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 ネットで調べると手足が細く半透明な蜘蛛はシモングモといい、主にダニ

やコバエを捕食し人間には特に危害を加えない益虫らしい。

 そんな彼らとの会話に別段違和感を感じなくなっていた僕の日常生活に

ある変化が訪れた。

 それは普段全く気にも留めなかった道端にひっそりと咲く雑草や小花、

更に足元の小さな虫からの気配にシモングモとの対話に似たような距離感を

覚えるようになった。 

 その感覚は日を追うごとに大きくなり、同時に彼らの発する存在感や

生命力のようなものをより身近に感じるようになった僕はそんな奇妙な

彼らとの関係を密かに楽しむようになった。 

 クモと接することにより僕にある変化をもたらしたのかは分らないが

キッカケであったことはまず間違いないだろう。

 いずれにせよ僕は変わってしまったようだ。

 道端にひっそりと咲く小花がこんなにも色鮮やかで美しく、小さな虫たち

が隊列を組んで歩く様子がまるで幼稚園児のように可愛かったなんて以前の

僕なら考えもしなかっただろう。

 そんな日々を当たり前のように過ごしているとクモ同様、実際に相手

から話しかけられるワケではないが不思議な波動のようなものを通して

こちらが考えさせられるような……、お互いそんな関係性へと変わって

しまった事はまず間違いのない事実だ。

 例えば小花が雨風に吹かれ、地面から離されそうになっても表情変える

ことなく笑顔で踏ん張る健気な姿を見ると心が打たれると同時にふと

立ち止まり自分自身を振り返りそして見つめ直してしまう。

 それは今まで僕はそういう彼ら彼女らの姿を幾度と目にしながらも特に

何も感じることなく自身の基準で囲った狭い視野の中で生きていたんだと。

 しかもその基準はいついかなる時も自分中心、つまり自分にとって得に

なるかどうか、或いは自分にとって必要か否かでそこに僕たちヒト以外の

対象物が関与する余地などなかった。

 だからこそ何も感じ取ろうとしなかったし、関心すら示さなかったのだ。

 当初僕はそれが当たり前だと、議論の余地もない明白なことだと認識

していたがそれはもしかすると大きな間違いなのかもしれない。

 いや、きっとそうに違いない。

 なぜなら僕たち人間はこの社会で動物や植物、生命体ではないが雨風も

含めそれぞれ折り合いを付けながらなんとかこの世界で共存しているのだから。

 単に僕の身勝手な解釈かもしれないが無意識に心揺さぶられるのは紛れも

ない事実で、彼らと同じ目線に立つと自身も含めこの社会のあまりの身勝手さ

、欲深さに改めて気付かされる。

 彼らはそんな社会の不条理を当たり前のように許容し合い、正当化する

僕たちにそっと警鐘を促してくれているのかもしれない。

 上手く理路整然と説明出来ないが理屈ではなく、とにかくそう感じ取って

しまうのだ。 

 僕はそんなメッセージとも取れる彼らの思いをベースにあえて彼ら目線で

物語を創作したいという願望に駆られるようになった。

 それは自身の強い意思のようで実は何者かに代筆させられているかのような、

そんな違和感さえ覚えながらも僕は何かに導かれるように普段使うことのない

パソコンのメモ帳機能にカーソルを合わせていた。

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