればやってくれるの?」

「あぁ、内容にもよるけどね」

「じゃ~ もう一度小説書いてよ。そうすればワタシ消えなくて済むんだから」

「え~っ もう一度って、小説はそんな単純で簡単なモンじゃないんだよ。

色々アイデアを練ったり構成から資料採取、キャラクターの色付けに至る

までホント大変なんだからね。キミには分かんないだろうけどさ」


 俯き僕に目も合わさず黙って聞いていた彼女だったが、再び両膝を付いた

まま僕に急接近すると今度は僕の胸ぐらつかみ怒鳴り出した。 


『アンタには良心や罪悪感ってモンがないの! な~にが小説は大変よ!

それぐらいのことしてくれてもイイじゃないよ――っ!』

                         〈グイッ!〉


「わ、分かったよ! 書くよ。それで僕を許してくれるんだったらさ」と

僕は彼女のすざましい迫力に屈服し小説執筆をその場で彼女に約束した。


「どんなジャンルでもいいの?」

「何言ってんのよ、続編に決まってるじゃない」 

「あっそうか。でないとキミが変わっちゃうもんね、ははっ!」

「まぁアンタにしては上出来よ。ワタシこのスタイル結構気に入ってる

のよね~」と彼女は白く長い素足を目いっぱい伸ばしつま先を僕の鼻に向けた。

「お、おい」

「ふ~ん 好きなくせに。テレちゃって」

「じ、じゃ~ 僕が小説書いてる間キミは何してるの?」

「もちろんレンちゃんと行動を共にするわよ」

「それってシーンごとに?」

「そ~よ~ だからさ~ 前よりエキサイティングでワクワクするストーリー

がイイよね~ レンちゃんもそうでしょ!」

「まぁキミのキャラからしてそうだよね」

「もう病気はヤだよ」

「ごめんよ。辛い思いさせちゃって」


 僕に思いのたけをぶつけ次回作の約束も取り付けた彼女はふと立ち上がり

か細い指先で冷気で曇る窓を擦り街灯でぼやける窓の外を眺め呟いた。


「ワタシね、ワタシ消えるまでの間よくこの窓から外眺めてたのよ」

「消えるって?」

「ワタシはレンちゃんが書き上げた分だけしか存在出来ないからね」

「へぇ~ それって毎回僕と別れるのが辛かったとか?」

「ば―か! そんなワケないでょ」

「ところでさ~ さっきからフンドシみたいな細長いのが波打ちながら

行ったり来たり飛び回ってるんだけどアレってキミの世界の生き物?」

「えっ! どこよ?」

「え~っと、あっ! アレだよ! ほらシマシマ柄の」

「しまった、ワタシつけられてたかも!」

「つけられてたって何なのアレ?」

「あれはフイユテよ。言ってみれば警察みたいなもんよ」

「警察って何か悪い事したの?」

「実はワタシ本当はまだココに来ちゃダメなのよ」 

「まだって?」

「だってレンちゃんまだ小説書いてないでしょ!」

「な、なるほどね」

「ちょっとレンちゃんあっち向いてて! 着替えるから」


 蛍光灯が窓ガラスに反射し、白く長い手足がバタつく様子に彼女の

異様なまでの慌てっぷりが伺える。

 

「レンちゃん、フイユテは?」

「今んところいないみたいだよ」

「そう、今しかないわね。レンちゃん、コート借りてくよ!」


 彼女は昔買ったキャメル色のダッフルコートを羽織り、サヨナラも言わず

一瞬のうちに出て行ってしまった。

 彼女の勢いで舞い上がった女性特有の甘い香りに包まれながら僕は呆然と

彼女が立ち去った方向を見つめていた。

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