第22話 僕は世界に取り残された。

 次の日、普段通り教室に入る。そのとき何か違和感があった。クラスの雰囲気が暗いのだ。普段なら明るくギャグの一つでも言って笑わせるムードメーカーの彼も大人しくジッとしている。話しかけにくい雰囲気に包まれていたので俺は静かに席に腰を下ろした。

 SHRの時間になると教員が教卓の上に立つ。その顔は真剣さそのものだ。彼はゆっくりと口開いた。

「みんなの中にも知っている人はいるかもしれないが、昨日の放課後に月海さんが川で見つかった。雨が降っていたため巻き込まれてしまったのではないかと大人の方々は言っています。みなさん、今後同じようなことが起きないよう本当に、本当に気を付けてください。必ず保護者か大人の人を連れて行くように。それから今日から帰宅時にはーーー」

 そこから先は記憶にない。俺の記憶力をもってしてもアクセスできなかった。

 俺はその場で机を見続けた。何時間も、何時間も。





「翔哉くん。」

 その声に初めて顔を上げた。声の主はもう落ちかけていた夕日を背景に立つ愛海であった。長い髪を後ろに回して、屈むような姿勢で目を合わせる。

「お前……いいのかこんなとこにいて。」

 身内に亡くなった人がいないから詳しくないが、忙しい気がして尋ねる。

「大丈夫だよ。」

 澄んだ目で、きれいな声を響かせる。

「それより、翔哉くんのほうが大丈夫なの?いつもはクラスの男子と遊びにいくでしょ。」

「そんな気にならねえよ。」

 俺は机に突っ伏した。俺一人がそんな自由に楽しんでいていいはずがない。

「愛海、本当に月海は事故なのか?」

 突っ伏したまま手のひらに顎を乗せて聞いた。月海はインドアもアウトドアもお手のものだ。だからこそリスクある行為にはしっかり気をつける落ち着きさを持っている。雨の降る日も川の危険性は理解しているはずだ。

「やっぱり、翔哉くんもそう思うよね。私も、おかしいと思ったの。でも、警察の人は何も話してくれないんだ。多分、子供だからかな。」

 俺たちが大人なら本当の真相を知ることができたのだろうか。そう思うとむしゃくしゃする。どうして俺はこんなにも無力なのだろうか。漫画や小説に住む事件に巻き込まれる少年や探偵は、警察の手を焼きながらもなんだかんだヒントを得て、答えにたどり着けるというのに。


「翔哉くん?」

 その時、自分の考えていることがわからなかった。頭の回転に追いつけなくなっている。

 気づいたら、俺はベッドに横になっていた。


 寝ぼけながら、枕を壁に投げる。その瞬間、頭に電撃が走った。

「これは……。」

 独り言なんて普段は言わないのに、そのとき浮かび上がった情景に、疑念を感じざる負えない。俺の知っている友達が、そしてその友人、中には俺の知らない生徒もいる中、彼らは暗がりにこそこそと話している。

「おい、大丈夫なのかよ、こんなことして。」

 かっぷくのよい男は、その体に見合わない臆病な声で言う。

「いいんだよ。俺たちは何も悪くないんだ。それより早くしろ。何のためにお前を呼んだと思っている。」

 眼鏡をかけた細い体の男は、叱りつける。かっぷくのよい男の肩には、月海が、伸びた状態でぶら下がっていた。

「ねーねー、こんなとこ大人に見つかったら危ないよー。早く投げちゃいなよ。それに私たち風邪ひいちゃう。」

「そうよそうよ。そんな意味わかんない子のために私たちが捕まるなんておかしいもん。」

 男子の後ろには、うるさい女二人と終始無言の女が一人。

「うっ、うるさいな。もとはと言えば君たちが喧嘩を売るから……」

「いいのそんな口きいて。パソコン室のパソコンとケーブルを盗んだ写真、ばらしちゃうよ。」

 女の一言に男は青ざめ、「わかったよ。」と小さな声で答える。すると大きな男の肩から、月海はずるりと、頭から落ちていく。そこは川だ。月海は目覚めることなく、そのまま雨の中、冷たい川に息を引き取った。

 詳しくは分からないが、今見た光景が真実なら、彼、彼女らが月海を殺した犯人ということになる。


 

 そして場面はぐるりと転換する。それは一般的な部屋というより見覚えのあるこの部屋は俺の部屋だ。そこでは俺は寝ていて、けれども電気の照明は点いている。普段なら遅寝の妹が気づくはずだ。すると俺は中にいる人物の声に気づく。

「翔哉くん、ごめんね。」

 彼女は机の中に、縦長の封筒を置いた。そして音を立てないよう、慎重に引き出しを閉める。月海の瞳には、涙が、あふれていた。




 そこで映像は途絶えた。水晶体がその原型を失って消えていくとともに視界が真っ暗になった。俺はまず明かりをつけて、すぐに机の引き出しを開ける。そこには確かに、映像通りの封筒がある。あれは本当に起きた出来事なのか。だとしたら月海は!カーテンを開け日の光を見て、俺は考えなしに家を飛び出た。

「はい、翔哉くんどうしたの?こんな朝早くに。」

 息を大きく吐きながら呼吸している俺を心底不思議に見ながら彼女は言う。

「ほんとのことが、分かったんだよ。だから、話させてくれ。」

「分かったけどとりあえず落ち着こうよ。入って。」

 愛海はまさか月海のこととは思いもせずに冷静に話をしようとする。玄関を通り、俺は彼女の部屋に連れていかれた。



 俺は部屋に着くとすぐに、頭に浮かんだ映像を話した。彼女は怪訝そうな目で聞いた。そりゃそうだ。頭の中に浮かんだことなんて妄想も甚だしい。だから俺は話し終えた後、ポケットから取り出した封筒を見せた。

「まだ開けていないが、ここに彼女の書いた手紙がある。字を見ればわかるんじゃないか?」

 茶封筒を彼女に手渡すと、なかから真っ白の紙を取り出した。薄っすらと裏から黒鉛が見えている。彼女は時間をかけて読んだ。そして泣き崩れた。どんな言葉をかければいいか分からずに困惑していると、彼女は手紙を俺に渡した。


「翔哉くん、夜遅くにお邪魔してごめんなさい。楓ちゃんに頼んで入れてもらったんだ。本当は直接話したかったんだけど、やっぱり言えなかった。」

 彼女から事件の真相が語られることを予期し、体を緊張させる。


「すきだよ。」

 丸く、かわいらしい筆記体で、たったその一文が書かれていた。俺はその言葉を理解するのに時間がかかった。その意味に気づいたとき、はじめて涙を流した。自分の失ったものの大切さを痛感するように、心臓の動きが速くなって、追いつけない。

「妹は、最後の日だって、知っていたんだね。」

 そう、これは言わば遺書のようなものだ。彼女は自分に差し迫る危機感に気づいていたんだ。




「愛海、俺先生のとこに行かなきゃ!」

 立ち上がろうと机に手を置くと、彼女は上から被せるように覆った。

「無理よ。先生も、ましてや警察も、誰も信じてくれない。」

 愛海は悲観的に冷静な意見を上げた。

「そんな訳にはいかないだろ!それならせめてあの男たちをっ」

「だめ!そんなこと誰もっ!望んでない!」

 分かっている。でも、真相を知ったからには、何も行動しないわけにはいかない。拳に込める力が強くなる。でも決して彼女はその手を離そうとはしない。何分いくふんかたつと、次第に自分の冷静の無さに気づいて、謝った。それでも悔しさは代えがたく、犯人であろう人間への憎悪は収まることを知らない。静かに、静かに憎しみに炎を燃やした。



 帰りがけに、彼女は奇妙なことを言った。

「ごめんね、あの日の放課後何もできなくて、寝込んじゃうほど大変な思いをしているなんて……」

「え?」

 近くの電子時計を見る。そこには日曜日と表示されている。

「2日、経っている?」

「そうだよ。もしかして今まで起きてないの?」


 そういえば空腹感を感じる。いつも朝ご飯はそんなに食べないのに今は無性に何か食べたくなる。

「早くご飯食べたほうがいいよ。それに由佳里ちゃんも心配しているよ。」

 そうだ、今俺は自分の家にいないんだ。妹が気づいたらこんなに朝早くからどこに行っているのか心配するだろう。

 俺は愛海にさよならと言いのこして、すぐに家へと戻った。




「あ、お兄ちゃん。おはよう。」

 フライパンを振りながらしゃべる妹はいつも通りといった雰囲気だ。

「どうしたの最近黙って朝はご飯食べないし、帰っても一度も返事しないし、反抗期?」

 どういうことだ?俺は寝ていた。愛海は俺が休んでいたと言った。そして由佳里は出かけていたと言っている。俺はもしかすると、無意識のうちに体を動かしたのだろうか?その行動から得た推理をもとに、当時の状況を再現した映像を作り出したのではないだろうか?

 考えを巡らしていると、急激な頭痛を感じる。そしてその場に倒れこんだ。由佳里が慌てて近づき声を掛ける。体が揺らされて気持ち悪い。また、俺は……



 気づいたら真っ暗な空間にいた。手も足も、感覚がない違和感に襲われ、重力のない世界にいるように錯覚する。早く由佳里に声を掛けたい、大丈夫だと、意識はあると伝えたい気持ちが大きくなる。でも声が出ない。だからまずは自分の体の感覚を取り戻そうとする。まさか植物状態になったわけではないだろうが、今度は見ることに集中する。すると徐々に曇りが消えるように視界がはっきりしてきて、白い壁が見える。そして自分の体の状況に合点がいく。俺は白い壁を前に突っ立って、自分の手の平をそっと置いていた。なんだこの状況、俺は自分自身のしていることに理解が追い付かない。

 

「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」

 返事をしようとするがしかし言葉も出ない。どういうことだ?どうして俺はいちいち行動にこれほどのめんどうな手間がかかっているんだ。自律神経がイカれているのではないかと疑う。もしくは、体を乗っ取られているか。後者ならこの調子で五感をその他諸々に意識を集中すれば、自分の体を取り戻すことができるはずだ。俺は順番に、順番に感覚を取り戻していく。

「ああ、由佳里すまん。ちょっと疲れているみたいだ。」

 ようやく普段通りの話ができるようになる。けれども集中力を少しでも緩めれば、あっという間に奪われそうだ。俺は自室へと、着実に足を進めた。



 それからは実験と分析の連続であった。学校は休み、自室にこもる。俺は声以外の体を完全に手放し、しゃべる方法を試した。自然な会話ができるほどレスポンス性能は高くならない。しかし俺は一つの発見を得た。それは徐々にこいつが言葉を学習していったことだ。俺がしゃべる言葉を使うようになる。その吸収力は凄まじい。まるで、生まれたばかりの赤ちゃんのようだ。俺は今度は意味を理解するように、促した。文法、語法、自分の知識の限りを教えた。体の凍えに季節を思い出すほどに、熱中していた。もうあと三か月もすれば高校受験、目標にしていた高校はあきらめるしかない。今度は手の感覚を使って、何とか入学できそうな学校を探し出し、そこからは受験に向けての準備をしていくことになった。



 受験が終わり、くたくたに(体の感覚なんてないが)なっていた。ようやく俺の体は生活に溶け込むようになっている。この前は近くのコロッケ屋さんに、その次は図書館で文学書を読ませた。見知った人物は当然その違和感に気づいているだろうが、月海の死亡と同時に学校を休むようになった俺に、どうしてなんて聞く奴はいなかった。犯人を目の前にして怒りを感じても、突発的に復讐することはできないから何食わぬ顔ですれ違う。こいつが学習するのに反比例して、俺は友人の顔を忘れていった。これからも遊びにいくことはない、そう気づいたからだろう。

 月海と別れ、自由と引き換えに俺は不幸な目に合わなくなった。体の痛みがなくなったことで心の痛みも失っていった。行動しない人間は成功しない、そんな格言めいた言葉に昔はあこがれていたが、今の俺はもうこのままでいいんじゃないかと思い始めるようになった。

 月海が自由を失ってしまった世界で俺が自由に生きることが、苦しい。あのとき真実を知っても何もできなかった自分がどんな顔をして生きればいいのだろう。残念ながら俺には自分の人生を終わらせるほどの勇気を持っていない。だからかわりにこいつに人生を預けよう。俺が忘れかけていた深層心理も伝え終えた。こいつはもう一人の人間として生きることができるだろう。そうして、俺自身が隠された人格としてひっそりと、暗い闇の中に意識を潜めるように過ごし始めたのであった。



 

 暗闇の中というのも、日を浴びた後では慣れない。

 眠りが浅すぎた。もう一度眠りにつくとしよう。これから先は翔哉、お前が決めることだ。どんな選択も、お前が決めろ。俺は救えなかった贖罪しょくざいのために力を使う。ただ、それだけだ。






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