5-1(14)

――5年前の回想から覚めた僕は分厚いコピー用紙の束を手に取っていた。


【彼女の名は藤崎ナオミ。父親の仕事関係で高校の3年間を北欧で過ごし

先月帰国した19歳になったばかりのキュートな女の子。

 今年から都内のミッション系大学に通う予定の彼女と初めて出会ったのは

渋谷のとある手作りアクセサリー専門店だった。

 僕が普段はあまり感心を示さない煌びやかなショーウィンドウを何気に

眺めていると突然僕の耳元で吐息と共に声が聞こえた。

 振り返ると彼女はまるで古くからの友人のように「あのイヤリング素敵ね!」

と僕の耳元で囁く様子に戸惑いながらも僕は彼女との距離を取る行動に。

 長く茶褐色の髪をかき上げるなんとも美しい顔立ちの彼女が僕なんかに

話しかけること事態何か怪しいと感じたからなのだが、その後も広い店内で

幾度となく彼女と遭遇し、互いに軽い会話を交わす度僕の心境にある変化が

訪れた。 

 それは海外育ち特有の気さくで表情豊かな彼女が醸し出す雰囲気や言葉

一つ一つに何とも言えない色気のようなものを感じたからと言えば聞こえは

いいが、結局のところ僕は彼女に一目惚れしてしまったようだ。

 そんな彼女にあのイヤリングをプレゼントした事がキッカケとなり僕たち

2人は交際へと発展するのだが……】


〈パサッ!〉

     僕は無意識にコピー用紙の束を机に押し付けていた。 

 

 まるで鬼門のように長い間触れる事なく、机の引き出し奥にしまい込んで

いた自身初の恋愛小説の冒頭部分を流し読みした所で僕は静かに目を閉じた。


 やっぱり見るんじゃなかった。

 

 ずっと封印していた小説だ。

 この作品は出版こそされなかったがお世話になった編集長からの

強い要望で半ば強引に映画化され、今でも細々とミニシアターで上映

されている。

 当時僕は小説完成と同時に編集長からこのお話を頂いたがあまりの

喪失感や彼女に対する罪悪感からとてもまともな状態を保てず、映画化

に関する構成、演出など全てを配給会社にお任せし、その後一切連絡を

取らず現在に至っている。

 あの日、あの日大雨の中必死に劇場に向かっていたのはまさに自身原作

の映画のためだったが今となっては観なくて良かった。

 彼女が自ら気付くことなく病に侵され、苦しみながら生死をさまよう

様子を描いた作品を自身の区切りに利用しようとしていた僕はなんて

身勝手でサディスティックな人間なんだと改めて思い知らされる。

 僕は机に押し付けられたコピー用紙の束を丁寧に揃え、再び引き出し

の暗い、まるで手が届くことのないスペースへと追いやった。

 窓ガラスに一瞬閃光が走ると雨粒がまるでせきを切ったかのように

大きな音をたて一気に地面めがけ降り落ちる。

 窓から聞こえる雨音がさらに激しさを増す中、普段鳴るはずのない

インターフォンが部屋全体を席巻するように鳴り響いた。 


〈ピ―ンポ――ン!〉

〈ピィンポ!! ピィンポ!! ピ―ンポ――ン!〉


「だ、誰だよ、こんな時間に」


 僕は足音に気をつけながら玄関に向かいそっと覗き穴から確認すると

レンズに映るのは季節外れの恰好をしたあの子だった。


 何で彼女がココに?

 まさか僕をつけて来たのか? 何の目的で? しかもこんな時間に?


〈ピィンポ!! ピィンポ!! ピ―ンポ――ン!〉


 再び激しく鳴り響くインターフォンと共に彼女はドア何度も叩き始めた。


『早くしてよ! いるんでしょ!』 

『コラッ!』『レン! はやく開けろ!』〈ドン!〉〈ドン!!〉

 

(何で僕の名前知ってるんだ。こわ~)


『お――い!』『レン!』『レン!』『レンコンのバカ! 早く早く!』


〈ガチャ!〉

     〈キィ―ッ〉

          僕は恐る恐る玄関のドアを開けた。


「遅いのよ! さっぶ! う~~ シャワー借りるわよ」


 彼女は僕の了解もなく濡れた服装のまま電気ストーブに向かうと上着を

一気に脱ぎ始めた。


「お、おい、何してんだよ!」

「何してるって濡れたままだと風邪ひくでしょ!」

「だからっていきなり脱ぐことないだろ! まだ風呂貸すなんて一言も

言ってないんだし」

「へぇ~ アンタはこんなカワイイ乙女がずぶ濡れになってるのにほおって

おくの?」とブラ一枚の彼女は目を吊り上げ僕の顔に急接近して来た。

 困惑する僕に彼女は臆することなく「アンタってまるで変ってないよね~

オドオドしちゃってさ」と僕の顎を人差し指で軽く持ち上げ一瞬表情を緩めた。

 彼女は「ふ、風呂場はそこの……」と僕が言い終わる前にまるで以前から

この部屋に住んでいたかのように引き出しからバスタオルを取り出すと

そのまま風呂場に向かいびしょ濡れのジーンズと靴下を勢いよくほおり投げ

扉を閉めた。


『レンちゃ―ん、しっかりストーブで乾かすのよ!』


「なんで僕がそんなことしなきゃいけないんだよ~」

                    『え――っ! 何か言った?』

                      「あっ、いや、分かったよ」


 僕は渋々脱ぎたてのジーンズと靴下を拾い集め上着と共に椅子の背もたれ

に掛けストーブに向けた。


 それにして彼女の目的は何なんだろ?

 もしかすると新手の詐欺師?

 高額な布団でも売りつけるつもりなのか。


 どうしてもモヤモヤ気分が収まらない僕は風呂場のアコーディオン式

扉をノックし彼女に尋ねてみた。


「お―い! ちょっといいかな?」


〈ザ―― バシャ! バシャ!〉…… ……


『何よ、覗きに来たの?』

「あっ、いや、その~ キミと以前どこかで会ったっけ?」

『レンちゃん、覚えてないの?』

「そう、ごめん。全然思い出せないんだ」

『まぁ、無理もないっか』

「キミ、名前は? 僕はレンだけど」

『バカ! そんなの知ってるわよ。ワタシはナオミよ、ナ・オ・ミ!』

「えっ、ナオミ? へぇ~ そ、そうなの」

『そ~よ~ ワタシは藤崎ナオミ。北欧から帰って来た帰国子女よ』

「えっ、まさか…… ど、どうせ僕をからかってるんだろ」「そうだ!

映画だ! キミはあの映画の~ いわゆる悲劇のヒロインってワケだ!」

『まぁ、そうね~ とにかく後でちゃんと説明するわよ』


〈キュッ!〉〈ポタッ!〉〈ポタッ!〉


「あっ、もしかして蛇口きつく締めてないよね?」

『ちゃんと加減したわよ。相変わらず細かいんだから』

「じゃ、と、とりあえずリビングで待ってるから」


〈コン!〉〈コン!〉『レンちゃん~』『レンちゃんてっば~』


「な、何だよ、急にビックリするじゃんか!」

『アンタの目の前にあるそのパンツ。触んないでよね~』

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