第5話 FILE:事件
帰りの電車の中は揺れる音がするだけだ。窓からはほとんど何も見ることはできない。時々明るい光が入ってきたかと思えば、すぐに消え去ってしまう。せいぜい季節の雨の音を楽しむぐらいだが、自分はそこまで風流に心動かされる人間ではない。
退屈なので、数分したら自然に携帯に手が伸びていた。
二つの着信履歴。内一つは親からなのでひとまず置いておくとして、もう一つの着信先に電話を折り返す。
一定のリズムが鳴り続けた後、彼女は電話にでた。
「もし……もし、翔哉……くんだよね。」
電車の走る音に若干かき消されながら聞こえてくるのはさながらアイドルのような高く甘い声。同時におどおどとしながら話すのは俺と同じクラスの愛海だ。
「すまない。ちょっと用事があって電話に出れなかった。」
本来ならまっすぐ帰るつもりであったので、事前に連絡するのを忘れていた。
「あ、ごめんね。忙しいのに……帰宅途中かな。」
二日前に電話で、家に帰ったらすぐに連絡すると言って約束したのは俺の方なのだから彼女が謝る理由は全く無い。しかし電話越しにでもペコペコと頭を下げているのが伝わってくるほどだ。クラスでも発言することが少なく、友人と思わしき人物がいなさそうな彼女は、誰に対しても一歩引いて話すような癖がある。
これならば喫茶店を出てすぐに電話に出ればよかったかもしれない。しかしそのためにこの電車を逃すことになるのは勘弁だった。
「大丈夫だ。それより今日はどうだったんだ?」
何が?なんて彼女がわざわざ聞き直すことは無い。ここ数日話す内容は一緒だ。彼女は少し考えをまとめて答えた。
「実はね。またなくなっていたの。今日は傘だった。」
「そうか……」
悲しさと納得の両面を併せ持ったため息が出た。
「ということは翔哉くんは見ていなかったんだね。」
俺はそもそも傘を持ってきていたことすら忘れていた部類だが、例えそうでなかったとしても彼女の傘を取るところを見つけるのは困難だろう。
一昨日はハサミ、その二日前は櫛、その前は……なんだったか思い出せないが、とにかく定期的に何かしら盗まれている。そのどれもが違う場所、違う時間に盗まれるので待ち伏せることができないのだ。
彼女が最初相談してきたのは5日前のことであった。
家に帰ってベッドに寝転がりながら本を読んでいるところに携帯が振動する。結城や三波かと思いきや、愛海という普段話さない相手からの不意な電話に、焦りつつも手に取った。
最初彼女は黙っていたままだったが、何があったか聞くと気まずそうにしながらもゆっくりと事のあらすじを話し始めた。
まとめると彼女曰く、最近よく物を盗まれるようになったらしい。最初はヘアピンや消しゴムといった些細なものであったから、失くしてしまっただけだと思っていたそうだ。けれども日に日に被害はエスカレートしていくようになり、教科書やひいては体操服まで盗まれるようになれば流石に耐えきれなくなったのだろう。
彼女は他に頼る当てなく俺のもとに連絡をしてきたのかもしれないと思うと、つい安請け合いをしてしまった。
その経緯でこの3日間の間、彼女の身の回りをクラスメイトに勘づかれないように注意しながら見ていた。だが犯人の現行は未だ目にできてはいない。次第に焦りを感じ始めた俺は守るよりむしろ、何か打開策を打つべきだと考え始めていた。
「あれは効果なかったな。」
「残念です。」
あれとは盗まれないようにするための対策だ。例えば筆箱にしまって休み時間は机の上に物を置かないようにするとか、貴重品を常に持ち歩くとかだ。しかし今日のように傘などは対処しようがない。
「いつまでこんな生活を続けて行けば良いのかな……」
返答を求めるわけではない、ふと自然に彼女の口からでた不安。それは怒りではなく純粋な悲しみからだろう。俺もなんとなく気がついていた。このままでは解決につながらないということを。相手が手を変え品を変えればこちらに打つ手はない。ならば、
「愛海さん。逆にしてみたらどうだ?」
「逆?」
疑問符をつけて返す彼女に説明を始めた。
「ありがとうございます。……その、なんとお礼を言えばいいか。」
「ああ、礼なんて良いよ。」
まだうまく行くと決まったわけではない。それに彼女に無理をさせ、俺が失敗すればまた一層辛い思いをさせてしまうことになるだろう。淡い希望を抱かせるほど酷なことはない。
電話を終えてベッドに仰向けになりながら天井を見上げる。まばゆい光に目を細めながら、自分は何者だなんてくだらない考えに思考を巡らしていた。
やはり偽善者なのだろう。
俺はまだ善い行いの定義なんてしらない。行動原理なんて本能に過ぎない。
ゆっくりと、ゆっくりと……底のない海に意識は沈んでいった。
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