第10話 教科書に答えはない

「放課後、いつもの場所に来てください。」

 そんなメールが届いたのは2日後、学校についてからすることもなく、時間つぶしに携帯を開いた時のことであった。思えばあの日から、結城とも三波とも顔を合わせて話すことはない。俺からしたら少し過去の日常に戻ったみたいなものだ。

 しかしこの胸にぽっかりと開いてしまった虚無感を覚えると、あいつらの存在がどれだけ大きかったか今更さらながら身にしみて感じる。

 

 例えばこの事件が無事に解決したとして、俺はあいつらと再び友人へと戻ることはできるのだろうか?先日あんな口喧嘩をしたんだ。時間はかかるだろう。最悪の未来は、想像することさえ願い下げだ。



 物音立てないようにひっそりと机に座って、秒針の音を合間に聞く退屈さにあくびしていたんだ、とりあえずメールを確認しよう。

 場所は書かれていない、だが鈴愛れいあからのメールだから喫茶店に行けば間違いないだろう。どうせ今日も学校を休んでいるはずだ。俺はというと用事もないので「わかった」とだけ送って一つ前のページに戻る。その操作によって今まで送られてきたメールの名前と件名が表示された。

 鈴愛の前に来たメールは愛海から何件か、昨日は帰ってからすぐに寝たのでメールは未読の状態になっていた。内容は先日から引き続き被害報告である。どうやらここ数日も続いているらしい。三波は俺にバレたんだから少しは行動を控えるようになると考えていたばかりに残念だ。

 彼女は一度染めてしまった手に慣れてしまったのか。ならもう彼女を引き止めようとしても、俺には何もできない。かすかに残っていた迷いも消え去り、覚悟を決めた俺は携帯の電源を落とす。鈴羽は約束した。必ず依頼は守ると。財布の中は寂しいが俺はもう依頼する側だ。少しでも協力できることがあるなら動いてみせる。


 すると扉の開く音に気を取られた。だがどうしてか来た人物は分かっていた。かばんを背負った三波が普段と変わらない様子でそこにいた。

 彼女と目が合う。何か受け答えするわけもなく、近づいてくることもなく、彼女はまっすぐ自分の席に向かって着席した。

 鈴羽の姿をまじまじと見て、胸が引き締まる思いをする。俺はこれからこいつを退学させる協力をするんだ。クラスメイトに、友人にそんなことをするなんて想像するだけで吐き気がする。

 だめだ、考えるな。ここで迷ったらいつまでたっても事件は解決しない。ネクタイをキツくしながら自分に強く言い聞かせるようにし、どうにか堪える。

 そうして自問自答しているうちにあっという間に時間は過ぎ去っていくのであった。


 ※


「いらっしゃいませ。」

 いつもの変わらない笑顔で鈴愛は出迎える。その言葉に対して俺の代わりに「ただいまー」とわんぱくに返すのは一緒に歩いてきた鈴羽すずはであった。

「鈴羽、お客さんもいるんだからもう少し落ち着きなさい。」

 面倒見のよいお姉さんらしい一面を見せると鈴羽は、「はーい」と仕方なさそうに頷いた。

 そんな様子を微笑ましく思ったからか、周りのお客さんはふふふ、と笑みを浮かべる。鈴羽は慣れたように手を振り、鈴愛はぺこりと頭を下げた。

「もう少し待っててね。」

 鈴愛は俺にも一礼して、厨房の方にスタスタと戻っていく。客足を見るに、もうそろそろお客さんも帰る時間だろう。今いるお客さんもテーブルのグラス以外下げられている。それなら今日もテーブルで話した方がいいか。

 鈴羽はというと、2階の階段をスカートを揺らしながら調子よく登っていく。立入禁止と書いた張り紙があるから、きっと2階は彼女らの過ごす生活空間なのだろう。そういえば鈴羽の私服は見たことがない。あの背丈だし大抵のものは幼さを一層させるだろうが、コンプレックスとしている彼女のことだ、姉にあこがれて大人っぽい服装をしているかもしれない。


 そんなことを考えているといつか勘づかれそうだなと思い、それ以上は想像しないことにした。一瞬きらりと光った視線は気のせいだろう。すると彼女は階段を下りてきた。着替えてもいないし何か忘れ物をしたのだろうかと考えていると、彼女は手招きをする。そう、俺に対してだ。

 首を傾けると鈴羽は人差し指を上に向けて上下に動かした。即座に俺は首を振って拒否を示す。お世辞にもこの敷地ではリビングが用意できるようには見えない。いくらなんでも部屋にお邪魔するのは悪い、女性の部屋ならなおさらだ。すると今度は、別のジェスチャーで何か伝えようとしている。


 両手の人差し指でつくった□を上からばってんにし、手をしっしと払うと人差し指を立てて上下に動かす。

『注文しないなら迷惑だからさっさと上がってこい。』

 多少私見による語尾を含むが意味はそんなところだと思う。どうやら俺の財布事情まで把握されているみたいだ。将来誰かと結婚したら真っ先に旦那を尻に敷かせそうだな、なんて妄想に苦笑を浮かべながら、彼女の後ろについて行った。



 階段の幅が狭く、男の足には合っていないので、手すりにそっと手をかざしながら慎重に上がろうとする。と、自分の手にざらざらとした違和感を感じる。

 手をどけて注意深く見るとそこには細い傷がついている。年季によるものにしては、その他に目立った傷の箇所はない。何かを引っ掛けた後なのだろうか?不思議に思うがわざわざ聞くほどのことでもない。そのまま歩を進めていった。



「ここがお姉ちゃんの部屋。入って。」

 ドアを開けて中に案内するが、そう気軽に足を踏み出すことはできない。女子の部屋なんて入った記憶がないんだ。俺には荷が重すぎる。

 そんな様子を見て我慢ならなくなったのか「はーやーく!」と言いながら、後ろに回り込まれて、俺は押し出されるように部屋に足を入れることになった。

「お姉ちゃんが戻ってくるまで私は私の部屋にいますから。」

「だったら君の部屋でも……」

 人の部屋に一人でいるのは心細い。

「やですよ。友達が来たときに匂いや髪とかでバレちゃうんですから。変な噂立てられたら困ります。では、」

 交渉空むなしく扉は閉められた。同時に廊下から差し込む光が失われ、視界が真っ暗になる。


 ドアを開けたらまた怒られるだろう。ギコギコと摩擦音がどうしても出てしまう。だからといって暗いままの部屋にいるのも気が気でないので、明かりをつけるべくスイッチを探すことにした。


 


 足元に気をつけながらしばらく部屋の周りを詮索したが、なかなか思ったようにみつからない。視野を広げようと顔を上げるとかすかな細い光が目に止まった。

 立ち上がると、それは机の上に置かれたノートパソコンのランプから発せられた光であった。パソコンを立ち上げれば少しは周りも見えるだろう、そう思い至ってゆっくりと開くと画面が眩しくなった。

 そこに現れたのは白い背景にびっしりと打ち込まれた文字の数々、どうやらwordを使って文書を作っていた途中らしい。


 

 見るのは悪いと思って視線を外そうとするが、何気なく目に入った文字が俺の視線を釘付けにした。“退学計画書“と、ここだけ異なったフォントで打ち込まれている。

 その瞬間、同時に部屋が明るくなる。恐る恐る後ろを振り向くと、そこには鈴愛の姿があった。背中には開かれたパソコン、いくら体で隠れているとはいえ入ってきた時点で画面の明かりに気がついていたはずだ。今更隠してももう遅いだろう。


「さあ、どうぞおすわりください。」

 しかし鈴愛は怒ること無く事を済ませる。そしてそのままこちらに向かい椅子に腰を下ろした。

「昨日話したように、犯人には退学していただきます。そのためあのような計画書を……といっても、まだほとんど見ていないでしょうが。」

「すまない。」

 その通りまだタイトルしか見えていない。仮に良心に負けて中身を見ていたとしても把握まではたどりつけなかっただろうが、それは仮定の話だ。勝手に開けた時点で少し罪悪感を覚える。

「いいえ。あなたにはもう見る権利がありますから。覚悟はお決まりのようですしね?」

 その言葉を彼女は、問いかけるように口にする。昨日鈴羽に依頼をしたいといったんだ。当然姉のもとにそのことは伝わっているか。

「ああ、お前に依頼をしたい。」

 迷うことなく返事をする。すると彼女は少し驚いたような顔を浮かべた。俺も自分が信じられない。鈴羽と向き合って話をしなければ、俺はこうはしなかったはずだ。


「私は今のあなたを見たかったんです。ようやく、出会えました。」

 それは彼女の初めて見せるの笑顔だった。目を細めて、口元を緩ませ、恥じらうようにほほを赤らめる、その姿に言葉がでなかった。そんな俺に彼女が差し向けた言葉は「事件の全容をお話しましょう。」

 

 この事件の終焉を暗示するものであった。

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