第14話 目覚め

 薄っすらと光が見えて、目蓋をゆっくりと開くと見慣れない天井があった。真っ白で蛍光灯の光が眩しい。首を動かすとカーテンは閉めてある。ここは病院だろうか?

「おはようございます、翔哉くん。」

 寝返りを打つようにして振り返る。そこには椅子にちょこんと座って本を読んでいる鈴愛がいた。


「すっ、鈴羽は!」

 鈴愛がいるという状況よりもまず先に、慌てて声を出すと彼女は、俺の口元に人差し指を当てて、「隣で寝ているわ」と小さな声で言った。

 その言葉を聞いて口を閉じ、ほっと胸を撫でおろす。


「すまない、途中から眠ってしまって記憶がないんだ。そういえば誰かが止まってと言っていた気がするが、知らないか?」

 眠る直前の記憶を掘り起こして尋ねる。

「それでしたら私ですよ。なんとか間に合うことができました。」

 そういうことか。

「あの後どうなったんだ?」

「翔哉くんの推理を元に証拠を教員に流させていただきました。今頃愛海さんは職員室の方でお話をされているかと。きっと今日は帰れないでしょうね。」

 どうやら当初の依頼条件にあった退学を形にするための工作は完了しているらしい。実際に愛海が退学になるかは日にちを待たなければわからないが、教員も真相を知れば手放しにはできないだろう。


「助かる……ってかお前、先生に見つかって大丈夫なのか??」

 不登校であった彼女が今日に限って学校に来て、さらに事件の犯人を取り押さえるなんて目立つにもほどがある。そんなことをすれば明日から学校に行かなくてはならなくなるだろう。

「そうですね。あなたと鈴羽をここに連れてきたあと、職員室の方に公衆電話ボックスから電話させていただきましたから大丈夫ですよ。それと、倉梨さんは病院に連れてかれたようです。」

 ちゃんと手は打っているのか。電話越しでは生徒一人一人の声を判別はできないだろうし、ある意味不登校生であることが功をそうしたと言えるだろう。この場にいることを見つかれば一発アウトな分リスキーだが、そんな単純なヘマはしないと信じたい。



「そうか、でもよく俺を連れ出せたな。」

 愛海のあの興奮度からして、いつ誰を襲ってもおかしくない。簡単には俺たちを見逃してはくれないだろう。

「おとなしくなっていただきましたから。」

「どうやって?」

 彼女の細い体では愛海を拘束することも抑えることも難しそうだ。

『内緒ですよ。』

 その言葉を聞いた瞬間なぜか、つい先程まで頭の中に浮かんでいた謎がすっぽりと抜け落ちた。思い出そうとしてもどうしてかどこにもその記憶は見つからない。まるで繋いだ配線を切られたかのようだ。


『何をした?』

 勝手に口からでたその言葉に一瞬、ぐらりと意識を奪われる。

「ふふっ、二度目はやはり効きにくいですね。実は催眠をかけさせていただきました。」

 催眠というとコインの穴に紐を通して振り子のように動かすやつか、または指を鳴らすやつか。でもそんなオカルトティックなものが現実にあるはずがない。

「催眠なんて非現実的なものでごまかすなよ。本当は何なんだ?」

「いえいえこれは本当ですよ。例えばこの部屋、どうやって侵入したと思いますか?」

 保健室の鍵も基本的には職員室にある。

「鍵を盗んだとか」

 茶道室の鍵も持っているくらいだしそれくらいはできるだろう。

「では、ただの電話で教師が動いているのは?」

「男子でもあるまいしいたずらではないと思ったんじゃないか?」

 性差別的に聞こえるかもしれないが、前にいたずら電話を掛けた男子生徒がいたからだ。半分は女子の方が被害にあう率が高いのではないかという偏見でしかないが。


「なかなか強情ですね……では」

 少し間を置くと、

「あなたは、止まって、と言われたとき思考停止を頭に浮かべたのではありませんか?」

 あの時は恐怖で既に体が動かなかった。愛海が目の前に立ち、諦めそうになったときに鈴愛の声が聞こえたんだ。あながち間違っていないような気もする。


「私の催眠は聞こえた人全てに効果が及びます。現実的で簡単に遂行しやすいほど成功率は高くなりますが、反面複雑であれば失敗するというのが玉にキズなんですけどね。」

 苦笑いを浮かべて少し照れくさそうに話す。そしてさきほど彼女は2回目であることを強調していた。回数を重ねることでも成功率は下がるのだろう。

「そんなことが実際にできるなんてな。」

 俺は鈴羽の狸寝入という名の変装技術を目にしていた分、衝撃は少ないが、それでも容易に納得はできない。



「非現実思われるかもしれませんが、翔哉くんも持っているじゃありませんか。相手の嘘を見抜き、真実を直感出来る詐欺師ペテンの力が。」

「何!?」

 起き上って声を出すと、むせこんで胸を手で抑えた。

「あなたのそれは脳に大きな負荷をかけるもの、鈴羽の狸寝入のように力を使った後は、まともに立ち続けることはできないはずです。あまり無理をしないでくださいね。」

 そう言うと鈴愛は立ち上がり、少し屈んで俺の背中をさすった。だいじょうぶだと手を退けようとしてもいってもしばらくはやめようとはしない。

 さすられながらここ数日の違和感を思い出した。やけに頭痛がひどく、体が重かった。それに今日の推理も途中の記憶はバッサリと消え、いつの間にか犯人は倉梨でなく、被害者のはずの愛海に成り代わっていた。さっき催眠が効かなかったのは、鈴愛の言う回数条件だけでなく、もう1人の俺の意識があったことも関係しているかもしれない。



「あなたの推理は鈴羽の携帯から聞かせていただきました。その声はあなた自身ですが、思考回路は全く違います。翔哉くんは力を使っている間の記憶はないようですのでわからないかもしれませんが、驚きました。あんなにもスマートに嘘を見抜き、あまつさえ真実への証拠を掴み取ったのですから。」

 俺が眠っている間にそんなことが起こっていたのか。俺が一度目に意識を取り戻したとき、愛海は満身創痍かのように呼吸は乱れ、目に見えて冷静さを失っていた。それがもう一人の俺の仕業である、と。



「あなたは今まで友人のために、ここまで力を尽くそうとしたことはなかったでしょう。同時に裏切られることも。その苦しみをバネに、あなたは今日本当の自分を見つけたんですよ。」

「本当の自分?」

 自分らしく自由気ままに生きている俺には縁がなさそうな言葉だ。

「あなたが隠してきた自分です。周りの目を気にし、カラにかぶって必死に平穏をまもろうとしていたあなたが密かに憧れていた姿です。」

 俺は今まで無欲な人間だと自負していた。本は退屈を紛らわす手段に過ぎず、熱中するほどでもない。そんな自分が相手の頭の中を丸裸にするような力を求めているなんてな。

 鈴愛の言うように俺は誰からの束縛も受けたくなかった。自由を望むこと、それ自体は確かに欲求だ。結城や三波という友人に出会いながらも、一定の距離を心のどこかで感じ続けた俺は、二人とだけは本当の友人になりたいとさえ思っていたのかもしれない



「しかしこれは夢から覚めなければ現実で大きな問題を引き起こすことになります。例えば愛海さんのように。」

 鈴愛の冷たい言葉に、胸を締め付けた。かすかに頭の中にあるのは彼女が突如、怒りをあらわに人を蹴り始めた記憶。あれはどう考えてもおとなしい彼女に出来るはずもないことであった。

 彼女も俺と同じように自分を隠し続けて、カラに閉じこもっていた側のはずだ。違いは友人になりたいと思える人間がいたかどうかだけ。たったそれだけの違いで、彼女は目的のために他人を傷つける非道な人間へと姿を変えた。

 もし俺が友人であったら、愛海はあんな選択を選ぼうとはしなかったのかもしれない。愛海が姿を表すことは二度とないかもしれない今になっては、真相は闇の中へと消えてしまうが。




「話を変えますが、ここで問題になるのは倉梨さんの処分についてです。愛海さんは倉梨さんの怒りを煽った、とお話の中で証言してくださいましたが、そうでなくても倉梨さんのしようとしていたことに変わりありませんし到底許すことはできません……。ですが、あの様子では二度と悪事は働けないでしょう。下手に他の学校に行って再び悪に染まるぐらいなら監視というバツで償ってもらおうと思います。あなたはどう思いますか?」

 本当のことを言えば結城や三波に相談したいところだが、鈴愛は早い返答を待っているだろう。今愛海は先生に自白しているところであるためだと思う。倉梨に学校からの正式な罪を下すなら今しかない。



「賛成だ。」

 倉梨は騙されていたこともあり、同情できる節がある。見逃すと言うと聞こえは悪いが、彼女には改心してほしい。そして結城の前で一度だけでもしっかり謝ってほしい。


「分かりました。それと、今回私の推理は不十分でありました。本当にごめんなさい。」

 目が覚めたときから、彼女がなにか言おうとしているのは気づいていた。自分のことを責めているのだろう。

「依頼を達成したとは言えません。ですからお手伝いの約束は白紙に戻していただいて構いません。」

 あぁそんな約束もあったか。すっかり忘れていた。めんどうごとがなくなるなら俺としても大歓迎だ。


『本当の事を言えよ。もう嘘をつくのはなしだ。力量を図るようなこともしなくていい。』

 ああ、もう分かっていた。俺の心が何を求めているかなんて。

「で、では協力してくれませんか?」

「もちろんだ。ただの偽善だけどな。」

 俺の心を代弁してくれる彼に今日は助けてもらったんだ。彼の言うとおりにするさ。

 すると鈴愛は俺の手を、包み込むように自身の手で覆った。





「たっだいま〜あ、あれ?今入っちゃダメな雰囲気でした?」

 顔だけ横から出して視線を外に向け、沸騰したかのように頬を赤らめていた。

「鈴羽っ!違う、これはお姉さんからで!」

 すぐに手を離し、その手を振って弁明する。

「お義姉さん?はひゅう。」

 すると鈴羽はショートしたようにその場で崩れさる。

「違う!ほら早く目を覚ませ!」

 彼女の肩をゆすりながら懸命に起こそうとする。誤解されたままでは叶わない。

「先輩が……おにいさん……」

 ダメだ。こいつ完全に心ここにあらずだ。

「おい!お前からもなんとか言ってくれ!」

 姉からの言葉ならこいつも効く耳を持つはずだ。弁明を願う。

「ふふっ。高校生活と言わずずっとでもいいんですよ。手と手と取り合って、一緒に頑張りましょうね。」

 微笑を浮かべながらそんな冗談を言い放った。同時に鈴羽は意識を失った。

「おいおい、勘弁してくれよぉ。」

 


 俺はとんでもないやつと契約したのかもしれない。これなら猫の手でも借りるべきだったな。

 嘆息し、ガラス越しの外を眺める。もう日が沈みかけていた。そんな夕日に心写しながら、物思いに耽る。

 

 俺のこの力をなんのために使うか。何を守るために使うのか。答えを見つけなければいけない。愛海のように誰かを傷つける凶器へと変貌するこれとの向き合い方に、頭を悩ますばかりだ。


 

 真か嘘か。正か悪か。夢物語が始まる。

 間違いを犯そう。過ちを認めよう。

 それができるのは今だけだから……

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