第17話 ゲーム スタート
次の日、俺は早朝に学校へ電話で一報を送った。
「そう、体調が悪いのなら仕方ないわね。ゆっくりと、体を休めてくださいね。お大事に。」
電話に出たのは、まだ学校に到着していない担任に代わってでた保健室の先生だった。普段休むこともなければ保健室にお世話になることもない健康優良児なので、怪しまれることなく欠席の手続きはすぐに終わった。受話器を置くと、妹の由佳里がすぐ近くにいた。
「お兄ちゃん大丈夫?昨日はご飯食べないし、今日もまだ体調は悪いままみたいだし。」
怪訝そうな、心配も混じったような顔をしている。昨日は自分の部屋に入るなり、すぐにベッドに入って眠っていた。きっと由佳里は夜ご飯をつくっておいてくれたのだろう。いつもご飯を食べる場所には、サランラップの敷かれたカレーライスがあった。普段から家事のことはほとんど任せっきりなうえに、心配をかけてしまうとは兄として情けない。
「ああ、大丈夫だ。ちょっとテスト勉強で疲れただけだ。」
口から出まかせに理由を述べる。部屋の明かりがついているかは廊下から分かるのですぐにばれてしまいそうだ。
「えーほんとにぃ?じゃあ私も休もっかなあ」
由佳里はソファーにもたれると、足をパタパタと動かしながら、朝のニュースをつまらなそうに見始めた。
「お前は学校に行ってこい。飯ぐらいなら作れる。」
体は重いが昼になればカレーを温めればいいだけだ。確かゼリーが冷蔵庫に入っていたはずだと思い出し、中をごそごそと冷たい冷気に当てられながら探す。
「んー、じゃあゆっくり休んでね。」
視線が外れているうちに、妹は渋々ながらも通学かばんを肩にかけて玄関に向かっていった。ゼリーを取り出して冷蔵庫をしめてから時計を見ると時間は7時30分、この様子では朝の部活には間に合わないだろう。心配を掛けた分、治ったら何か外食にでも連れていってやろうか。食費を無駄にするなと怒られそうだが。
壁に手を置きながら、猫背になってゆっくりと階段を昇って行った。
「いらっしゃいませ。あら翔哉くんでしたか。学校はどうしたのですか?」
彼女は布巾で机を拭くのをやめ上半身を起こすと、ゆっくりと丁寧なお辞儀をした。
「昨日の依頼のことで少し話したいことがある。休憩時間になったら時間をくれないか?」
こんな時間に来たのも昼休憩を見越してだ。いつもの時間に行けば帰るころには真っ暗かもしれない。由佳里が家に帰って俺がいなかったら不安に思うだろう。
「ええ、もう少ししたら終わりますから先に部屋で待っていてもらえますか?」
俺は頷き、仕事の邪魔になってはいけないのでそそくさと階段を登っていった。
部屋に入り、しばらく座ってくつろいでいると鈴愛の声が聞こえてきた。
「扉、開けてもらってもいいですか?」
立ち上がりドアを引くと、彼女はお盆を両手で持っていた。そこにはコーヒーとお菓子が入った入れ物が置かれている。
「あんまり気を使わなくていいぞ。」
「かまいませんよ。そこまで高級な豆ではありませんから。」
そうは言っても普通に頼めば400円くらいするだろう。来る度にこうして出してもらうことに、少なからずの申し訳なさを感じていた。しかし善意でもってきてもらえば、断りにくい。柿の種の袋を手に取った。
まずは早速だが本題に入ろう。彼女は昼ごはんもまだだろうし、あまり時間を取らせるわけにはいかない。
「鈴羽からなにか聞いてるか?」
すると彼女はうつむきながらえぇ。と答えた。なら話は早い。
「愛海は幻覚と幻聴を使うことができる。あいつは学校の生徒になりすまして俺たちに依頼を出していた。それに、俺の能力も通用しなかった。」
ズキンと頭が痛み、昨日見た光景を思い出す。完璧かと思われた推理はあっけなく崩れ去ってしまった。
「少し答えてほしいことがある。本当に愛海は退学したのか?」
「え?」
先生から退学なんて話は一度も聞かなかった。変だろ?本当に退学したのなら、いつまでも生徒に隠し続けることはできないだろう。事情は抜きにしてでも何か話があるのが普通だろう。
ただ事件の次の日から一度も学校に来ていなかったから勝手に退学になっていたと勘違いしていたんじゃないだろうか。愛海についてクラスメイトは誰も触れなかった。でも俺は疑問を抱くことはなかった。普段から目立たずひっそりと教室で過ごす彼女がいないことを、気に留める生徒がうちのクラスにはいないからだろう。俺だってあの時の豹変した彼女が見せる残酷さに、すぐに忘れ去ってしまおうとばかり考えていた。彼女の席だけは、未だ残ったままだ。そして……
「昨日の帰りあいつの靴箱を見たんだ。そしたら土の跡がついていた。」
「昨日は、雨……」
辺りがしんとなった。退学になったかと思われていた彼女は、この数日間息を潜めていたんだ。そして昨日、万全な状態で俺たちの前に現れた。神隠しも十分に練習し、その特性も完全に理解しているはずだ。
しばらく訪れた静寂、俺はその中で一つの案を思いついた。
「鈴愛、しばらく依頼屋を抜けていいか?」
「え?」
急な提案に、彼女は口を丸くする。
「今回のことは俺の責任だ。だから俺一人でやらせてくれ。」
「待ってください!」
鈴愛が前のめりになって答える。
「あなたはどうやって一人で彼女に立ち向かう気なんですか。私や鈴羽といっしょに協力すれば可能性も……」
彼女の必死さは痛いほどわかっている。が、
「お前の能力は通じない。一度目、あいつを眠らせるだけで精一杯だったんだ。その後の退学の流れをつくるための催眠は一度も効いていない。」
愛海が退学していなかった、それが証拠だ。
「でも!」
それでも何もしないわけには、そんな言葉が彼女の口から続いて来るような気がする。鈴愛は俺の依頼を解決するために必死になってくれた。そして誰かの依頼を叶えるために奮闘する彼女の姿を見てきた。
俺はいつの間にか甘えていたんだ。何か会ってもこいつの力を借りればいいと。
「今日はそれが言いたかった。俺の問題が解決したらまた手伝う。だからそれまではここを空ける。」
「……わかりました。では一つだけ忠告させてください。人格を預けている間はできる限りリラックスした状態でいるようにしてくださいね。」
「リラックス?」
それに何の意味があるのだろうか?
「脳に負担がかかればかかるほど、使用に支障をきたす可能性があると予測されます。鈴羽はルーティーンのようなことをして気分を落ち着かせていますが、あなたも同じように何か精神を安定させることをするべきです。」
確かに、あれは本当に疲れる。前日に夜更かしをしていたときなんて最悪だった。それに目や手を使うために意識を傾けようとした分、さらに疲れを感じやすいのだ。
「分かった。肝に銘じておく。」
それだけ言い残して部屋を出た。ドアを閉めると、胸の中にあるもやもやとしたものに襲われた。苦しい、苦しい。この気持ちは何なのだろう。そんな問を胸に抱えながら、地面に足を引きずっていった。
*
「おはよう翔哉くん。今日はもう大丈夫かい?」
一日ぶりに来た学校はどうしてか、とても久しぶりのような気がした。シミのついた壁が、どうしてか妙に好ましい。
「ああ、もう大丈夫だ。」
休んだ理由のほとんどは、鈴愛に接触し、そして愛海を攻略するための作戦を立てることにあった。普段心を落ち着かせるときに聞く音源を昨夜寝ている間に流しておいたこともあって、精神的にも大分落ち着きを取り戻したように思う。
「昨日のノート取っておいたから授業の前に写しておきなよ。」
カラフルなそれぞれのノートを手に取る。すると「あっ」と声が聞こえてきた。この声は三波だ。振り向くと彼女は手に持っていたものを咄嗟に後ろに隠した。が、彼女の細い体では、そのノートの端までは隠し切ることはできていなかった。
「ありがとな。」
「べっ別にー。」
照れくさそうに笑う彼女、せっかくなので2人から半分ずつノートを借りることにした。
「そうだ。今日遊びにいかないか?」
「悪い、今日も予定があるんだ。」
この前も誘いを断ったからとても申し訳ない気持ちでいっぱいだった。でも今日の予定は既に埋まっている。
「いいよいいよ。また今度、翔哉君から誘ってくれるかな?」
結城は表情を曇らすことなく言葉を続ける。
「ああ、もちろんだ。約束する。」
鈴愛によって盗難事件が解決したことは彼らの耳に入っている。つまり愛海はすでに退学していると思っているはずだ。二人には悪いが、本当のことは秘密にしておこう。下手に恐怖心を煽るべきではない。今日で事件は完璧に解決して見せる。
友人2人にからかわれながら過ごす、ーーその日常を守るために。迫りくる時間を刻々と胸に刻みながらも、つかの間の友人との談笑にうつつを抜かした。
*
時刻は18時、そろそろか。誰もいない教室、外にサッカー部や野球部が活動している声がかすかに聞こえてくる。
俺は予め用意していたルーズリーフを自分の机の上に置き、その前で意識を薄くした。手や足の感覚がない、まるで宇宙空間のようなこの状態にはまだまだ慣れないが、数秒して俺のもう一人の自分を呼び出すことに成功した。視界の調子も良好、頭痛も少ない。これなら万全の状態で彼も動けるだろう。
「はあ、ねみぃな。にしてもまぁためんどくさいことになってんなあ。」
彼は手紙を手に取り、それを読み終えるとため息を吐いた。そしてそれを手の中でクシャクシャにするとゴミ箱に向けてノールックで放り投げた。放物線を描くようにして、小さなゴミ箱にすっぽりと収まる。
「あは。翔哉くんこんばんわ。」
予定より早いが来た、愛海だ。彼女は高校生らしく制服を身にまとい、暗闇の中にその瞳を輝かせながら現れた。エメラルドのような褐色も、俺には虫がつぶれたような濁った色に見えてしまう。これなら前の髪で顔が隠れていたころのほうがマシだった。無駄に髪を整え、肌をきれいにし、まるでこのために準備していたような面をしていることが癪だ。
「えへへー、まさか翔哉くんから私を呼んでくれるとは思わなかったなー」
彼女は笑いながらもその目の焦点は定まっていない。
「そろそろぉ~私の虜になっちゃったのかなー?」
自分の世界に入って妄想を垂れ流す彼女に対して彼は、決して一言も返そうとしない。ただただうざったそうにしている。
「もーそんなダンマリじゃ寂しいよぅ。」
愛海は可愛い子ぶってほほを膨らませた。それに対して俺は重い腰を上げるように、やっとこさ口を開いた。
「愛海、一つゲームをしないか?」
ゲーム?俺は何を言っているんだ?ふざけている余裕なんてどこにもないだろう。計画外の発言が気にかかる。
「いいよ~ルールの方はぁ、手とり~足取り~教えてねっ」
愛海は足をパタパタとさせ、チラチラとその太ももを露出させる。そんなことはお構いなしに俺は口を開いた。
「かくれんぼだ。制限時間は1時間、学校内ならどこをつかってもいい。俺に勝てたら好きにしていい。その代わりお前が負けたら俺の命令に従え。タイマーは黒板にあるそれを使えよ。それが鳴ったらおしまいだ。」
俺の体を勝手に賭けの材料にしやがって。しかし俺の意識は完全に主導権を握られていて取り返すことはできない。文句を言いたいがここは堪えた。
「いいよ。どっちが鬼さんになる?」
「お前が選べ。」
明らかに逃げるほうが有利な勝負だ。いくら校内に範囲が絞られているとはいえ、そんなルール破っても鬼には証明のしようがない。時間ギリギリに何食わぬ顔で学校の中に戻ってしまえばいい。
愛海は確実に有利な逃走者を選ぶだろう。
「んーじゃあ私が鬼さんで。一応身体検査させてもらうよ。」
「不正対策だろ、好きにしろ。」
すると愛海は距離を詰める。細い指を髪から順に下に向かってなぞる。俺は視界を閉じた。見ていてこれほど不快なことはない。むしろどうして彼は目を閉じないのだろうか。
「おいおい、お前が不正してどうする。」
その声に俺は目を開けた。すると手に何かもっていた。布制の丸い、お守りのような形をしている。
「必勝祈願だよ。いいでしょっ。翔哉くんのために作ったんだあ~。」
敵に塩を送るなんて一体どういうつもりだ?
「これは盗聴器だろ?携帯で居場所を探るつもりか?」
そうか、これも彼女の幻覚か。盗聴器なんて教室に歩く生徒がいなければほとんど意味をなさない。でも外に出れば車の走る音がする。そうすれば不正はすぐに見破ることができるだろう。すると彼はそれを投げた。意図かあるいは偶然か、ごみ箱の中にポスッと収まる。
「ひどいな~結構したのに。まあいいや、そんなありきたりのこと翔哉くんはしないだろし、10分あれば隠れられるでしょ。よーいドン!」
彼女はピストルを鳴らすふりをすると同時に、タイマーをスタートした。俺は時計を一瞬見るとすばやく教室を出た。
そして最初に向かったのは一階、蛍光灯の明かりを頼りに着くや否や職員室のドアを思いっきり蹴る。すると蹴り上げた方向に倒れたドアによって、大きくホコリが舞った。
今日は校舎に先生はいない。体育館で保護者向けのスピーチを行っているからだ。終わるまで二時間あるので、教員にばれることはないだろうが、心臓に悪いことを躊躇なくしないでくれ。そして彼はドアを足で踏みながら辺りを汲まなく探す。その視線は下にいくことはない。まあ隠れるためならドアを蹴るなんてわかりやすいことはしないか。すると彼は鍵を並べて掛けられている場所に目をつけた。それらを無作為に手を取るとすぐに職員室を後にする。
残り5分。この間に鍵で何らかの部屋に侵入して閉じこもれば1時間なんてあっという間だ。すると彼は真っ先に消化器が入った箱の扉を開いた。そしてその中に先程盗んだ鍵をすべて隠れるように入れると、扉を今度は丁寧に閉めた。まさか鍵を盗んだこともブラフにする気か。確かにいくら愛海が女でも、椅子や机をぶつければ扉をこじ開けることはできるかもしれない。それだけ彼女を警戒しているってことか。今までにない彼の本気度に息を呑んだ。
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