第7話

 結論。普通に大丈夫だった。

 人間の足だと神社から駅までは一時間弱かかる。僕たちの場合、時間は有り余っていた。残る問題は体力だが、こちらは若さが解決してくれた。そもそも僕は、この程度で力を使い果たすような鍛え方をしていない。唯一の不安要素は彼女だったが、初めから終わりまで疲れた素振りすら見せなかった。

 そうして到着した九鳥大学の最寄り駅は、煌々と輝く照明に反して驚くほど人の気配に乏しかった。

 酔っ払ったサラリーマンの一人でもいればいいものを、どうやらここらの人々は飲酒の加減調整が上手らしい。昼間の賑わいに慣れ親しんでいるせいで、構内の静けさが奇妙なものに思えて仕方なかった。窓口の方に駅員さんの姿を見つけて、少しだけホッとした。

「どう? 来た覚えとかある?」

 内部を隈無く歩き回りながら彼女に訊く。彼女は立ち止まって周囲を見回した。悩ましそうな唸り声。一つ、大きなため息を吐いた後で、彼女はその首を横に振った。

「……駄目です。すいません」

「謝ることじゃないよ」

「何と言うか、駅だなって納得は出来るんです。ああ確かにそうだな、って。だけどそれだけ。ここに来たことはあるのかもしれないですけど、覚えてないです」

「そっか。来たことがあってもそれを思い出すとは限らないし、分かんないね」

 おそらくこれが、記憶探しで最も面倒な点の一つだ。

 何も知らない、記憶に無い。しかし本人がそう言っても、それは生前の彼女が一度もその場所を訪れなかった証拠にはならない。否定で捜索範囲を絞ることが、不可能なのだ。

 電車だろうか、無機質な駆動音が遠くから近付いてくる。それは徐々に勢いを落とし、やがて僕たちの頭上で止まった。

「すごい、こんな時間でもまだ走ってるんだ」

「終電ですかね」

「どうだろう、時間的にそろそろだとは思うけど」

 電光掲示板を確認してみたところ、彼女の言った通り、これが上り方面の最終便だった。反対に博多方面へ行く電車も、次で最後となるらしい。

「乗る人、いない気がする」

「きっと、いるから走ってるんですよ。私は乗ったこと無いと思いますけど」

「僕も無いな。こんな時間に外出なんてしたことないもの」

 今まさにしているのかもしれないが、身体は家にあるのでノーカウントだ。

 少しだけ声を弾ませながら彼女は応えた。

「そんな感じがします! 優くん、普段から早めに寝てそうなイメージが……!」

「そう? だったらごめんね、現在進行形で期待を裏切っちゃってる」

 両腕を広げて冗談を放つ。優しい彼女は笑ってくれた。その笑顔につられて、僕も次第に唇の端が持ち上がっていく。自分の言葉に笑わされるなんて、芸人だとしたら失格だ。違うけど。

 それから暫くの間、僕たちは二人してクスクスと忍び笑いを漏らしていた。

 秘密のやり取り。他の誰にも聞こえることはない。その事を意識すると何だか胸がくすぐったくなってきて、またしても口元が緩んでしまう。

 とんでもない悪循環だった。

 このままでは埒があかない。僕は手を上下に動かして、己の心を静めようと努力した。深呼吸、深呼吸。ゆっくり息を吸って、吐いて。笑うなと思うと笑ってしまうので、盛大に笑い転げるよう自分に言い聞かせる。すると次第に症状が収まっていった。

 しゃっくりのような笑い声を最後に、僕たちは何とか冷静さを取り戻す。

「落ち着いた?」

「落ち着きました」

 ……こんな事をする暇があったら、さっさと次の候補地に向かえよという話だ。

 しかしそれからしばらくの間、ちょっとした気紛れにつき、僕と彼女は合理性と真逆の行動を取った。駅長室に忍び込んでみたり、誰もいないホームに上がってみたり。こうして状況を変えるだけで、日常的に訪れている場所でも別世界のように見えるのが不思議だった。

 深夜の駅を存分に探検し尽くした後、今度はその隣にある中規模な公園を訪れてみた。が、ここでも成果無し。ブランコが独りでに揺れているという少々恐ろしい光景を目にしたくらいで、特筆すべきことは何も無かった。

 そのまま駅の周りを一周。そこからは線路に沿って、西の住宅街へと足を運ぶ。学生向けの寮やアパートも、数多く立ち並んでいる地域だ。

 次第に建物が低く、それに伴って街の雰囲気も落ち着いたものになってくる。一軒家が増えてきた。この辺りの道にはあまり慣れていないせいで、初見の光景もチラホラと現れる。

「仮に君が一人暮らしだったとすれば、大学の近くか、この辺りに住んでる可能性が高い」

 僕は指を立てる。そのまま周囲を見渡し、ちょうど目に留まった、長方形で四階建ての建物を指し示した。

「例えば、あそことかに」

 いや待てよ。あれは寮じゃなく普通のマンションだったかな? ……まぁどっちでもいいや。言いたいことは伝わるだろう。

「むー……。私の性格的に、出来るだけ便利な場所を選びそうなんですよね。あまり遠出をしなくていいような場所。ここなら駅やスーパーも近いので、許容範囲です」

「それだけならまだ分かんないね。同じ理由で、僕は大学の近くを選んだし」

「部屋が埋まってたりで、もっと離れた所に住んでたかもしれません」

「……ここを選びそう、って分かっただけでも十分な収穫かな」

 学生向けの物件は入れ替わりも激しいと聞く。おそらく、彼女の家にも既に別の人が入居しているだろう。侵入して確かめるのは止めた方が無難だ。だが……。

「近付けば何か思い出すかも」

 かも、と言ってはみたものの、どちらかと言えば願望に近い。思い出したらいいな、くらいに内心では考えている。気持ちの問題だ。

 線路から離れ、僕たちは入り組んだ路地を通って国道を目指す。どこへ向かうにも、一度大きな道に出た方が分かりやすいからだ。

それに国道沿いは、スーパーや飲食店などの各種施設が一番密集している空間でもある。都会の方と比べればお世辞にも便利とは言えないものの。日々の暮らしを営む分には何ら差し障りのない発展度合いだ。僕みたく、夜に静けさを求めるタイプの人間には丁度よいかもしれない。

「他にも色々あるんだよ。そっちは眼科。こっちは銀行。あっちに行けばホームセンターだって」

「本屋もありますか?」

「多分。このまま道なりに進めば見えてくる筈だよ」

「住みたくなってきますね」

「住みたくなってきましたか」

 バスガイドとツアー客みたいな会話をしつつ、僕たちはアパートの物色を続ける。

 新築から古び……歴史あるものまで。まったくと言っていいほど成果は出てこなかったけれど、行動しているだけでも気晴らしにはなるのか。僕の前を行く彼女の姿は、心なしか昨日より元気に見えた。

 出逢って二日目。夜を歩くこと十時間。

それだけの間共に過ごしてみて分かったことだが、彼女は意外とテンションが高い。初対面での落ち着いた印象があるから余計にそう感じるのかもしれないが、少なくとも、僕よりは日向が似合うように思う。

 段々と笑顔も増えているし、多少なりとも打ち解けてこれただろうか。もちろん、まだお互いに遠慮は残っているけど。

「……っと」

 不意に、彼女が足を止める。

 視線の先にあったのは、ごく一般的な学生向けのアパート。建てられて間もないのか、全体的に清潔な雰囲気だった。

「ここ、気になります」

「なら、お邪魔してみようか」

 住人らしき青年がちょうど裏口から出てきたので、それに便乗して中へ入る。

 防犯のためか、エントランスには真夜中でも灯りが点いていた。だが調子が良くないようで、しきりに点滅を繰り返している。不安を煽る光景だった。

 気になる。そう、彼女が言ったのはここが初めてだ。つまりこのアパートは、彼女にとって特別な思い入れのある場所。すなわち自宅である可能性が高い。もしそうなら……間違いなく大きな進展になる。

「ねぇ、何か思い出し――」

 訊きながら振り返る。しかし、そこに彼女はいない。

「……え?」

 焦って周囲を見回せば。彼女は迷いの無い足取りで階段を上って、踊り場の陰へと姿を隠すところだった。

「ちょ、ちょっと待って!」

 慌ててその背中を追いかける。

 一応僕も男ではあるので、彼女を見失うようなことは流石になかった。それでも息を切らせながら追いついたとき、彼女は複雑そうな表情をしながら、とある扉の前で立ち尽くしていた。

 202号室、と表札には書いてある。

 これは、もしや――。

「……待ってって言ったのにぃ」

「……すいません。でも、気付けば自然とここに向かってて」

「じゃあ、もしかしてここが?」

「もしかすると」

 目配せをして頷きあう。進展の予感に、僕はゴクリと喉を鳴らした。

 ただ、その前に一つ問題がある。

「中、入れるんでしょうか?」

「昨日は無理だった、よね」

 大学図書館の話だ。家の扉をすり抜けたように出来ないかと思ったが、何度やっても弾かれた。その理由は不明だ。ちなみに他の建物も似たようなもので、唯一コンビニの自動ドアだけが僕を中へと招き入れてくれた。しかしやんぬるかな、目の前のそれはどう見ても自動ドアではない。

 つまり経験則で言えば、ここから先には進めそうにないのである。

「やっぱり……難しいですかね」

「物は試しでやってみようよ」

「なら、取り敢えず……」

 彼女がため息をつく。そのまま身体を預け気味に、正面の鉄扉へ手を当てようとした。

 その時だった。

「ひぃあ!?」

「っ!?」

 僕の、そしておそらくは彼女の予想にも反して。半透明の身体は玄関をすり抜けてしまったのである。

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