第7話 抉られる
ペンを走らせるという行為が好きだ。線を積み重ね、1つの絵を完成させていく。時に線を消して書き換えることもあるけれど、それでも1つの目標に向かって着実に、着実に進んでいることに間違いはないのだ。例え失敗してしまっても、きちんと行き着くべき場所に目を据えているならば、その失敗は遠回りという言葉に置き換えられるのだから。
なら、だとしたら、今の私は、今の私は何をしているのだろうか?
「少なくとも今の貴女には見据えるべき目標がないわよね。人生の指針、揺るぎない北極星みたいな何かが」
「うわぁっ、急に出てこないでよ、もう!」
マリーが私に声を掛けて来る。あまりに突然だったので、びっくりしてしまった。
「そういえば、アルツさんと一緒にいた時には何処に行ってたの?」
「何処にも行ってないわよ? 私はいつでも貴女と共にいるわ」
……嘘つき。アルツさんが一緒にいた時は話かけてこなかったことを私は覚えてる。
結局マリーとは一体何なんだろう。私が生み出したイマジナリーフレンドというのはわかっているけど、何の目的で此処にいるかは分からない。
マリーは私が何かを託したと言う。でも私には、マリーに何かを託した覚えなんてない。
「結局、マリーって一体何なの?」
「それは貴女が見つけなくちゃならないことよ」
だからそれが分からないんだってば。そう思っても、マリーは何も言わない。意味ありげに笑うだけだ。
なんだかもてあそばれているようでむかむかする。いつもマリーは上から目線で、人を翻弄するようなことを言う。振り回される側にもなって欲しい。
「ま、私が貴女のイマジナリーフレンドである以上、振り回しているのは自分自身なんだけど」
「あー、もうっ、元も子もないこと言うなぁ! まったくいつになったら消えるのっ?」
思わず口をついた言葉に、やはりマリーは、
「だったら早く見つけなさい。貴女が私に託したものを」
と言う。
本当に、それがわかったら苦労はしない。マリーに、私は一体何を――?
「あれ、朱莉じゃん? こんとこで何やってんの?」
その声に。肩が。震えた。
「最近、学校に来ないけど、どうしたん?」
自身の左後ろ。あまりにも気軽にかけられる声の主を私は恐る恐る振り返る。
「…………ひ、久しぶり」
絞り出した声はどうしようもなく不格好だった。
あぁ、嫌だ。無理くりに作った作り笑いが引きつっているのが分かる。膝が笑っているのが分かる。
あぁ、嫌だ。
「うん、久しぶり。で、こんなところで何やってんの? 普段学校さぼってるくせに」
「…………」
「ちょっと無視は酷くなーい? あたしたち、友達でしょー?」
強張った手が不細工に動いて、カップにあたって音を立てた。大きく揺れたカップの端から黒ずんだ液体が零れ落ちる。あぁ、いけない。拭かないと。
「何があったのかしんないけどさー、早く学校来な? みんな心配してるよ?」
「……………………」
――嘘だ。
「あたしもさー、あんたいなくてつまないんだよねー」
「……………………」
――どうでも良い。
「………………いつまでだんまり決めてるわけ? 馬鹿にしてんのかッ!」
テーブルが怒りの籠った手によって叩きつけられた。コーヒーカップが跳ねる。びびびび、と陶器がこすれ合う音が鳴る。
「人を馬鹿にする資格があると思ってんのか、この不登校がっ」
「――――っ」
『不登校がっ』『不登校がっ』『不登校がっ』…………
怒りよりも、恐怖よりも、何よりもその言葉が頭の中で攻めるように響き渡る。
そうだ。平日の昼間からずっと自室にいたのは私が不登校だからだ。母親に後ろめたい気持ちで会わなくちゃいけないのは私が不登校だからだ。
視界が滲む。
駄目だ。駄目だ。流れるな。流れてしまったら、私が負けてしまう。負けてしまったら、私は……私は――っ。
「ひっ……ふぐっ、うぁ」
抑えられない。抑えきれない。目元から零れ落ちる雫がぽたぽたとスカートにしみ込んでいく。
私が必死に守ってきた自尊心すら失った。零れ落ちる、崩れ落ちる、私というものが真っ逆さまに真っ暗闇へ。自分自身の肉体がゆっくりと剥がれ落ちるようにして、破片となって消えていく。
「――――、――――――――」
何かを言っている。けれども何を言っているかが分からない。
思考と身体が限りなく遠のくこの感覚。失神に似た感覚が私を包もうとしたその瞬間、
「あの~、私のツレに何の用っすかね」
声が聞こえた。何処かへ消えてしまいそうな私を留める錨のような声が。
「あ、こいつのなんなんだよ、あんた?」
「んー、そう言われると困るっすねー。ただ、まぁ、一番分かりやすい言葉で言うなら――」
「――友達っスかね」
その言葉に崩れていた私が輪郭を取り戻す。
「友達ぃ? こいつに?」
「そっすね。今日初めて会ったようなもんすけど」
「何よ、それ。意味わかんないし」
「たははー、デジタルネイティブも人によるみたいっすね」
「あ? ちゃんと会話のキャッチボールしろよ」
文句を言われたアルツさんは、しかしそれを無視して私の方へずかずかとやってきた。それから荷物をそそくさと纏めて、私の腕を掴んで引っ張る。
「あの、アルツさ――」
「はいはい、行くっすよ、ルージュ先生」
話も聞かず、強引に。私はアルツさんに引っ張られるままに喫茶店の出口へ向かう。
「な、ちょ、待てよ! まだ私はそいつと話すことがあるんだよ!!」
「嫌っす。って、人に何かをお願いするなら、それ相応の態度ってもんがあるんじゃないっすかね」
それに、とアルツさんは言葉を切って、
「私は高校生っすよ? あまり舐めた口は聞かない方が良いっす」
言われた相手が、一瞬怯んだのが分かった。
その隙にアルツさんはのらりくらりと会計を済ませ、喫茶店の外へ。
ひんやりとした外気が肌に触れる。冷たい現実の温かさが私を思い出させてくれた。
立て替えてくれたお金、後できちんと払わなきゃな。
そんなことをふと思った。
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