第20話 嘘も方便も、優しさだって紙一重

 目を開いて上体を無意識に起こしたものの、ぼーっとしていた。何も考えることができない。意識が引き戻されたのは、俺の名前を呼ぶ大きな声だった。


「俺は、一体。」

 どこか記憶が、とても昔の出来事のように思える。その中で思い出したのは傷ついた鈴愛の姿だった。

「鈴羽っ、鈴愛は!?」

「私なら大丈夫ですよ。出血も止まっていますから。」

 鈴羽の後ろにいた彼女が前に出て、返事をする。半袖からチラリと包帯が出ている。この前保健室を勝手に借りていたぐらいだし、そこで処置を済ましたのだろう。


「そういえば愛海は?」

「後ろにいますよ。」

 体はびくりと反応し、おそるおそる後ろを見ると、吐息をしながら背中を壁にもたれかけさせていた。雰囲気を見ればただの一人の女子生徒だ。

「どういうことなんだ?」

「お話しします、ですがまずはここから離れませんと。」

 そう言う鈴愛は、首を右にしながら顎に握りこぶしを当て、苦笑する。その方を見ると、ドアが無残に破壊され、中からも惨状が伺うことができる。

「あっ。」



 全ては俺の意図したことではないが、俺の体がしたことだ。もう少ししたら教員らは戻ってくるはず。見つかったら小一時間の説教では済まないだろう。

「愛海さんを抱えてもらえますか?」

 それを聞いてすぐに断ろうとしたが、考えてみれば鈴愛は負傷、鈴羽では運べない。消去法でも俺がやることになる。仕方がないので愛海の背中に手をまわし、抱えるように持ち上げ鈴愛達に付いていった。



 階段を上がって二階の渡り廊下から隣の校舎へ、そして茶道室の前で立ち止まる。

「翔哉くん、鍵を閉めてもらえますか?」

 そういえば鍵を借りていたな。

「いや、両手空いてないんだが。」

「仕方ないですねー。」

 すると鈴羽は自身の手を俺のズボンのポケットに入れようとする。

「まっ!まて!」

 慌てて体をひねる。

「ん、ん~?翔哉、くん?……って、へ?」

 愛海は俺の声に気づいて目を覚ますと、自分の状況を確認する。そして両手で思いっきり突き飛ばした。突き飛ばされた俺は頭を強くぶつける。



「ああっ!ごめんなさい」

 愛海は自分のしたことを理解して咄嗟に近づき、俺の服に付いたホコリを払う。痛い、でもどういうことだ?彼女の口調は元に戻っている。慌てると目をぐるぐるとさせるところも既視感がある。これでは愛海が壊れる前の状態にそっくりではないか。

 困惑する俺をよそに、鈴愛は鍵を取って扉を開いた。まるで何も違和感を感じていないかのようだ。俺は立ち上がり、後ろにぴったりと付く愛海を警戒しながらも、姉妹らの後に続き中に入っていった。



「翔哉くん、記憶があいまいのようですが、どこまで覚えていますか?」

 鈴羽が鍵を閉めた後、座布団の上で正座になった鈴愛が問いかける。

「俺が覚えているのは、お前がケガをしたところまでだ。それ以降は……」

「そうですか、ではもう一人のあなたが出てからの記憶はないということですね。」

 俺が眠っている間にまたあいつが出ていたのか。


「あなたはあの後、愛海さんに再戦の申し出をしました。内容は隠している場所を当てるゲーム。あなたは鈴羽の狸寝入りを利用し、あなたの姿を冠した鈴羽を愛海さんの前に出すことで、自身は身を隠しながら鍵のありかを探し出しました。敗北した愛海さんはその場に倒れ、あなたが目覚めた後もとの愛海さんに戻ったという、ことのあらすじになります。」

 攻略不可かと思われた愛海に勝利したという点も驚きだが、本当にもとの彼女に戻れるとは思わなかった。神隠しにあわせて凶暴化していた彼女はすでにもとあった人格が消えていると言っていたから、本当に良かった。




「こちらは愛海さんが倒れた後に、彼女の膝もとに落ちていたものです。」

 そう言うと、鈴愛は透明な袋を取り出した。そこには、緑色の種子が一つある。一見何かの植物の種に見えるが、わざわざそんなものをこのタイミングで見せないだろう。

「なんだそれは?」

「粘液らしきものが付着していることから、彼女の口内から出てきたものなのではないのかと思われます。」

 愛海のほうを向くと、彼女は下を向いて顔を赤らめた。自分の口から出てきたものをまじまじと見られるのは恥ずかしいか。

「この種が彼女の口から出てきたこと、今の彼女が正常な精神状態にあること、この二つに相関関係がないとは思えません。推測の域を出ませんが、おそらくこの種が原因となって彼女は凶暴化したのではないでしょうか。」

「なるほど、な。」

 だが、それだけではなさそうだ。鈴愛にはまだ何か考えがあるようだ。



「愛海さん、あなたの力をお見せしていただけませんか?」

「え!それは、その……」

 愛海は躊躇した様子を見せる。彼女は凶暴化したときの記憶を保持しているらしい。それなら自分の幻覚がまた、人を傷つけてしまうのではないかと不安に思うところもあるだろう。

「安心してください。今のあなたの波長は安定しています。私の催眠で十分に対処できるかと。もしくは翔哉くんがなんとかしてみせます。」

 待て、さりげなく人任せにしていないか?無理だぞ。顔には出していないが、これでも頭痛に悩ませれている。いつも意識のコントロールが不安定になることをキーに人格が入れ替わるんだ。ここで呼び出しても5分と持たないだろう。




「それなら、やって見せます。うまくいくか、分かりませんけど……」

 俺を頼るなと言いたいところだが、彼女は深く息を吐いて準備をしている。こうなればなるようになれだ。いざというときのために俺も準備をしておく。



「あの、どうですか?」

「ん?」

 愛海は不安そうな顔でこちらを見る。もうすでにやっているのか?見たところ何も不自然な点はない。

「神隠しは消えているようだな。」

「どうでしょうか?やはり口上こうじょうが必要なのではないですか?」

 こいつ何言っているんだ?まさか神隠し!っとでも叫ばせる気か。鈴愛の正気を疑った。これにはさすがの鈴羽も「おねえちゃん……。」とややひきつった笑いを浮かべる。



「こほん、それではこの種子は凶暴化させるだけでなく、何かの能力を付与するということですね。」

 鈴愛は咳ばらいをして、主観を取り上げた。おおむね俺も同じ予想だ。つまり愛海はこの種子を何らかの経緯で摂取したことが原因で、自分を欲望のままに曝け出したということだ。


「どうやったらこんなものが口に入るんだろうな。

「それについてですが……、翔哉くん、これを直接触ってもらえませんか?」

 それって、袋に入っていた種じゃないか。なんでそんなもの手で取りだしたんだ。しかし真剣な瞳を彼女は見せる。仕方なく指先をそっと近づけた。



「鈴愛、これは何だ?」

「やはり翔哉くんにも見えましたか。」

 森林の中で、黒がかったシルエットの子供が手を差し出している情景が浮かび上がった。それだけじゃない、手の感覚に今も暖かい空気が触れるような、ざらざらとした手触りが残っているような気がする。

「あなたはこの景色に見覚えがありますか?」

「いいや。さっぱりだ。」

 俺は根っからのインドアだ。子供の時でさえ外に出ることに意味を見出したことはない。あんなのびのびとした自然の中に足を踏み入れたことなんてないはずだ。


「翔哉くんは多分記憶がないことも関係してるんじゃないかな。」

 思わぬ言葉を挟んだのは愛海であった。

「俺は記憶がない?」

「うん。翔哉くんは私と初めて話したのはいつ?」

 俺が最初に話したのは同時にメールを交換した日でもある。

「それなら文化祭の日だ。」

 すると愛海は息を吐いた。

「だよね。翔哉くんあのときと話し方がぐるっと変わっていたものね。だけどね、私とあなたは6年以上の間友達なの。」

 それは、つまり小学生のころから面識があるということ。俺は懸命に記憶を掘り起こそうとする。すると、愛海の顔はおろか中学以前の記憶がすっぽりと抜けている。



「すまん、俺の記憶は頼りにならなそうだ。」

「いえ私も、姉も覚えていませんから。でもこの種を集めていけば真相にありつけそうな気がするんです。」

 他の能力者の脳にある種からも記憶のかけらがあるならきっとそうだろう。だとしたら俺たちのするべきことは決まった。能力者を探し出し、正気に戻らせていけばいい。


「鈴愛、まだ部員の空きはあるんだよな?」

「え、えぇ。私と妹の二人だけですから。」

 そうか、それならよかった。

「俺を依頼屋に入れてくれ。この種の真相を見つけたい。もちろんきた依頼はいくらでも俺にまわしてくれて構わない。」

 俺一人での限界にぶち当たった。鈴羽がいなければゲームには勝てず、鈴愛がいなければ彼が倒れた後に愛海を眠らせることもできなかった。これからにしたって結局、情報の一つでさえ俺には手に入れることが困難だ。彼女らの依頼を通せば、校内に存在する能力者くらいは見つけられるかもしれない。

「ええ、もちろん。鈴羽も、いいわよね?」

「構いませんよ。そもそも私の知らない間に勝手に退部してたんですし。都合がいい人ともとれますが、二度とあんなことをしないのなら受け入れます。」

 鈴羽は口を尖らせながら言う。そういえばあの場には俺と鈴愛しかいなかったな。



 自分の目的ができたことによって、なんとなくやる気が出てきたような気がする。一体どれだけの人間が能力を隠し持っているのかは不明だが、真相にたどり着けたその日がすべての能力者を見つけた時だろう。こんな危なっかしいもの、存在してはならない。これから来るであろう予想される事件を胸に、気を引き締めた。





「あの、私はどうなるのでしょうか?」

「あー実刑なしでいいだろ。」

 さらりと返答した。

「でっ、でも、」

「言わんとしてることはわかる。だが何かを望むこと、考えることはお前の自由だ。ただ実行に移していいかは判断の先にあるべきだがな。でもお前は操られた、自分の意志でやったことじゃない。精神疾患と同じように責任を追及するきはない。合理的だろ?」

 法律やルールは常に正しい形を維持するとは限らない。なぜならそれを作るのも人だからだ。だから法にしたがっても法に絶対を求めてはいけない。だが人が法の下に存在する以上、法に認められていることが安寧を与えるのは必然性を伴うに等しい。いわば免罪符、彼女が自身を肯定できる後ろ盾を用意すればよい。すると愛海は、ようやくこくりと首を振った。


「神隠しを使えない以上、事件の再発の危険性も少ないでしょう。もちろん事情を知らない結城さん達がどう思うかは分かりませんが。」

 鈴愛はあくまでも現実的にこの問題をとらえながら愛海を説き伏せる。確かに結城達はとばっちりを受けたに等しい。謝罪の一言もなしにでは虫の居所が悪いかもしれない。

「それはもちろんです。翔哉くん、手を貸してくれますか?」

「ああ、任せとけ。」

 二人を呼び出すことくらいなら俺にもできる。それにあいつらに謝らなければならないのは俺も同じだ。黙って自分で解決しようとしたことに問題があったんだから。

「その代わり教えてほしい。俺の過去に何があったのか。それを聞けばこの力を望んだ理由わけもわかるはずなんだ。」

 愛海の神隠しと同じように、俺が詐欺師を求めた理由があるだろう。俺は知りたい。その過程を。

「うん。翔哉くんにはーー」

「待て、」

 ようやく真相にありつけるというときに、俺の声が邪魔をした。

「俺が話す。そのほうが確実だろう。」

 確かにそれはそうだが……愛海は口をパクパクとさせている。

「すまない。俺は何も覚えていないが、俺の頭の中にいるこいつは知っているらしいんだ。」

「それなら……私も知らないことを知ることができるし、教えてくれるかな?」

 愛海の返事を機に、俺の口を通して、過去に起こった出来事が語られた。

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