(6)
店長の突然の不在。何かものすごく深刻な事態が起こっているのかもしれないとびくびくしていたんだが、午後売り場に現れた店長はいつもと変わらなかった。
超高速で在庫チェックをし、品出しと商品棚の整頓を済ませ、商品を発注して、特売の準備にかかる。いつもは一日かけてこなす仕事を半日で片付けてしまうんだから、冗談抜きに半端ない馬力だ。思わず、本当はニンゲンじゃなくてアンドロイドじゃないのかと疑ってしまうくらい。
店内をせかせかと歩き回る店長を見て、姿が見えないことをひどく気にしていたスタッフも徐々に落ち着きを取り戻した。俺も意識を早く通常運転に戻そう。
品出しする商品を取りにヤードに行こうとしたら、店長と鉢合わせた。
「あ、横井さん。ポインセチアの新しいのが来たんだ。今出てる小さいのは値付けを百円に下げて売り切り。新しいのを田村さんと一緒に出しといて」
「わかりました!」
早速田村さんを呼んで、裏に回る。店長が追加仕入れしたポインセチアは、前の貧弱な小鉢と違ってずっと大きく、しかも赤一色のやつだけではなかった。中斑、散り斑、白、クリーム、ピンクと種類が多くて、とても見栄えがする。園芸店で五、六百円台で出すクラスだな。それにワンコイン、よんきゅっぱの値付け、か。
「うーん、うまいなあ」
花台に鉢を並べながら、思わずうなった。
「え? 何がですか?」
「店長の作戦です。最初のは、うんと安かったけど貧弱だった。でも今度のは前よりずっと豪華なのに、値段的にはこなれてる。小さいのと直に比べる形になるから、ものすごくお得感があるんです」
「わ! そうかあ」
「思わず手が伸びますよ。きっと今日だけで相当はけると思う」
実際その通りになった。クリスマスも徐々に近づいてきたし、店に入ってすぐに「新入荷、大特価」のポップがあれば否応なしに目に入る。出した端から売れていくのがわかる。田村さんは、商品が売れて空いたスペースをこまめに補充していた。それはたくさん売るためじゃなく、入荷直後の一番いい状態で買って欲しいからだ。管理の不手際で最初のロットをだめにしてしまった田村さんは、萎れてしまったポインセチアを二度と見たくないと思ったんだろう。
店長が、忙しそうに立ち回る田村さんを目で追っている。口元にうっすら笑みを浮かべているから、試験は合格なんだろう。俺もほっとする。仕事にただ追いまくられるんじゃなく、仕事の本質をよく考えて段取りを組み立てられれば、少しだけ余裕ができるはずだから。
◇ ◇ ◇
店長の半日不在という小さな違和感は、クリスマスや年末に向けた店内のざわつきの中に溶けてすぐに霧散した。
実際、師走も中旬を過ぎると場末のスーパーとは言え浮き足立ってくる。ただし、クリスマスの浮かれムードは俺らスタッフにとってはあまりありがたくない。確かに売り上げは増えるんだが、仕事量もとんでもなくなるからだ。
なにせ菓子や飲料などのクリスマス関連商品は、賞味期限が残っていても25日までに売り切らなければならないので扱いが難しい。その上、通常商品と分ける必要があるから無駄に場所を食う。何もかも変則になるので、猛烈にばたばたするんだ。その手間がびっくりするような利益をもたらしてくれるなら報われるんだが……必ずしもそうなる保証はないわけで。さのやにとって、クリスマスはむしろ厄介なイベントなのかもしれない。
俺も納豆や豆腐の保冷棚をチェックしながら、こいつらにクリスマスは永劫に関係なさそうだなあと苦笑を投げかける。
閉店時間が近づき、見切り品目当ての客が入って店がごった返し始めた。もともと安いんだから札値で買ってくれよと言いたいところだが、俺も値引きシールのついた弁当を買いにここに来たから偉そうなことは言えない。賞味期限切れが近い豆腐や納豆に、黙々と値引きシールを貼って回る。
「やふー」
突然、耳元で聞き覚えのある乾いた声が響いて飛び上がった。
「お、おどかすなよ」
「ここがパパの職場かあ」
仕事帰りなのか、ぼろジャンに膝の抜けたジーンズというラフな格好の千秋が隣に立っていた。小脇にでかいトートバッグを抱え、興味深そうに店内を見回している。仕事で動き回る時に邪魔だったのか髪を短くしていたものの、それ以外は二年前家を出た時とそれほど変わっていなかった。
大きな瞳がくるくる動き、好奇心の強さと快活さを印象付ける。そこは美春譲りだ。ただ、それ以外はむしろ俺に似たな。不美人ではないが、見るからに男好きするというタイプでもない。痩せているし、メイクやヘアスタイル、服装も含めて全体に個性の主張が抑え目だ。それは……千秋の意識をそのまま表しているように思う。
「悪い。時間的に今書き入れ時なんだ。相手できん」
「わかってるって。中、見てっていい?」
「見るだけでなくて、何か買ってってくれ。客なら大いに歓迎する」
「わかったー」
「もうちょいで上がりだから、店出てすぐライン流すよ」
「おけー」
かごを取りに入り口まで駆け戻った千秋は、なんでこんなちんけな生花コーナーを作ってるんだろうという顔でポインセチアを見ている。おっと、気を散らしている暇はない。今日は時間の尻が決まってるからさっさと終わらせよう。
◇ ◇ ◇
一昨年も去年も、師走と年明けは恐ろしく忙しかった。まあ、一番人出の多くなる時期に閑古鳥が鳴いているような店は、早晩潰れてしまう。うちの店は場末のスーパーなのにコンスタントに人を集めているから、店長の手腕は本当に大したもんだと思う。もちろん、客数に応じて仕事量もとんでもなくなるが。
クリスマスから年末年始にかけては商品の動きが激しくなるので、さすがにミニマムでやっている現メンバーだけでは手が足りなくなる。これから、臨時アルバイトを入れるという話になるだろう。一昨年も去年もそうだった。それがまた、店長の大きな悩みのタネだ。
店長の不満はよく理解できる。田村さんじゃないけれど、まじめにこつこつ働ける人なら慣らし期間に必ず実戦水準まで育つんだ。でも、バイトという受け皿には「慣らし」という概念が最初からない。バイトに手取り足取り教えてる暇があったら、自力でさっさと片付けてしまった方が早い。使えない人材にバイト代を払えば、かえってコスパが悪くなってしまう。
店長からしてみれば、手順を瞬く間に覚えて最小の手間で最大の働きをしてくれるのが一番理想なんだろう。だが、現実はその真逆になる。そらそうさ。ものすごく高給で釣るならともかく、ちょぼちょぼのバイト代しか出せなければそもそも応募者がいない。応募してくるのも、店長曰く「箸にも棒にもかからないろくでなし」ばかりだ。
いない方がましというのを排除し、少しだけ役に立つという人材を乏しい選択肢から短時間でどう見抜くか。しかも猛烈に忙しい店長が、限られた時間で。俺に言わせれば、そんなのはほとんど不可能だと思う。
事実一昨年も去年も、雇ったバイトのコスパ評価が大幅に水準を割っていた。繁忙期を過ぎるまで、店長の機嫌が猛烈に悪かったのは言うまでもない。
バイトを入れる予定のポジションは、惣菜の
学生を敬遠する理由は、こちらのオーダーの真意を先回りして読む能力がまだ育っていないから。若いもんは……という年寄り臭い価値観ゆえではなく、事実として「教える」手間がはんぱなくきつくなってしまうからだ。にもかかわらず学生不可と明記しなかったのは、その選択肢を外すと応募者がほとんどいないからだろう。
学生に社会勉強させるというくらいの余裕が雇用側にあれば、双方にウインウインになる。仕事に慣れたアルバイターがリピーターになってくれるかもしれないし、人脈を作るのが上手な学生を雇えば継代も可能になる。ノウハウも引き継げる。雇用側も、慣れてスキルを身につけたバイトをしっかり計算できる。
でも超短期雇用でかつ即戦力が欲しいという場合には、あらゆる面で双方のニーズが合わなくなる。雇用側が提供するべき指導、余裕、ケアがまるっきり欠けるからだ。
「ふううっ。難しいよなあ」
「なにが難しいんだい?」
考え事をしながら事務室でコートを羽織っていたら、背中にノリさんの声がぽんと当たった。振り返って答える。
「ああ、バイト募集の話です」
「そらあ毎年のことだ。集めるのが難しいだけじゃないよ。店長の顔も難しくなる」
「ですよねえ」
そいつをネタに笑えればいいんだが、笑い話にはなりそうもない。
「ノリさんの仕事も、補助が欲しいですよね」
「まあな。だが実働部隊の確保が優先だよ。しっかりモノとカネを動かさないと、俺のところまで仕事が降りてこんからな」
ノリさんが忙しいうちは、さのやは続けられる。そういうことなんだろう。でも。本当にそれでいいんだろうかと心配になる俺がいる。ノリさんは、もう若くはないからな……。
「すいません。先に上がりますー」
「お疲れさま。俺も戸締り確認して帰るわ」
「お疲れさまですー」
ますます不機嫌になりそうな店長の仏頂面を思い浮かべながら、千秋との待ち合わせ場所にした居酒屋に急いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます