第10話

「で、どうやって調べればいいんだ?」

 彼方が漏らした情けない一言に、僕は思わずため息をついた。

「考えてなかったの?」

「あんまし。どっかにあるだろうとは思ってるんだが」

「そりゃまあどっかにはあるだろうね。だけど僕、虱潰しは嫌だから」

 九鳥大学の図書館は広大だ。一階から四階、さらには地下の書庫に至るまで、ありとあらゆる分野の書物がここには収められている。聞くところによると、その蔵書数は百万をゆうに超えるらしい。

数字が大きすぎて想像すら出来ないが、闇雲にぶつかって何とかなるような数でないことは確かだ。

「こんな時こそ、司書様の出番だよな」

 彼方が背に手を当ててくる。僕のことを言っているのか。確かに、僕は授業で司書の科目を履修してはいるけど……。

「……司書課程、まだ半分くらいしか終わってないんだよ?」

「半分は終わってるんだろ。俺より賢いじゃないか!」

「大同小異。五十歩百歩。ドングリの背比べ!」

「図書館ではお静かにお願いしますぅ。ていうか、このためにお前を呼んだまであるんだからな。頼むぜ司書様」

「だから、まだ取得途中なんだってば」

 そう言って首を振ってはおいたが、一応、彼方の言う通り、何も出来ない訳ではない。ある程度のアタリは事前につけてある。

 僕たちが欲しいのは、三橋神社に関する総合的な情報だ。例えば祭神、創設の時期、あるいはそれにまつわる伝承など。インターネットでは名前しか出てこなかったので、何にせよまずはおおまかな概要が知りたいのである。

となれば、とっかかりになりそうなのは……。

 少し悩んだ後で、僕は一冊の本を棚から取り出した。

「見つけた」

 背表紙には「禁出」と書かれたシールが貼ってある。それが受け継がれてきた年月を表わすかのように、紙面はうっすらと茶色がかっていた。埃を払って机に置けば、思いのほか大きな音が出る。

「それは何だ?」

「福岡県の歴史地名辞典。この前、講義で扱ったの。島でも山でも村落でも。県の地名や遺跡の類なら、全部この中に説明が載ってる」

 たしか神社も含まれていた筈だ。一つ一つの項目はあくまで簡単な解説にとどまっているが、それでも僕らにとっては十分な情報源である。

 表紙をめくりながらそう言ってみせれば、彼方は感心したように頷いた。

「便利なものがあるんだな」

「ここなら大抵のことは調べられるよ。ネットに書いて無いマイナーな事も、ね。調べ方を知らなければ紙屑の山と大差ないけど」

 言い終えて思う。今のはちょっとキザったらしい。

 僕が恥ずかしくなったことに気付いたのか、彼方が耳元で口笛を吹いてきた。

「ヒュウ、カッコいいぜ。流石は俺の親友だ」

「うるさい」

「顔が赤いぞ」

「うるさい」

 彼方のことは無視して、僕は巻末の索引から三橋神社の文字を探す。

 み、み……あった。指定された当該ページを開けば、求めている情報はすぐに見つかる。指で示して彼方にも合図を送れば、彼もまた真剣な表情になって、辞典へと顔を近付けた。

「三橋神社。……場所も間違ってないな。これだ」

「祭神は……伊邪那美命いざなみのみことか」

「優なら知ってるよな?」

「日本を作った夫婦の神様、その片割れだよね」

「そして夫は伊邪那岐命いざなぎのみこと。土地だけじゃなく神様も生み出した、いわゆる神産みの二柱だ」

 彼方の言葉に、僕は脳内で日本神話を思い出す。僕もあまり詳しくはないのだが、ものすごく簡単に言うならあれは、黄泉の国から嫁を連れ戻そうとする男神の物語だった筈だ。当初、その目論見は上手くいきそうだった。しかし途中で怒りを買ってしまい、最終的に命からがらこちら側へと逃げ帰ってくる。そんな感じだ。

 伊邪那美命は、この話に登場する女神の方。最終的に彼女は現世へと帰ることはなく、黄泉の国の神としてあり続けることになった。

「……なるほどね」

 どうりで、死人と会えるなんて噂が立つわけだ。

「これはどうやら色々な説が考えられそうだな」

 彼方が腕を組んで唸る。

「イザナミが祭神だと知った誰かによって噂が広められたか、それともこの繋がりはまったくの偶然なのか」

「……一応、幽霊も死人には入るよね。ただでさえあそこは不気味だから、誰かが枯れ尾花を幽霊と見間違えてさ。口伝する内に内容が段々と変わってきたのかも」

「有り得るな。……でもってあと一つ、オカルト好きとして一番美味しい可能性が……」

「噂が本当だったパターン、だね?」

 確認するように訊けば、彼方は首を縦に振る。

「実はあそこがマジモンのパワースポットだったとしたら。何か不思議なことが起きても、おかしくはないってわけだ」

 僕自身、オカルトを盲信するようなタイプでは決してない。世間に出回る怪奇譚の、九割九分はデマカセだとさえ思っている。

 だが一方で、そういうのが絶対にいないとも言い切れないのだ。僕が逢っているあの少女は、一般人から目視できないだけで、間違いなくその場に存在している。夢でも幻でもない。

 それから他の資料にもあたって情報を集約した結果、三橋神社は今から七百年近く昔、室町時代に建てられたことが分かった。小ぶりな祠ながら、地元住民からは「おきいし様」と呼ばれ親しまれていたらしい。現在では寂れているようだが。

「“大きい石”が訛ったんだろうな」

 彼方の言葉に、僕は神社にあった大きな岩のことを思い出す。一日目の夜、彼女と座って話をしたっけ。

 分かったことを僕は手早くルーズリーフにまとめる。彼方はそれを読んでから、満足げに手を打ち鳴らした。

「よっしゃ、ここまで分かればもう十分だろう」

 次は聞き込みだ。そう続けたところで、二人同時に情けない音。僕たちの体内で、腹の虫が盛大に自己主張を始めていた。

「……昼ご飯にしない?」

「……だな。じゃ食堂にでも行くか」

 エネルギー補給は大切だ。

 彼方と協力して資料を本棚へと片付けていく。辞典の類はどれも分厚くて、重い。同時に運ぶのは二つが限界だ。それ以上は安定しない。

「こっちは終わったぞー」

 最後の一冊を仕舞い終えたとき、遠くから彼方の声がする。

 今行くよ。

 応えて、僕は彼の元へと帰ろうとした。

 その直後のことだった。

「っ……!?」

 首筋に違和感。何かの気配にビクリと肩が震えて。半ば反射的に、僕は後ろを振り向いた。

 本棚が光を遮るせいで、通路は妙に薄暗い。夏休みの図書館はいつもよりも人気が少なく、口を閉ざせば一瞬で静けさに包まれる。

 気のせいだったのだろうか。今、どこかからか視線を感じたような……。

「優? どうかしたのかー?」

 改めて周囲を見回す。やっぱり、誰もいない。僕だけだ。僕しかいない筈だ。

「優?」

 すぐ隣から聞き慣れた声。ハッとしてそちらを向けば、見慣れた彼方の顔がある。身体から緊張が抜けていった。

「……ううん、何でもない」

 さして気にすることでもないか。そう思い直して、僕は首を横に振る。

 遠くで、蝉が鳴いた。

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