第19話 見えてるものだけがすべてじゃない

「はあ、やっと黙ったか。本当にうるさいガキだ。」

 嘆息すると、顔を上げて目を細めながら女を見る。

「翔哉くん、その目も素敵ね。まるで狼のようだわ。」

 ハートを浮かべたような目がうっとおしい。

「それは褒めたうちに入らないだろ。」

 俺の目つきが悪いのは生まれつきだ。お前が普段ぼーっとしてるからはっきりしてないだけ。、最後の最後に失敗する。我ながら不甲斐ないことだ。

「ふふ~ん。じゃあ翔哉くんにはどうしてもらあおっかな~。」

 手に入れた勝利報酬に妄想期待に胸を膨らましている。

「おいおぃ、お前の勝ちじゃねえだろ。」

 睨むようにして彼女の手に焦点を当てる。

「へえ?どういうことかしら。」

 気づいていないふりをしたって無駄だ。もう真実こたえは出ている。




「お前はさっき幻聴で俺にタイマーの音がさも聞こえたかのように錯覚させた。でも正確には一時間経っていない。」

 タイマーを彼女に預けたのはそれが理由だ。彼女は幻聴を使えるということに慢心して、タイマー自体に仕掛けをしなかった。

「ええ、でもあなたはタイマーが鳴ったらといったよねぇ?」

 ああ、だから勝ちじゃない。このまま水掛け論になっても収拾はつかない。だから、交渉するとしよう。

「このゲイムはドローだ。」

「ふーん。まあ良いよぉ、お遊戯できるなら嬉しいし。今度はどんなゲームをしたい?」


 


 周囲を見渡して、思索にふける。こんな堅苦しい空間では、児戯にもバラエティにもならない。だが、

「そうだな。そこの消化器にいくつか鍵が入っている。一つを今から渡すから、それをお前がどこに隠し持っているか俺が当てれたら俺の勝ち、というのはどうだ?」

「でも回数に制限がなかったら私は不利じゃなぃー?」

 当然だ。公平でなければゲームにはならない。

「三回だ。三回以内に勝てなければお前の負けというのはどうだ。報酬も増やしてやるよ。お前が勝ったらこいつを好きに使えよ。」

 俺はポケットから手錠を取り出し、それを可動部が上にくるようにかけ、ダブルロックする。

「へえー攻めるね。」

 愛海は唇に人差し指を当てて、官能的な笑みを見せる。

「鍵はない。これを外す方法は俺の鞄にあるペンチだけだ。俺が意識を失うまでどんな幻聴でも幻覚でも見せればいい。」

 勝てばあとで鈴愛に外させればいい。これは愛海にゲームで勝つことを宣言するためだ。言うことをなんでも聞くなんてあいまいで未確証な報酬よりもよっぽど魅力的に映るはずだ。あいつはこれを愛海に使うつもりで調達したようだが、雲を掴むような相手に通用してたまるか。


「だめよ!翔哉くん!」

 叫び声を上げたのは、傷を庇う鈴愛だ。切り口からは、鮮血がゆっくりと流れ落ちる。深手ではない、放っておいても問題はないが時間が経てば跡が残る。

「ねえ、なんであなたが口を割くの?私たちの初夜を汚すなら、どうなっても知らないよ?」

 かすかに血の滴るカッターが、ぞんざいな持ち方で愛海の手に収まる。

「おいおい、物騒なものはしまえよ。それに、お前の相手は俺だろ?」

 すると愛海は振り向きなおした。やれやれ、浮気性が多くて困る。


 俺は携帯を捨ててその場を立ち去る。鈴愛さえ入れば愛海は気にしない。この場に残ればもちろんいくらでも盗み見る方法はあるがそれはしない。もうすでに勝負は決しているのだから。




「ねえまだなの?」

 20分しても俺が出てこないからそんな質問が来た。

「悪いな。待たせた。」

 ズボンをパンパンと払って愛海の前に出る。すると彼女の待ちくたびれた顔もすぐに元に戻った。餌を待つ飼い犬のようだ。

「さぁてと、お前はどこに隠したもんかねえ。」

 隠す以上は見つからない場所に隠す。だが彼女は違う。あえて見つかるかもしれない安易なところに隠すことも、ポケットに入った携帯を鍵に見せかけることも自由だ。

「すみずみまで調べてね。」

 スカートの端をつまんで波を起こす彼女の、語尾にハートマークをつけたような話し方がいちいち気に触る。まあいい。体を360度眺めるが変な凹凸はない。あるのは無駄に有り余った脂肪の塊くらいだ。

「じゃあ、まずはシューズの中。」

 すると彼女は足を後ろに曲げて左手で外し、その中身を振るように動かすが音はしない。幻覚でないことはあきらかだ。



「残念、はずれでしたあ。」

 憎たらしいが、一つヒントができたということで満足しよう。今後彼女が最低限度の動作で事を済ませようとすれば、それが最も不審である。音がならない、つまり動いても変化がない場所を加味すれば良い。例えるならスカートのベルトで鍵を挟めば音は鳴らない。その代わりにちょっとした動作でお腹周りが見えればすぐに露見してしまうが、なら次は、

「左手の中。」

 さっき靴をわざわざ手で取ったことに違和感があった。わざわざそうしなくともそのまま脱げばいい。幻覚は物質を消す能力ではない。ただ見えなくするだけだ。手の内に隠せば手を開くわけにはいかないから、先ほどのような仕草になっても自然だ。

 そして彼女はゆっくりと手を開く。そこにもなかった。右手はさっき唇に当てていたから違う。




「残念。あと一回だよ。」

 愛海は余裕の笑みを分かりやすいほどに見せる。それが心理的揺さぶりだと分かっていても、体が反応してしまうというのが人間の沙汰だ。

 これで最後。音もない、視覚できない。まさかこんな場所で下着の中に隠すことなんてできないだろう。

「お前の口の中、見せてみろ。」

 すると愛海は俺の背中に手を回し、むりやり唇を押し付ける。押し出されるようにして舌が口の中をはい、ザラザラとした感触が伝わってくる。

 俺はすぐに彼女の手を振り払い、吐き出すようにそれを出す。

「残念、これも消えちゃうんだよねぇ。」

 指を鳴らすと自然に姿を失っていく。




「この前と同じ方法をつかうわけないよお。ちょっと悲しいなー、まあでも翔哉くんのハジメテ奪えたし、満足したよ。」

 満面な笑み、嬉しいだろう。勝利を確信した時の光悦さは何者にも代えがたい。お間のように欲のままに生きる人間はな。

「そう安安とくれてやるかよ。」

 後ろから聞こえる声に愛海は勢いよく振り返る。聞き覚えのある声だろうよ。

「なっ、なんで翔哉くんがふたりも……」

 ドッペルゲンガー、なんていったら信じるだろうか。しかし俺にそんな力はない。もし再現できるとしたら……

「鈴羽、仮面を被ったままでは相手に失礼だろ?顔を見せてやれよ。」

「ほんと、こんなんになるんだったら断ればよかったです。お姉ちゃんのために仕方なく手伝ったんですからね!」

 ぺっぺっと彼女は唾液を吐き出す。愛海がキスをしたのは俺じゃない、俺の姿を真似た小さな狸さ。

「つまり入れ替わっていたんだよ。ゲームの始まる前にな。」

 



 このゲームが始まる前、俺はカギを隠す愛海を待っている間に鈴羽を探した。時間はかからない。予想通りお前は生徒玄関にいたからな。不登校の姉を学校に連れてきたんだ。ばれないように鈴羽が準備をしていただろうことは確信を持っていた。重度のシスコンが一人にしておくはずがない。鈴羽にはその力で俺の姿を真似させた。姉のケガはあらかじめ伝えておけば気を動転させて変装が解かれる心配はない。そして俺の指示通りにゲームを進めている中、俺は愛海の背後に回るために学校の中を一周した。




「そんなっ」

 驚いているところ悪いがこっちは付き合う気はねえ。お前はタイマー自体にイカサマを施したが、俺はそもそも勝負の場にすら出る前にイカサマをした。だから不正にはならない。

「さあ、一回目……っていってもこれが最後か。もちろん『俺には三回チャンスがあるよなあ』?」

 愛海は苦虫を噛んだような顔で見る。俺の言った言葉の意味は十分に伝わっていることだろう。つまりこういうことだ。先ほどまでのゲームは鈴羽と愛海が会話をしていただけで、一度も参加していない。

 こいつはさっき鈴愛の乱入に口出ししなかった。部外者参加を認めた時点で鈴羽の狸寝入りを利用したなりすましは正当化される。




「おまえの隠しているのは、制服の袖の中だ。」

「くぬっ!」

 彼女は後ずさりし、壁にそのままもたれかかった。だがその緑色の目は死んでいない。

「悪いがもう神隠しはできないぜ。なんせお前の能力は所詮幻覚。物体そのものを消せるわけではないからなぁ。」

 目の前に俺がいると錯覚していた愛海は、俺以外の視線に鈍くなっていた。だから鈴羽が二度目の質問で手の中を見せるようにいった時、俺には見えちまった。裾の先を指の先端で抑えながら、腕を振り上げるようにすると同時に手を開ける姿が。すると鍵はするすると袖の中に入っていく。しかし肩まで上げるわけではないので、袖から体にいくことはない。戻す時には腕を下ろしきった瞬間に手の平を曲げれば、そこにちょうど納まるだろう。

 仮に落としてしまう姿は隠せても音は消せないからとはいえ、よく考えたものだ。視線が一瞬でも動けば俺の姿をした鈴羽にばれる。あの場で対面したのが鈴羽でなく正真正銘俺だとしたら気づけただろうか?確信はない。




「そしてお前は能力の幅を見せすぎた。お前の神隠しの影響が及ぶのは目に見える人物だけだ。」

「どうしてわかったの?」

「茶道室の前に落ちてた財布、お前があれに手をつけなかったのが証拠だ。なぜお前は幻覚で自分の携帯を財布にしなかった?」

 彼女がもつ携帯にも目覚まし時計の機能はついているはずだ。都合のよい時間に設定し、財布に見えるように幻覚を見せ、本物の財布は彼女の手元に置いておけばいい。そうすれば拾った俺歩いている途中に目覚ましの音が鳴り響くことになるだろう。




「もちろんこれは確実じゃねぇ。俺が財布を拾わなかったら意味はないからな。だがあれほど周到に準備するやつが、極小確率でさえ可能性を捨てるはずがない。」

 常に彼女は能力に頼りきりだ。神隠しに引っかかった相手がどんな顔を見せるか楽しんでいるのだ。そんな人間ならこの程度の考えに行き付くことは容易だろう。

「だけど財布が幻覚をかけられていないなんて判断できるわけないじゃない!」

「部屋を出た瞬間わかった。だが取りに行くのもめんどくせえ。鈴羽、俺の携帯をよこせ。」



 鈴羽は駆け足で俺のもとにくると、スカートのポケットから取り出した携帯を渡した。すると周りが暗くなる。部活が完全に終わった頃か、俺は携帯のライトを愛海に向ける。

「ほらな、お前の手には何もついていない。財布には絵の具を厚塗りしてあるのにな。」

 逃走中美術室が空いていたので中に入ると生徒が一人、目の前の作品に熱中していた。そいつから一つチューブを買い取った。アクリルガッシュをな。簡単には落ちない。洗っている間のロスタイムを考えれば是が非でも捜索を優先するはずだ。



 証明は終わりだ。つまり彼女はそでに隠していた鍵も、鈴羽からしか隠すことはできなかった、俺には筒抜けだったということだ。

「お前のが見えた時点でお前の負けだ。愛海、お前に命じる。二度と俺たち三人の前に顔をみせるんじゃねえ!」

 愛海は絶望のあまりその場に座り込んだ。おびえた彼女はもはや、つまらない女だ。

「愛海、やっと素の顔を見せたな。」

 もう、お前の嘘は通じない。だからもう、肌を傷つけるようなことをするな。鍵がうっすら見えた時、その細い腕は爪で裂かれて充血していた。そして幻覚を解かれて目にしたのは傷ついた太ももだった。

 抗い続けた彼女の、痕であった。


 



 そろそろ、限界か。熱くなっていたせいで気にもしなかったが、終わったあとの充足感に浸ると、どっと疲れが押し寄せてくる。

 翔哉、すべてはお前の選択する未来だ。お前は過去を知った時、どんな世界を創るのだろうな。

 その日まで……



 思考をまとめきること叶わずに、一人の詐欺師は眠りについていった。

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