槙野彼方

第9話

 時の流れは早いもので、少女の未練が判明してから十日が過ぎた。

 言い方を変えれば十日“も”経過した訳だが、僕と彼女の関係が、何か特別な変化を遂げたということは無い。

 考えてみれば当然だ。彼女の未練を解消出来るのが僕だけであると言ったって、はいそうですかと抵抗なく他人を好きになれる筈がないのだ。

 なるほど確かに、僕が彼女に対して抱いている印象は、そう悪いものでもない。性格は素敵だ。あまりこういう言い方をすべきではないのだが、容姿だって整っている。段々と打ち解けてもきた。時間をかければ、僕が彼女を好きになる可能性はあるし、大切に出来そうな人だとも思う。

 しかし即座に恋愛へ発展するかというと、いかんせんイエスとは言い難い。主に僕の性格が原因だ。

 それに……もっと根本的な問題だってある。

 僕は生きている。だが彼女は違う。既に死んでいるのだ。

 生者と死者の恋愛など、馬鹿らしいの一言に過ぎる。本来結ばれてはいけない、いや、そもそも結ばれる筈の無い間柄だ。そんなのあり得ない。

 仮に想いが成就したとしても、彼女はその時点で成仏してしまう。残された僕が苦しいだけだ。実りが別れに繋がるような恋愛は、流石にしたくなかった。

 むしろ僕以外の相手を探す方が、よっぽど現実的と言えるだろう。

 中身は恋情じゃないけれど。友人や両親など、彼女のことを大切に思っていた人はそれなりにいる筈だ。彼らの元に辿り着けば、あるいは彼らの愛情を彼女が実感出来れば。完全な成仏は無理にしても、その足がかりくらいにはなってくれるかもしれない。


 そんな訳であの夜の後も、記憶探しは毎晩欠かさず続けられている。

 しかし成果は……あまり出せていない。徒歩圏内の様々な場所を回ってみたが、彼女が新しい何かを思い出すことはなかった。実質的に、夜のお散歩と大差ないのが現状である。

「……今夜どうしようかな」

 段々と手詰まりになってきた。

 夜は意外に短い。人間の足で到達可能な範囲など、たかが知れている。

「駅も大学も行った。あとは……海? 海の方まだだっけ。ならあっちにしよう。よし」

 そんなことを独り言ちながら、ベッドから起き上がるお盆明けの朝。

 眠気混じりの身で朝日を浴びて、己を強引に活動モードへと切り替える。本日の天気も晴れだった。その場で大きくのびをした後、僕は朝食を作るため台所へ向かう。

 冷蔵庫を開いた。昨夜の残り物が何品かある。だが……何故か、今日はあまり食欲が湧かなかった。

 トーストだけでいっか。こやつらは昼食にしよう。

 いつものように食パンを焼き、ジャムを塗って紅茶を淹れる。五分とかからずに出来上がったそれを口に運びながら、僕はノートパソコンを立ち上げ、ここ数日ないがしろにしていた学生メールの確認を始めた。

 アクセスするのは九鳥大学のポータルサイトだ。学生全体に向けたお知らせや、単位の可不可もここでチェックすることが出来る。

 どうやら新しく二科目ほど、無事に単位が認定されたらしい。成績自体も悪くない。内心でちょっぴり喜びながら、僕は次に大学からのお知らせへと目を通していく。


 集中講義、受講者の追加募集。人が集まらなかったのだろう。

 電気回線の工事に関する通知。特に関係無い。

 安全運転の呼び掛け。そういえば、何ヶ月か前にも九鳥大の学生が事故にあったらしい。僕も気を付けねば。

 台風接近中。了解、用心します。


 ……見る限り、緊急の要件は無さそうだった。

 そう判断しながら、僕は欠伸を噛み殺す。願わくばこのまま紅茶のおかわりでもしつつ、心ゆくまでのんびりとしたいところだ。事実、休日の午前はよくそのようにして過ごす。

 だが今日ばかりはそうも言ってられない。朝の十時から友人と出掛ける予定があるのだ。遅刻は不味い。

 寝間着を洗濯機に叩き込み、二日分の衣類を洗いながら僕はシャワーを浴びる。同時並行で進めることにより、必要な時間が半分で済むという時短テクニックだ。一人暮らしの中で自然と身についた。

 服を着替え、洗濯物を手早く干し。性懲りもなくやって来たルリにいつも通りホットミルクを振る舞いながら、僕は外出の準備を整えていく。

 あまり色々と持ち運べば、その分荷物が重くなって体力が削られる。故に出来るだけ軽くしたかった。水筒、日傘、携帯に財布、さらに筆記用具とメモ用のルーズリーフをショルダーバッグに詰め込み、僕は立ち上がる。

 時計を見れば丁度いい時間になっていた。

「……よし、行こうか」

 頭に描くのはこれからの予定。確か、まずは図書館で資料集めをするんだっけ。つい数日前に友人から突然誘われたせいで、僕自身もあまり把握出来ていないのだ。

 意気揚々と外に出る。

 粘つくような熱気が全身に纏わり付いてきて、僕は顔をしかめた。



 悪いニュースと悪いニュースがある。

 悪いニュースというのは、日差しがいつにも増して強烈だということ。

 悪いニュースというのは、待ち合わせ場所の公園に日陰が無かったことだ。

 風でも吹いていれば多少はマシになろうが、こんな時に限って大気は落ち着いていた。熱された空気が道路の上で揺らぎ、その光景が余計に暑さを増幅させる。一分と経たずに全身から汗が滲み出して、肌着と素肌を不快感と共に密着させた。

 加えて、海が近いせいか湿度が高い。もはや圧迫感の域だった。サウナってこんな感じだろうか。何気にこれまで入ったことが無いので、よく分からないのである。

 この快晴は夜まで続く。天気予報ではそう言っていた。熱中症にはいつもより簡単になれそうだ。

 日傘を持って来て正解だったな。思いつつ、僕は僅かに柄を傾けて太陽を拝んでみた。

 うわぁ、眩しい……。

「お、いたいた」

 快活な声が鼓膜を揺らした直後。いきなり、僕の肩に手が掛けられる。

 身体ごと引かれるようにして僕が振り向けば、視界に入るのはブラウンの髪の毛。

「わりいな優、ちょっと待たせちまった」

 そう言って僕の親友、槙野彼方は申し訳なさそうに頭を掻いてみせた。

 整った顔立ちに、ジムへ通って鍛えたというがっしりした身体。逞しいという形容詞が実によく似合いそうだった。その体躯で以て、僕には限りなく縁遠いであろう、無地の黒シャツとデニムの組み合わせを見事に着こなし。肌は健康的な色に焼け、その外見と合わさってザ・スポーツマン的な雰囲気を醸し出していた。

 手首の腕時計をわざとらしく見せながら、僕はニヤリと笑う。

「遅いよ。五分遅刻だ」

「支度に手間取ってな。だが落ち着いて考えてみろ。たったの五分だ。大した遅れじゃない、な?」

「そうだね。ところで彼方、相対性理論って知ってる?」

「炎天下の五分は一分に感じるってやつか?」

「人を勝手にマゾ化するな。……ていうかさ、ちょっと気になったんだけど」

 親友の服装に一抹の不安を覚えて、僕は彼方の頭部を指差す。帽子も何も被ってない、そのままの状態だ。それから僕は手首を直角にし、天高く輝く太陽を指し示す。

「死ぬよ」

「死なねえよ。歩き回るくらいじゃそんな簡単にはな。それとも何だ、今から運動でもするのか?」

 その申し出は慎んで辞退しよう。

 彼方ほどではないにしろ、一応、僕だって身体は動かしている。筋トレだったり走ったり。ただし昼じゃなく、夜に。夏の真っ昼間に運動など、最後にしたのは果たして何年前かというレベルだ。彼と僕とでは、おそらく体力の桁が違うだろう。

 服の襟を持ってパタパタと上下させながら、僕は言う。

「取り敢えず暑いの嫌だから、さっさと出発しようよ」

「その前に確認だ。副隊長の早乙女くん、本日の目標は何ぞ?」

「三橋神社の謎を解く……だっけ」

「そう。そして次号のネタにする。前のやつは中途半端だったからな」

 彼方がサークルで制作している、地元の都市伝説をまとめた小冊子のことだ。

 タイトルは歴史と権威ある雑誌にあやかって「ウー」。九鳥大学オカルト研究会著、とされているが、会員が彼方しかいないので実質彼が発行者である。数ヶ月に一度、大学の購買へ不定期に出没し、無料配布という形で着実に読者を増やしつつあるらしい。

 友人の作品ということで僕も読み、そして時折、その調査を手伝い。おかげで近場の伝承には詳しくなった。たしかこの前は「猫娘、大学に現る!?」。更にその前は「検証! 三橋神社心霊スポット説」。曰く、深夜二時かそこらに神社へと行けば、死者と会話が出来るのだという。

 これまでは眉唾物の与太話だと思っていたが……彼女と出逢ってからは、半分くらい信じるようになった。オカルトもあながち真実なのでは。事実、僕はここしばらくの間、来る日も来る日も死人と夜を過ごしている。

 もちろん、彼方はそのことを知るはずもなく。調査へ行こうぜ、といつものように誘いがかかった時、僕は一瞬断ろうかと考えた。しかし神社自体に足を運ぶわけではないらしいので、ならば大丈夫とオーケーを返したのだった。

「あそこも昔は普通の神社だった筈。だけど今はあの様だ。ならいつからそうなったのか? そうなる前はどうだったのか? 噂はいつごろ生まれたか? それを調べるのがミッションだ」

 結構本格的である。

「そのために、まずは図書館で情報を集める、と」

「情報収集は探偵の基本だからな。それでは行こう! 出発だ」

「おー」

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