第7話 リアリティは誰がための常識か

 日に日に日没が遅くなっていくのを感じる今日この頃、着慣れたワイシャツの首元を引っ張りながら風を中に入れる。

 こんな日はわざわざ呼ばなくても電話やメールでやり取りをすればいいのではないだろうか。不満にため息を漏らしながらも、アポイントの約束を持ち掛けたのは俺のほうだ。そのために放課後、鈴愛れいあのいる喫茶店に足を運んでいた。

「いらっしゃいませ、翔哉くん。」

 カランカランと鈴を鳴らしながら扉を開くと、彼女は昨日と変わらない大人っぽい給仕服きゅうじふくを着こなしながら礼をする。

 

 俺が席に着くや否や彼女は、注文していないのにコーヒーを机にゆっくりと置いた。

「甘いのは苦手ですよね。どうぞ。」

 この前オレンジジュースを飲んだときに気づいたのか。顔をしかめたたった一瞬の出来事、それを見逃さないほどの観察眼を彼女は有している。ここは彼女の家だ。当然毎日とはいかなくても、お手伝いをしてたのではないだろうか?不登校になる以前から……その長い経験が、彼女を、妙に大人らしい風貌ふうぼうに近づけているように感じる。




「どうかしましたか?お客様。」

「あっいや。」

 彼女の店員らしい言葉遣いに戸惑とまどう。いつの間にかぼーっと彼女の顔を眺めていたかもしれないと思って目を逸らすと、彼女はふふふと笑みを浮かべた。

「じゃあ、もらうな。」

 視線を下に向け、テーブルに置かれたグラスを手に取った。グラスを傾けるとコクのある苦味が舌を刺激する。さっぱいとしたのど越しで飲みやすい。氷がカチャンと店内に響いた。

 

 

 鈴愛は一度礼をすると奥の方に下がっていった。まずは少し落ち着かなければならない。思いがけない昼の出来事に焦りすぎていた自分を見つめ直し、息をゆっくりと吐いた。

 そしてそのまま、店内にかかる喫茶店らしい音楽に耳を澄ましていく……




「お隣、失礼しますね。」

「あ、ああ。」

 横を見ると私服に着替えた鈴愛がいた。着こなしているのは純白のワンピース……ではなく、体育の授業でよく見るジャージだ。いくら家だからって他にもお客さんがいる手前、相応の身なりをするべきではないだろうかと心配になる。

「いいのか?そんな格好で?」

 周りから変な目で見られていないか気にしながら言う。しかし周りには客1人いなかった。

「ええ、もう閉店ですから。」

 そう言われて入り口を見ると、店主のおじいさんがOPENと書かれていたプレートを触っていた。考えてみれば、喫茶店は午前中と3時くらいに人がいるイメージだ。学校帰りのこんな時間にお邪魔することが非常識だったかもしれない。確か昨日来ていたお客もテーブルには飲み物しか置かれていなかったし、俺が帰る時間にはとっくにいなかった。




「それで、今日はどうされたんですか?」

 鈴愛は気さくに聞く。服装のおかげか、心なし話しやすく感じる。少し考えて、やはりこうするしか無いかとたかをくくり、重い口を開いた。

「依頼をしたい。」

 同級生に頭を下げたことはない。だから屈辱くつじょくにも思えるし悔しいとも思う。

 分かっている。ホントは自分でも何を思っているのかわからないんだ。プライドも覚悟も外聞がいぶんも、何かかも失っている自分には。俺に残されたのはこの意味不明な現実を打ち破る手段に手を借りることだけだ。

 

 彼女の妹、鈴羽は言った。では力不足だと。裏を返せば彼女らには事件を解決する手段があるということだ。



 鈴羽はいないが、この場にいる鈴愛だけでも、依頼の承諾の可否は判断できるだろう。

「内容は?」

「知っているだろ。」

 自分の口からはできることなら言いたくない。

「決まりですから。」

 彼女は首をふった。ためらう気持ちもあるがそれがルールというなら仕方ない。けれどもいざ実際口にしようとして見ると、上手く言葉が見つからない。結局俺はどうしたいんだ?そんな本質的なことに今更悩むことになってしまう。



「愛海の被害を食い止めてほしい。」


 そう言うしかなかった。ただそれだけが叶えば、愛海は周りに怯えながら学校に来ることはなくなるだろう。

「ではその方法はこちらに任せて頂いてもよろしいですか?」

「決まっているなら教えてくれないか?」

 失敗すれば愛海をさらに危険な目に合わせるかもしれないのだから、はっきりと説明してもらうまでは、首を縦に振ることはできない。その熱意が伝わったのか彼女は口を開いた。


「犯人を退学させます。そうすれば彼女の身の危険はなくなります。」

 正気の沙汰さたとは思えない。確かにそれは確実な方法だ。しかし現実離れしすぎていて実感がまるで湧かない。やはり俺には、こいつを信じることができない。

 

 

「今日もおかえりになるのですか?」

 立ち上がると彼女は言った。あんな返事で俺が納得すると思っているのか?彼女は普段通り顔色一つ変えない。

「翔哉さんは愛海さんを助けたい。それが望みなんですよね?」

 それはもちろんだ。しかし代わりに三波を失うことになってしまうのは避けたい。

「翔哉くん、あなたの依頼には迷いがあります。そしてさきほどためらいました。愛海さんのためを思うなら真剣になっていただかないと困ります。」

「何?」

 聞き捨てならない言葉に怒りを感じる。俺は真剣だ。愛海を助けるために今日まで自分にできることをやってきたんだ。

『あなたは何を隠しているんですか?』

友達三波を失うわけにはいかないんだよ!」

 今、なんで……?俺は口に手を当てた。


「なるほど。あなたの迷う理由がわかりました。つまりあなたは、友人の罪を隠蔽するために愛海さんを見捨てたんですね。」

 彼女の言葉が胸を打つ。その鋭い視線は、妹瓜二つだ。決して真実を逃さない。そんな顔だ。


 俺は甘いのかもしれない。

 三波の現行を見てから冷静になった今でさえ、彼女が盗んだことを信じられないでいる。フラッシュバックする映像を塗りつぶしてしまいたいと何度思ったことだろうか。それどころか三波のそれをやめさせれば解決できるんじゃないかなんて考え始めていた。

 でも、でも!

「俺はだれも失う気はない。それに愛海を見捨てない。」

 都合のいい言葉だ。でもそうすることでしか、俺の望む解決にはならない。

「犯人には退学していただきます。依頼をするなら、その条件は絶対です。」

 本当に本気で言っているんだな。彼女は自身が誰に何をしようとしているか理解したうえで、本気で退学させようとしている。

「なら、交渉決裂だな。」

 俺は鞄のチャックに指を掛け引っ張ると、財布を手に取る。やはり俺には三波をもとに戻すことをあきらめきれない。

「お代はいいですよ。」

 すると鈴愛はしゃがんで手のひらを俺の手に被せた。



「お店はどうやって維持されるかわかりますか?」

「知らないが。」

 自分の店どころか働いたことがない。

「常連さんを見つけることですよ。」

 当たり前だろう。リピーターは週に数回くることもあり得るんだ。計算が苦手な俺にだって論理上なら理解できる。

「あなたはきっとここに来る。ですからその時で構いませんよ。」

 いつの間にか俺の手にあった財布は彼女の手にあり、そのまま元あった場所に戻された。



 俺はどうすれば良いのだろうか。暗がりの中を電灯を目印に歩きながら、悩み続ける。

 三波が犯人でさえなければ俺は躊躇することはなかった。けれどもそれは正しい考えじゃない。どんなに親しい間柄とはいえ、やったことが許されるべきではない。

 俺が事件の真相を握りつぶすようなことをしてはならないんだ。でも……葛藤かっとうしていた、もう1人の自分と議論を交わすように。

 


 坂がながく感じる。やはり運動不足か、どこまでいってもその先が見られないような気がしてならなかった。

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