3-2(7)

(何だよ、初対面なのにいきなり上から目線って。ホント失礼な女だな)


 彼女に対し若干不満げな僕は手に取った単行本の真ん中辺りを広げると

あの女性が隣のカップルを挟むような形でこちらに向かって声を張り上げた。


「ねぇ――っ! 何読んでんの!」


(ば、ばっかじゃね―の、大きな声出して。これは関わらない方がいいな)


「ちょっと~ 聞こえてるんでしょ! 返事しなさいよ!」 

「お――い! そこのお兄ぃさ――ん!」

 

 僕は彼女を完全に無視することに決め、ページを何度もめくりながら

”彼女とは無関係です”アピールを隣の2人に対し必死に繰り返した。

 何とも気まずい状況にさすがの彼女も叫ぶのを止め、先ほど打って変わり

すまし顔で大人しく単行本を読み始めた。

 そんな自由気ままな彼女に何故かほんの少しだけ興味を持ってしまった

僕は彼女に気付かれないよう観察することにした。


(へぇ~ 意外と背ぇ高くってスレンダー、しかも手足長いんだな。

ハイウエストのデニムの腰にシャツを無造作に巻いてるけど全体的に

バランス良くってけっこうオシャレじゃん。髪はショートで性格同様

サッパリした印象で横顔見る限りかなりの色白でけっこう美人系かも) 


〈うわっ!〉


 いきなり向けられた彼女からの視線に僕は思わず持っていた単行本で

顔全体を覆い隠した。

 しばらくそのままの姿勢で固まること数分、その後ゆっくり本を下げ、 

もう一度ゆっくり右方向に視線を移すと既に彼女の姿はなかった。


(ふぅ~ 行っちゃったか。あの無邪気な表情からすると年齢は20才

前後だな。あと彼女の舌、意外と短かったな。ハハッ! ……って

あれ? どうして彼女、この寒い時期に夏の恰好してたんだろ?)


 突然現れた彼女に妙な違和感を覚えながらも僕は手に持った単行本を

冒頭部分から真剣に読み始めた。

 20ページほど読み終えたところで僕はいきなり本を閉じ本日3度目の

ため息を吐いた。

 文章の流れから語彙力、描写に至るまで全てが自然で澱みなくスムーズ

で想像力をかき立てる。

 これが小説というものだろう。

 僕はリュックからおもむろに分厚いファイルを取り出し、数ページ黙読

すると自然と笑みがこぼれた。

 それは優越感からこみ上げる類いものではなく真逆の笑みだ。

 表紙に【蜘蛛のit(イット)】と記されたクリアファイルの中身は今から

5年ほど前に自ら書き上げた僕の小説第1号、いわゆる処女作だがその内容

があまりにもお粗末で酷く、不覚にもつい笑いという形で反応してしまった。

 だがこの小説はフルマラソンに例えるなら棄権することなく最後まで走り

きった自身に送るささやかなメダルのような作品だ。

 失笑を覚悟の上あえて言うなら他のランナーには反応しないが僕にとって

この作品は眩しいほどキラキラと輝いて見えるのだ。 

 今から5年前、誇らしげに完成した小説をファイルに収め、ビール片手に

何度も角度を変えながら眺めていたあの日を再び僕は先ほどとは違う笑みを

浮かべながら回顧していた。

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